心のふたをはずす
茨木のり子さんの「自分の感受性ぐらい」の一説が、今の自分の心にずしんと響く。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
ここに来る前、とてもやる気と希望に溢れていたと思う。
日本での研修の時から、人一倍張り切って、熱い思いを語っていたように思う。
いつから、崩れていっただろうか。
孤独、しがらみ、無力さ。そういうものと向き合っていく力をどんどん失っていった。一つ何かが崩れると、別の何かも、がたがたと崩れていき、もはや取り返しがつかない状態になっていった。
長い長い無気力感という暗闇の中で、まったく光が見えずにいた。
自分は決して強くなかった。
変えられないカウンターパートに日々向き合うこと、生産者さんの生活をよくするための製品づくりに対する努力、自分で自分の時間を過ごしていくこと、異文化の中で知らずにたまる小さなストレス。そういうものに打ち勝っていつもポジティブでいることが難しかった。苛立つことが多くなり、大事な人に八つ当たりをし、感情の行きどころがわからなくなっていった。
でも、そんな私を責める人はいないし、ほんとは、味方がたくさんいた。
ラオス人も、日本人も、周りの人たちは優しさをたくさんくれた。
私が向き合わないといけないのは自分自身だった。
だから、今を大切に生きようと思った。
ラオスが好き。ラオスの人が好き。ラオスの手仕事に出会えたことが幸せ。
それはまぎれもない事実だから。
日本に帰る日が少しずつ近づいてきて、もっともっと、表現したいって、そんな思いが心の奥の方からむくむくと、湧いてきた。今見ているもの、感じていること、考えていること。におい、声、音、温度。
無気力感をわずらい、情熱が消えていったわたしは、心に蓋をし、喜びや感動、自然の美しさ、何も感じることができなくなり、ぱさぱさの状態になっていた。
以前のような、興味があればすぐ足を運び、そこから得たものを力にして表現していくような、そんな自分が戻ってきてほしかった。
久しぶりに聴いてみた8th MAY Recordsの音楽が、乾いた心を潤わせてくれた。水がぐんぐんとしみこんでいくような、そんな気持ちになった。
もともと向田麻衣さんの生き方や言葉にすごく感銘を受けていて、とても憧れていた。そんな彼女がつくる音楽は、やっぱり私にまた潤いをくれた。
心の蓋を開け、もっと感受性を全開にして、今しかないこの生活を思い切り楽しんでいきたい。そしてそれをたくさん自分の言葉で、写真で、表現して、明日につなげていきたい。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
自分の感受性を守れるのは、自分しかいないから。
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