梅谷 菜穂 | siimee

ラオスの布で服をつくるsiimeeというブランドを運営しています。 愛すべき東南アジア…

梅谷 菜穂 | siimee

ラオスの布で服をつくるsiimeeというブランドを運営しています。 愛すべき東南アジアやラオスのことだったり、服づくりやファッションの話、駆け出し起業家の奮闘記が中心です。 92年の早生まれ。旅が好き。

マガジン

  • ラオスでみた景色

    ラオス暮らしのなかで見たこと、感じたこと、考えたことなど。

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ラオスにいて考えるようになった「消費」のあり方

ラオスで2年暮らし、自分の今後に大きく影響すると思われる価値観が変わった。それは「消費」のあり方だ。 消費とは、人間の欲望を満たすために物財を費やす行為。消費は人間生活を維持,向上させるために行われるが,この点からみれば経済活動の基軸をなす生産は最終的には消費を目的としているといえる。(ブリタニカ国際大百科事典) 人間の欲望とは色々あるけど、生きていくのに不可欠な3大欲求もそうだし、衣食住を為すこともそうだと思う。つまり、それを満たすために行う消費という行為は、生きていれ

    • 株式会社siimeeの誕生 / 法人化にあたって描く未来

      事業の一つの節目となる法人化。 この度その決意をしたのでご報告できればと思います。 2024年3月4日、siimeeは法人化し、株式会社siimeeになりました。 これまでは屋号siimeeの個人事業主として事業を行なっていましたが、このたび株式会社siimeeとして法人設立しました。 私梅谷(加藤)菜穂が代表取締役社長となり、加藤友章が取締役副社長となります。 このタイミングでの法人化の理由やこれからの決意のようなものを記せたらと思います。 法人設立のタイミングは悩

      • 旅の記憶を、服に封じ込めたい

        私のブランド「siimee(シーミー)」のコンセプトは、「旅するように、生きる服」。 どうしてこのコンセプトになったかというと、自分自身が生きる原動力になっているのが、旅に出た時に感じたわくわくする気持ちや解放感、未知の世界への好奇心だからである。 そして自分が出会ったラオスの布で、どんな気持ちを届けたいかというと、まさに旅先で感じた解放感やワクワク感だと思ったからである。 人生の中で、旅をしている時間の方が、日常より少ないのが一般的である。 多くの人は、日々仕事に、暮

        • 京都の青

          先日京都に行ってきました。 兵庫の北部にいる友人のとこへ行く道すがら、立ち寄りました。 ここのところコロナ禍でも毎年京都に行っている。 行くほどまた来たいなぁという気持ちが増していく。 京都というと、関東勢は中学校の修学旅行先の定番である。 そして私は高校の修学旅行も京都だった。 高2の終わり、修学旅行で京都に行く半年前に、同じ部活の友人2人と夜行バスで京都に行った。2008年の夏。 あの時はほんとうに定番の場所、清水寺、地主神社、龍安寺、伏見稲荷神社などを巡った。暑く

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        ラオスにいて考えるようになった「消費」のあり方

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        • ラオスでみた景色
          13本

        記事

          東京という街

          ラオスラオス言っているのに、急に東京の話。 私は東京で生まれて、ひとときの親の転勤を除いては東京で暮らし、進学し、就職した。 生まれて育ったのは東京の中でも西のいわゆる郊外だけど、電車に乗れば新宿、渋谷にもすぐ行けた。 それ以上でもそれ以下でもなく、私はその場所で人生の大半を過ごしてきたので、ここが一番の拠り所なのだとは思う。 協力隊でラオスに赴任した時は、首都から150km離れた隣県に住んだ。 首都に近い場所ではあったけど、それでもその県の雰囲気、言葉(方言)、民

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          わたしが暮らしたラオスの街の風景#2

          わたしが暮らしたラオスの街の風景#2

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          服で自由になる

          いま私は、siimee(シーミー)というブランドを運営し、ラオスの布から服をつくっている。 今のところ、デザインから生産にいたるまで、服づくりのすべての工程を自分でハンドリングしているところだ。 この仕事をしていると、「元々ファッションや服が好きだったのですか?」と聞かれることがある。 その答えはイエスともノーとも言えないところで、服やブランドには昔から興味があったけど、どちらかというとファッションを楽しみ切れずに囚われている感覚であることが多かった。 小学生の時に好

          服で自由になる

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          わたしが暮らしたラオスの街の風景 #1

          わたしが暮らしたラオスの街の風景 #1

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          起業家の休みのつくり方

          起業家やフリーランスの方たちは、どうやって休みをとっているのだろう。 ずっと事業のこと、製作のこと、考えないといけない一方で、休みの必要性を実感している。 身体の疲れもよくないけれど、心の疲れは、少しずつ蓄積して、蓄積するほどそれを取り除くのが難しくなる。 メリハリをつけて、というけれど、段取りや計画通りに動くのがあまり得意でない自分は、なかなか仕事をここまで、と見切りをつけることができない。 そんな自分流の休みのとり方として、「とっておきの休憩時間」をつくることにして

