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『娯楽』をケチったら心が痩せる、きっとそう。

人間の体は食べたものでできているように、人間の頭(と心)は触れたものでできている、なんて当たり前のことを考えています。
触れたもの、というとちょっと幅が広くなってしまうかもしれないのですが、それは学問だけでなく、本とか映画とか絵画とかそういう芸術的なものも含まれる(というかメイン)と思っています。

読書をしなさい、と小さい頃から言われていたので、とてもよく本を読む子でした。
決して読むスピードは速くないのですが、嫌いではありませんでした。
(年間で何冊読む、みたいなマラソンがあって、それで1番になれなかったのは嫌だったけど)
でも、小学生の頃を振り返って考えてみると、「読みたいもの」に出会えていなかったように思います。
いわゆる児童書みたいなものは展開が少し退屈だったし、伝記はそもそも歴史を学び始める前に読んでもあまりその人の凄さがわかりませんでした。(今になってようやく「あの時代にあんなことするなんて凄くね?」と思えるようになりました)

読書の楽しみを少し分かり始めたのは、中学生になってからでした。
とても田舎で育ったので、休日に行くところといえばジャスコか図書館しかありません。
ジャスコに行くときは「早く帰って来なさい」と言われるけれど、図書館に行くというと「ゆっくり勉強して来なさい」と言われるので、図書館の方が圧倒的に多かったですね、お金もかからないし。
午前中は本を読み、休憩がてらに少し数学を解いて、近くのスーパーでパンを買って食べて、午後はまた本を読む。
借りて帰る本を2〜3冊物色しているうちに夕方になって、日曜日が終わる。
そんな日々でした。
ただ、その頃は今のようにSNSもなかったし、読書について話せる友人もいなかったので、「この本が面白いよ」なんて情報交換をすることがありませんでした。
「こんな本が読みたい」というものが自分の中にあったかというと定かではないのですが、あまり失敗をしたくないタイプなので同じ作家さんの本ばかり読んでいたと思います。

高校に入学する前、読書感想文の課題がありました。
これには困りました。
まるで読んだことのない人の本ばかり指定されていたからです。
太宰治、川端康成、梶井基次郎、遠藤周作、他は覚えていませんが、10冊くらい候補があって3冊以上読んで書いてこい、とのことでした。
その時になぜか『海と毒薬』を選んで、どんよりとした気持ちで入学式を迎えたのを覚えています。
課題は嫌だったのですが、自分の意思で選んでいない本を読むことについては、良い感触を覚えました。
もちろん時代背景などもありますし、日本語自体が変化しているのもあるとは思うのですが、この人の文章は読み易いとか、こういう言い回しだと自分は理解しにくいとか、そういった自分の頭の”クセ”のようなものを感じることができました。

思い返すと、高校時代に読んだ本によって、私の基本的な価値観が定められたような気がします。
恋愛観も人生観も死生観も、その頃に熱心に読んでいた作家さんの影響がものすごく強いと思います。
もちろん大人になってからパッと霧が拓けたような作品との出会いによって、それまでの自分から大きく生まれ変わるなんてことも経験していないわけではないのですが、自分の根底にあるものはやっぱり高校時代の読書だったのだと思います。

でも不思議ですよね。
食べ物は「好き嫌いせずに食べなさい」と言われるけれど、「好き嫌いぜずに読みなさい」とは言われませんでした。
もしかしたら入学前の課題が唯一「好き嫌いせずに」読まされたものだったかもしれません。
あれは、ともすれば偏りがちな学生の頭に文豪の作品をぶっ込み、「こういうのも読めよ!」という先生たちからのメッセージだったのかもしれないと思います。

大人になると、インターネットも発達して来て、本に関する情報が簡単に手に入るようになりました。
(高校の頃は本屋に通い詰めていました)
オフラインでもそういった情報共有ができる場所があって、本を読む楽しみはどんどん広がりました。
今は読むだけでなく、書く場所も充実していて、ちょうどよくありがたい世の中になったと思います。
(高校の時なんか、『魔法のiらんど』の時代ですからね)

こうやって書く文章だって、作る歌だって、自分の頭の中に浮かんだことを紡いだものだし、それって今までに触れて来たものの影響をダイレクトに受けているな、と実感しています。
そんなふうにアウトプットされるなんて、あの頃は考えてもみなかったけれど、この文章だってきっと誰かの書き方を真似たもので、私にとっては読み易いけど、誰かにとっては読みにくいものなんだと思います。

たまたま私には本だったけど、他の人にとっては映画だったり絵画だったり、音楽もやっぱりそうかな、とにかく触れるもので作られているのだから、そういうものは『娯楽』だからってケチるのではなく、食事と同じくらい大事にしていきたいな、と思いました。

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