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クリスマス ー不思議の心を育む日ー #辞書

クリスマス。それはイエス・キリストの生誕を祝う祭り。日本では大切な人と共に、プレゼントを交換し合うイベントが行われる日。
この文章は、私永澤の私的な「クリスマス」の辞書的解釈である。辞書的解釈としているが、思い切ってここは、私の子ども時分からのクリスマスにまつわる話を書こうと思う。

私にとってクリスマスとは「サンタが家にやってくる日」だった。何を隠そう、二十歳までサンタは家に毎年来ていた。幼い頃、少なくとも中学生ぐらいまでは本当に家にサンタが来ていると信じていた。サンタは夜中寝静まってからやってきて、クリスマスツリーの麓に盛大なプレゼントを残して去っていく。サンタのその仕事の素早さ、鮮やかさ、そしてプレゼントの豪華さ、完璧な英語で書かれた置き手紙、などなど様々なサンタの存在証明のおかげか私にはサンタの存在を疑う余地はなかった。確かに、歳を重ねていく中で、両親がサンタなのではないかという疑問を持たないでもなかった。ただあんな大きなプレゼント、巨大な天体望遠鏡、顕微鏡、などなど狭い家だったのだから隠し切れるはずがないと思っていた。サンタのために、クリスマスケーキを差し入れとしてカットして準備し、サンタへの手紙をしたため、親戚からもらった芋をお土産に用意して、サンタに是非とも会いたいと願いソファーで寝たものだが、翌朝には知らぬ間に布団で寝ていてプレゼントがクリスマスツリーの麓に出現していた。
以下は私が11歳の時にサンタに宛てた手紙だ。

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この中の高橋くんという男の子と今結婚しているわけだが、、重要なことは、サンタクロースという存在が一人の子どもに不思議の心を育んだということだ。

目に見える世界だけではない。目に見えない世界が必ず存在する。空を飛ぶトナカイに乗って、みんなの家にプレゼントを携えてやってくるサンタクロースが絶対にいるんだ。この世界には見えない存在がいる。そして山にも川にも土にも、草木にも見えない何かが存在している。そういう心をクリスマスというものが育んでくれたように思う。

私が今こうして、見える世界、見えない世界を信じる、感じることができることもそのルーツはクリスマスにあるように思えてならない。見えない世界は必ずある、そして見える世界はそれに支えられるように存在している。耳を澄ませて、肌と空気を感じていけば、その世界はきっと開かれている。
すごく大切な感覚を私はたくさんの愛情のもと育んできたんだなと思うのだ。それは海の中から見える光のようにあたたかい。
そして、私は今でもサンタクロースはいると思っている。
サンタの大きなスピリットは必ずあって、世界のお父さんとお母さんの心の中にも棲んでいる。そして、そのスピリットは今でも私を見守っている。そんなふうに思う。

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水中の光 2019 Tomoe Nagasawa

今日は、「クリスマス」に関する私的辞書的解釈でした。
ことばが大好きな私永澤ですが、絵も描きます。
こちらのサイトから絵の販売も行っているので、是非覗いてみてください。
https://flagoffree.theshop.jp

また、この“辞書”企画は夫と共にやっています。
夫の“辞書”の解釈はこちらから。
https://note.com/nao70nao70/n/ndda33dc806f8

#辞書 #エッセイ #絵 #アーティスト #コラム #クリスマス

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