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ラオスでみた景色

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ラオス暮らしのなかで見たこと、感じたこと、考えたことなど。
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暮らしと文化から生まれる布

ラオスの布から服をつくっているけれど、ラオスの布とはなんだろうとふと考えた。 ブランドを始めたばかりの頃、ブランドや服の紹介をするときに「ラオス」を一言目に持ってきても多くの人はラオスを知らないのでそこでシャットアウトされてしまったり、途上国の支援活動だと思われたりしたこともあった。 だから、ラオスという言葉を使わずに布の特徴や服のコンセプトの説明をしたりもしていた。 でもラオスを隠したいわけじゃない。 ラオスの布の特徴や魅力に思うところを改めて考えてみたいなと思った。

あの時出会った、仕立て屋さんみたいになりたくて

いま、私は毎日服をつくっている。 デザインを考えて、それをパターン(型紙)にして、布を裁断して縫って形にする。 その過程は、それぞれ工程により頭も身体も違うところを使うけれど、一貫しているひとつの道筋でもある。 そのすべてを自分でもできるようになりたくて、この道を選んだ。 ラオスで暮らしていた時のこと。 街を歩いていると、ところどころにミシンが見える。そこでは仕立て屋のお姉さんが、ミシンを踏みながら、様々な服をつくっている。 主に作っているのは、ラオスの伝統衣装で

ヴィエンチャンで飲んだフラットホワイト

いつでもコーヒーは、エンジンをかけてくれる。そして一緒にいる人との会話を生んでくれて、リラックスもさせてくれる。 もともと日本ではブラックコーヒーをいつも飲んでいたのだけど、ラオスは年中暑いので、なんだかカフェインにめっきり弱くなってしまった(水分補給が足りないだけかもしれないけど)。だから、ラテ系にするとマイルドになって飲みやすくて好きだった。 ある日の午後、首都ヴィエンチャンのカフェで日本人の友人とお茶をすることになった。まだ空は明るいけど午後の遅めの時間で、やはり太

「毛」問題から学ぶ自分らしさ

何が美しいとされるか、可愛いとされるかは、時代や場所によって変わってくる。それは、主観的なものだけど、外的環境に影響されてその価値観もできあがってくるのだろうか。 ラオスに来て感じたのは、ラオス人は美容にすごくこだわる。 たとえばメイクでいうと、日本では、どちらかというとナチュラルメイクが流行っているけど、ラオス人は濃いめがお好き。でも顔も日本人より濃いめの人が多いから、太くて長い眉毛も似合うし、目もぱっちりしてるから、アイラインが綺麗に映える。 髪型はきちっとまとめるのが

移動時間についての考察

ラオスにいても日本にいても移動時間がとにかく多い。 日本にいるときは、毎日電車で過ごす通勤時間。 八王子の実家から東京駅まで通っていたときは、電車に乗っているだけで片道1時間以上あった。 ラオスにいる時は、日々の通勤は10分のバイク移動だけになったけど、地方に住んでいたので首都に行くことが多かった。多い時は月に2-3回首都に行っていて、そのたびに片道3時間バスに乗っていた。 ラオス国内移動でバス3時間というと短い方で、「首都のビエンチャンから3時間で着くんですよ〜」と、

ラオスにいて考えるようになった「消費」のあり方

ラオスで2年暮らし、自分の今後に大きく影響すると思われる価値観が変わった。それは「消費」のあり方だ。 消費とは、人間の欲望を満たすために物財を費やす行為。消費は人間生活を維持,向上させるために行われるが,この点からみれば経済活動の基軸をなす生産は最終的には消費を目的としているといえる。(ブリタニカ国際大百科事典) 人間の欲望とは色々あるけど、生きていくのに不可欠な3大欲求もそうだし、衣食住を為すこともそうだと思う。つまり、それを満たすために行う消費という行為は、生きていれ

深夜のバルコニーから

今の私の家は、メコン川の支流のナムサン川に面していて、バルコニーからは川とその奥に茂る森が見渡せる。 なんとなく思い詰めた時、気持ちを新たにしたい時、バルコニーに出ると、変わらない景色がそこにはあって、いつも心を優しく包みこんでくれる。 変わらない景色だけど、表情は毎日違う。 今夜はふと、バルコニーに干していた洗濯を取りに行ったら、いつもの森が暗闇で影のようになっていて、それを覆う夜空が少し明るいことに気づいた。 上を見上げたら、久しぶりの満天の星空だった。 雨季で雨が