          起業家の休みのつくり方

          あの街で暮らしたということ。-3年後に振り返る協力隊の日々-

          協力隊生活の2年を過ごした街(任地)に、3年ぶりに戻った時に感じたことを、書き留めておきました。 当時はその生活がすべてなので見えなかったことも、再訪してみると少し外側から見ることができたのだと思います。 以下、2022年末に、任地再訪直後に書いたありのままの文章。 活動という点以上に、この国で、この町で暮らしたことに、どういう意味があったのか。 改めて訪問してなんだか腑に落ちた気がするので、書き記しておきたいと思う。 それは、なぜ自分はラオス人じゃないのか?というこ

          あの街で暮らしたということ。-3年後に振り返る協力隊の日々-

          服の原点を辿っていく

          いま自分が着ている服が、どんな素材で出来ていて、誰がつくっていて、どこでつくられているのか、以前までは考えたこともなかった。 そもそも工業製品として生産されている服は、「素材」と「生産国(=縫製された国)」の表示義務はあるが、素材が生まれた場所などはわからないようになっている。 ラオスでは、服が生まれていく過程が身近にある。 ひとつずつその過程を知っては、もっとその前に遡りたいという好奇心が湧く。そしてそのひとつひとつで「誰が」「どんな場所で」おこなっているのかがわかるか

          服の原点を辿っていく

          【服の物語#0】旅の記憶は、かくし味

          siimeeの服は、一つ一つに「旅で見た情景」という物語が込められている。 ラオスの布を日本に伝え、それを手に取った人にどう感じてほしいのか。 布の手ざわり。手織りにしか出せない身体に馴染むような柔らかさ。草木の力強い色。 それは「素材」としてラオスに長く在り続けたものたち。それを生かしながら、より魅力的な形にするために、加えたかったのは「旅の物語」だった。 siimeeの服をどんな人に着てほしいかというと、「旅が好きな人」だ。 もちろんこの服を旅に着ていってもいいと思う

          【服の物語#0】旅の記憶は、かくし味

          デザイン?技術?服づくりにおいて大切なこと

          ラオスでの仕立て屋さんとの出会いから、服作りを学び始めた自分。 帰国してすぐの春に、文化服装学院に入学した。 学び始めるにあたり、服作りを学ぶ目的について考えた。 自分は何を習得してどう活かしたいのか。 服作りと聞いて思い浮かぶことは「デザイン」と「縫製」だった。 1つは、デザイナーとして、自分が思い描くイメージを服に落とし込めるようになりたいということ。 それこそがブランドをブランドたらしめる、クリエイティブの要素だ。 そして2つめは縫製技術。 頭に描いたものを、形

          デザイン?技術?服づくりにおいて大切なこと

          完璧になんてなれないけれど。-起業家の裏側-

          起業家としての自分の心の中を言葉にすることで、より自分の存在を親しみやすく感じてもらえたら。そして誰かに勇気だったり挑戦したいと思える気持ちを持ってもらえたら。 そんな思いを伝えるために、noteの毎日発信をはじめます。 アパレルブランドsiimee(シーミー)を起業して、2年と4ヶ月ほどが経った。 起業のきっかけとなった青年海外協力隊の2年の活動よりも、長く活動をしていることになる。 この2年4ヶ月、計画通りに行ったことなんてほとんどなく、常に迷い続けて、時には停滞

          完璧になんてなれないけれど。-起業家の裏側-

          あの時出会った、仕立て屋さんみたいになりたくて

          いま、私は毎日服をつくっている。 デザインを考えて、それをパターン(型紙)にして、布を裁断して縫って形にする。 その過程は、それぞれ工程により頭も身体も違うところを使うけれど、一貫しているひとつの道筋でもある。 そのすべてを自分でもできるようになりたくて、この道を選んだ。 ラオスで暮らしていた時のこと。 街を歩いていると、ところどころにミシンが見える。そこでは仕立て屋のお姉さんが、ミシンを踏みながら、様々な服をつくっている。 主に作っているのは、ラオスの伝統衣装で

          あの時出会った、仕立て屋さんみたいになりたくて

          30になった日。

          noteを初めて書いたのが「27になった日。」3年前の今日。 そして1年飛んで、昨年の今日は29になった日。というnoteを書いた。 誕生日は、自分を定点観測できる日なのだ、と何年かこうして続けていると気づく。 10年前、20歳になる2週間ほど前、思い立ってタイにひとりで行った。 その時見た景色、においと、出会った人々が強烈な経験となって、人生が変わったかのように東南アジアに取り憑かれた。そのあと行ったベトナムとカンボジアも大好きな場所になった。ずっと東南アジアのこと

          30になった日。