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旅のような暮らしのむずかしさ

わたしは日本で働いていた時、紀行ものを読むのが好きだった。

深夜特急・一号線を北上せよ(沢木耕太郎さん)にはじまり、ASIAN JAPANESE(小林紀晴さん)、ハノイ式生活(飯塚尚子さん)など…旅や現地での暮らしが「生」そのものとして書かれているものたち。会社での仕事に忙殺されるなかで、そういう本を読むことで、旅の疑似体験をしていたんだと思う。そして、生きる原動力にしていた。

東南アジアは、生のエネルギーをもらえるから好きだった。人の暮らしがありありとそこらじゅうに溢れていて、そこから感じられる熱気が好きだった。
他の人の紀行文を読みながら、そんな生のエネルギーを早く自分ごととしてまた感じに行きたいと思った。そんな世界に長く身を置きたいと思った。

そしてそんな世界への道がついに開け、私はラオスで生活を始めた。それも外国人コミュニティのないローカルな場所。旅では絶対に入り込めなかった現地の人のコミュニティにちょっとずつ入ることができたのだ。

でも、そこで日々を過ごすようになって気づいた違和感。そこで生まれた感情は、昔旅をしていた時のような気持ちや、会社で働きながら紀行文を読んでいたときに切望していたものとはちょっと違うということ。

あの時のドキドキや興奮は、それが異世界だから、絶対にそこに入り込めないからこそ、生まれていた感情なのだと気づいてしまった。

そこのコミュニティの一員になった瞬間に、すべては現実になる。向き合わなければいけない孤独、そこで生きていくという責任。それは私が求めていた興奮や刺激とは同居できないものだった。

「旅のように暮らす」
それは、ここにいる限り手の届かない夢となってしまった。

でも、その代わりに得たものがある。
このローカルなコミュニティの中で築いていく人との信頼や、人間関係の繋がり。それはすごく安心感を与えてくれるものだった。

「外国人」という肩書きはついたままだけど、その中で一員となり、この街での人間関係の輪が広がっていく。初めて会った人でも、小さな街だからかならず共通の知り合いがいて、世間話ができて。私の居場所がここにはあって。それはとても心地良かった。

異世界でそんな安心感が得られるとは思っていなかった。
だから、「旅のような刺激」はなくても、「ずっとここにいたくなる安心感」を知ることができたから、それは自分にとって大きな発見だったのだ。



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