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10時間の距離

私たちの環境はちょっと特殊だ。

東南アジアのある国に住んでいて、お互いの街まではバスで10時間かかる。
それも間に首都を挟んでしまっているから直通バスはなく、2日間かけないとたどり着けない。地方同士なので飛行機もない。

たぶん東京で出会っていたら、私たちの過ごし方はまったく違うものになっていただろう。
金曜日、仕事帰りに待ち合わせをして一週間の疲れをお互いねぎらいながら丸ビルの高層階かなんかでディナーをして、ちょっとお洒落なバーでお酒を飲んだりして、帰りがけにその週末に観たい映画のDVDをレンタルして一緒にどちらかの家に帰る、なんて。きっとそんな過ごし方。


首都でみんなと一緒に過ごすことが多かった中、初めてちゃんと二人で過ごしたのは、相手がすむ街で。
バスに乗ってガタガタ道に揺られ、土まみれになりながら、そしてすぐ隣にいた鶏の鳴き声をひたすら聞きながら。ようやく着いたその街。

現地の人たちを交えてひたすらビールを飲んだり、藍染の村でのんびり過ごしながら二人でサイクリングをしたり。途中立ち寄ったメロン畑の家族とお話をしたり。日本人は私たちしかいなくて、ゆったりとした空気に身を任せて。
知り合ったばかりではないのに、たくさん顔を合わせているのに、二人きりで話したことがなかったからなんだか顔がうまく見れなくて。でもたくさんお互いのこと、過去のこと、これからやりたいこと、いま考えていることの話ができて、すごく近くに感じた。

東京みたいに、お洒落なカフェもレストランもないけれど、そこにあるのは商店やローカルな食堂、ただ広くゆったりとした風景だけど、でもそれでもいいなと思った。

この国、この街にしかない風景が、空気が、私たちの時間をより特別なものにしてくれたような気がした。

それこそが、今しかない、私たちの特別な瞬間だったから。


それから首都で会う時も、基本的には他のみんなとの共同生活になるので、なかなか二人きりにはなれないけど、そんな時はほんの少しの時間をとって、メコン川沿いをお散歩する。夜の闇に包まれてメコン川を前にすると、なんでも言える気がする。素直になれる気がする。

そんな過ごし方がもどかしく思う時もあるけど、金曜日の高層ビルでのディナーが恋しくなる時もあるけど、きっと何年も時間が経ったら、心の奥がきゅんとなるような懐かしい、愛おしい瞬間に変わるのだ。

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