ラオスできこえる音

音は、目が覚めたときに、一番最初に感じるものだと思う。 寝ぼけていて視覚がはっきりしていなくても、音は無意識に、すっと入ってくる。 例えばいつもと違う場所に泊まった時も、起きた瞬間にその場所独特の音がするから、「あ、今日はいつもと違う場所に来てるんだ」と気づく。 それくらい音というのは身体にしみこんでいって、記憶と結びつく。だから、そんな「音の記憶」を残しておきたい。 今住んでいるボリカムサイのパクサンで聴こえてくる音は、鶏の鳴き声と、季節によって変わる虫の声、そして

朝の習慣

丸の内のビルで働いてた時は、毎朝地下のローソンか、お金と時間に余裕のある時はその隣にあったスタバで、コーヒーを一杯買うのが日課だった。 つねに睡眠時間短めで朝はいつも眠かった気がする。 とりあえず電車に乗って、小一時間ぼーっとして。 デスクに座ってまずコーヒーを飲まないと頭が働かないカフェイン中毒になってた。 その朝の一杯を飲むことで気持ち的にも仕事モードになれてうまく切り替えられてたんだと思う。 ラオスに来てからは、まず通勤手段がバイクになり、家から職場まで10分弱走

心のふたをはずす

茨木のり子さんの「自分の感受性ぐらい」の一説が、今の自分の心にずしんと響く。 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった ここに来る前、とてもやる気と希望に溢れていたと思う。 日本での研修の時から、人一倍張り切って、熱い思いを語っていたように思う。 いつから、崩れていっただろうか。 孤独、しがらみ、無力さ。そういうものと向き合っていく力をどんどん失って

旅のような暮らしのむずかしさ

わたしは日本で働いていた時、紀行ものを読むのが好きだった。 深夜特急・一号線を北上せよ(沢木耕太郎さん)にはじまり、ASIAN JAPANESE(小林紀晴さん)、ハノイ式生活(飯塚尚子さん)など…旅や現地での暮らしが「生」そのものとして書かれているものたち。会社での仕事に忙殺されるなかで、そういう本を読むことで、旅の疑似体験をしていたんだと思う。そして、生きる原動力にしていた。 東南アジアは、生のエネルギーをもらえるから好きだった。人の暮らしがありありとそこらじゅうに溢れ

ラオス生活で思う「ひとり」

ラオスの地方の街での暮らしは、ひとりなようで、ひとりじゃない。 そして、ひとりじゃないようで、ひとりである。 周りの現地の人たちは、私のことをとても助けてくれる。 水道管が壊れたらすぐに飛んできてくれる大家さん、ご飯に呼んでくれて日々あった事を聞いてくれる近所のママ、仕事がたまって慌てている時に一緒にお茶を飲んでほっと一息つかせてくれる同僚。 みんな、優しい。「ひとりの人を作りたがらない」ラオス人たちに何度も救われた。 でも、私はラオス人同士がしている雑談に基本は入れない

10時間の距離

私たちの環境はちょっと特殊だ。 東南アジアのある国に住んでいて、お互いの街まではバスで10時間かかる。 それも間に首都を挟んでしまっているから直通バスはなく、2日間かけないとたどり着けない。地方同士なので飛行機もない。 たぶん東京で出会っていたら、私たちの過ごし方はまったく違うものになっていただろう。 金曜日、仕事帰りに待ち合わせをして一週間の疲れをお互いねぎらいながら丸ビルの高層階かなんかでディナーをして、ちょっとお洒落なバーでお酒を飲んだりして、帰りがけにその週末に観

遠くへの手紙。

郵便局に、手紙を出しに行った。 いろいろと出したいものがあったんだけど、自分が事務所にいる時間しか郵便局も開いてないから行きそびれていて、ちょうど日本にいる父親に早急に送らないといけないものがあったので、いいタイミングだと思って、郵便局へ行ってきた。 そのひとつは、アフリカのタンザニアにいる隊員同期への手紙。 彼女とは、タンザニアとラオスにそれぞれ旅立つ前に、鹿児島での研修で3週間寝食を共にし、じりじりと暑い鹿児島の空の下で小さなその集落の家々を一緒に歩いてまわった、ちょ