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「毛」問題から学ぶ自分らしさ

何が美しいとされるか、可愛いとされるかは、時代や場所によって変わってくる。それは、主観的なものだけど、外的環境に影響されてその価値観もできあがってくるのだろうか。

ラオスに来て感じたのは、ラオス人は美容にすごくこだわる。
たとえばメイクでいうと、日本では、どちらかというとナチュラルメイクが流行っているけど、ラオス人は濃いめがお好き。でも顔も日本人より濃いめの人が多いから、太くて長い眉毛も似合うし、目もぱっちりしてるから、アイラインが綺麗に映える。
髪型はきちっとまとめるのが主流。「ゆるふわヘア」っぽくしてると「なんでそんなぼさぼさなの!ちゃんと綺麗に結びなさい!!」と職場のおばちゃんから怒られたりする。

giveを厭わないラオス人よろしく、ちょっとお祝い事があると、職場にいる女性陣たちが、そんな「ラオメイク」を私にも施してくれ、編み込みを使ったオシャレな可愛い髪型に仕上げてくれる。私もラオス人の女の子に編み込みを教わってできるようになった。

そんなラオス人の特徴を表すように、どんな田舎町にもເສີມສວຍ(読み方:ソムスワイ 意味:サロン)という、シャンプーからヘアカット、メイクやネイルまでやってくれる場所があるから驚く。(見出し写真も住んでいた場所にあったソムスワイのもの)

服も綺麗にきこなす。通勤スタイルは、上はポロシャツかスアと呼ばれるぴちっとした綺麗めのトップスに、下は必ずシン(ラオスカート)をはくし、ヒールのある靴を履いている(ほとんどみんなバイク通勤なのに)。
とにかくラオス人女性は本当に身なりを綺麗にしているのだ。

しかし、一つだけどうしても気になってしまうものがある。
「毛」だ。
頭の毛ではない、身体の毛である。

日本の電車内には、見飽きるほど脱毛サロンの広告でいっぱいである。年中、季節によってその謳い文句は変わる。
それくらい「ムダ毛は処理しないといけない。」という強迫観念に渦巻かれている。毎日。毎日。
そのような社会で生きてきたので、私も無意識に「そうでなくちゃいけない」と思うようになってしまったし、人に会う前には何度も確認しながら入念に処理をする。
それはもはや自分のためではなく周りの人の目から逃れるため、だった。

しかし、ラオスでは多くの人が処理というものをほとんどしていない。
鼻の下、腕、足、結構伸びている。
ツルツルなのが当たり前な世界から、ラオスに来たので、来たばかりの頃は正直少しギョッとしてしまった。お姉さん、こんなに綺麗なのに鼻の下目立ってる…ただでさえ慣れないラオ語なのにラオ語が頭に入ってこない…とか。
シン(ラオスカート)からスッと伸びたまっすぐで綺麗な脚なのだけど…嗚呼、気になっちゃう…とかね。
確かに欧米の女性もそのままの人が多いけど、ラオス人は日本人と肌・髪の色が似ている分、なんだかとても目についてしまったのだ。

でも半年、1年とラオスにいると、見慣れてくるからなのか、全く気にならなくなる。それどころか、たまに綺麗に処理している人に出会うと、「お!?この人はちゃんとお手入れしている、珍しい!」と思うくらいだ。

そう、だって冷静に考えると生えるのが自然だもの。それが人間の自然体なのだ。
男性は生えてても普通なのに、いつから女性はツルツルが良しとなったのだろう。
結局それは「社会の許容」なのではないか。
人体的にあるのが当たり前なものを、なくすべき、ない方が綺麗だ、というのはその社会が作り出した考えに過ぎない。
ラオス社会では、生えていても自然だ、と許容されているから多くの人がそのままで過ごすことができる。
私もそれに倣って、任地にいる時は、あまり頻繁にお手入れしていなかった(笑)。でもそのことに必要以上に神経を使わなくていいから、とても楽だった。

だったらメイクも洋服も、周りの人を意識するんじゃなくて、自分がこれがいいな、好きだな、楽だなって思えるものを選びたい、と思うようになった。
美しさって、見た目って、自分のために整えるのだったら、こんなに気持ちが楽で楽しいんだなって、気づいた。

日本に帰って来たら、電車に乗るたびに、Youtubeを見るたびに脱毛のオススメをされる。「脱毛しないと彼氏に振られる」だって?
あぁ、またこの世界に戻ってきてしまったんだ。
でも、なんだか今までと違う感覚に陥った。今までは、「毛」もそうだけど、メイクも服装も「周りに馴染むため」にしていたように思う。だからどれだけ個性を消すか、どれだけ周りに溶け込むかということを気にして選んでいたように思う。それはつまり、「社会の許容」の中の一番スタンダードな部分に自分を合わせようとばかりしていたということ。
でもラオスでそのような今まで当たり前だった価値観が壊されたことで、もっと広い「美」という意味で、周りの目のためでなく、自分が好きで、自分らしくいられるものを選びたいと思えるようになった。スタンダードの一番真ん中の標準線に合わせるのではなく、自分の好きなラインに合わせていけるようにするということ。

まあ日本社会で生きていく以上これからは「毛」についてはまた、最低限のお手入れはすると思うけど…ね(笑)。でも、「毛」からの気づきで自分らしくいたいと思えるようになるなんて、異文化での生活から学べることは、尋常じゃない。


おまけ:ラオスでの職場で、インターンの女の子が髪をセットしてくれた日の思い出。

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