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なんとかなる。なんとでもなる。




・生きている限り


実は、私は30歳の頃に、一度死んだことがある。
俗に言う、臨死というやつだ。心肺停止。
医学的、生物学的にいう、完全な「死」だった。


だから、人は生きている限り「なんとかなる」
そして「なんとでもなる」と、私は思っている。


バイタルを計測するモニター。生命維持装置。
誰もが、一度はドラマなんかで、見たことがあるだろう。

あのモニターの表示が、ツーー…… と、一本線になってしまった。電気ショックが与えられたが、復活の兆しがなかったという。

いわゆる「ご臨終」という状態。

もうこれ以上、医学的処置で出来ることはない。
「この患者は、死亡」と、判断された。

医師が、すぅっと静かに息を吸い込み……
臨終が告げられそうになった、その時だった。


……ツッツー、ツー、ピコン!
ピコン、ピコン、ピコン……

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突然、心拍と脳波が、謎の復活。心臓が再起動して、血圧が戻り始める。なんと息を吹き返した!! ……らしい。


らしい、というのも仕方のない話。
当の本人の私は、後から主治医や家族から、聞かされた話だからだ。

ごく稀に、あることはあるらしい。
だが医学的には、全く信じられない、本当に嘘のような、謎の話だったそうだ。



・父の通夜での出来事

その年の初め、父が急逝した。
58歳という若さだった。

深夜、棺の中で眠る父を1人、いつまでも見つめていた私。
涙が溢れて、止まらなかった。

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誰もいないと思っていた、その時。
不意に、後ろから私に声がかかる。

母が泣きながら言った。

「泣かんといて…… なえちゃんが泣いてたら、お母さんどうしたらええのかわからへん……   お父さん…… 死んでしまわはった…… なえちゃん、泣かんといて……」


母はひとりで泣く私を見て、たまらず声をかけたのだろう。
ひとりで悲しみをかみ殺していた私を、励ますつもりだったのだと思う。


しかし、私はその時から、泣けなくなってしまった。
人前ではもちろんだが、家族の前でさえ、涙を一切流せなくなってしまった。

「私は、泣いてはいけない」

そんな強い心理が、心に蓋をしてしまったのだ。

憔悴しきる母を支えて、長女の私が葬儀の全てを取り仕切った。幼子を抱える弟たちも、何も出来ずに私を頼ってきた。

今思い返すと、
私は極限状態まで来てしまっていたのだろう。

身体の不調も、悲しみを表に出せない心も……
自分自身で、見て見ぬふりを続けてしまった。

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・突然訪れた恐怖

父の忌明け法要を無事に終えた、5月初旬のことだった。
妙なふらつきを覚えて、私は仕事先の母に電話した。


「お、お母さん…… 仕事中ゴメン……
なんか……、身体の具合がおかしい……
今日…… いまから……、早退できひんかな……
帰って…… きて…… ほしい……」

そこで、私の記憶は途切れている。

慌てて帰宅した母。
そこには、
受話器を持ったまま、倒れている私がいた。


次に私が目を覚ましたのは、いつも行く総合病院だった。
検査の結果は、急性髄膜炎。
ICUに移され、あらゆる治療が施された。
しかし、容態は回復の様子が全く見えなかった。


その頃の記憶は、曖昧にしか残っていない。
とにかく身体がだるく、起きていられなかった気がする。

その数日後、さらに容態が急激に悪化。

その総合病院では、対処出来なくなってしまった。
即座に、日本赤十字病院のICUに、救急転送された。

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その時、私の体内では複数の炎症が起きていた。

同時多発テロの如く、脳炎、髄膜炎、肺炎、肝炎、腎炎、膵炎、胃炎、大腸炎……

いわゆる「急性多臓器不全」というやつだ。
一番危険視されたのは、左脳側頭部にできた炎症だった。
あり得ない程に大きな炎症が、傷跡となってモニターに映し出されていた。


「この傷が消えてくれるのかどうか、今の医学では正直わからないのです。この傷が残る可能性の方が大きい。そうなると恐らく何らかの障害が出ます。しかし、それがどんなものになるのか、我々にも全く予想がつきません。

このまま、目を覚まさずに植物状態ということもあり得ます。治る見込みがあるのかどうかも…… 本当にわからないのです。
……本当に…… 申し訳ありません……
しかし、我々もできうる限りのことをします。
最善を尽くさせて頂きます。

ただ、もし、無事に目を覚まされたとしても、傷がこのまま消えなければ脳幹を圧迫して、最悪の場合は……」

その言葉に、弟たちは医局長の胸倉を掴み、壁に押しつけて泣き叫んだ。


「先生は医者でしょうが!! 親父が死んで間もないのに、姉貴まで死なせんとってくれ!! 
頼んます!! 姉貴と……!! 姉ちゃんと!! もう一回、話せるようにしてください!!」



・一方、その頃……


生きている世界で、何が起こっているのかなど、露知らず。
亡くなったはずの父と、私はのんびり2人で話していたのだった。


「あれ? お父さん……?
ちょっと前に死んだやんね?? こんな所で何してんの??」

そう話しているのに、違和感はなかった。
父は大島紬の着物姿。棺で眠っていた時の姿だ。
私はなぜか、パジャマ姿で裸足だった。

キラキラ輝く、浅い透明な川に、足首まで浸している。向こう岸には、花畑のような草原が広がる。明るく、なんとも美しい場所が見えていた。

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「おおー! お父さん、なんかあっち、渡って行けそう!! お花も咲いててきれいやし、なんか明るいし、行ってみよ!!」

「ちょっと待て。
お父さんの背中の羽を見せてやるから、こっちこい」

父は着物の上に生えている、手のひら大くらいの翼を見せてくれた。

「お父さんなぁ、この羽が小さいから、まだちゃんと飛べへんのや」

照れくさそうに笑う父。
背中の羽が、パタパタしている。

「ちょ! なにそれ!? かわいいんですけどっ!!
私も欲しいっ!!」

ここまで、やはり全く何の違和感もなく話していた。
それでも、父が亡くなったことは、ちゃんと理解しているのだ。なんともいえない、不思議な感覚だった。

父は続ける。

「あのなぁ、お前が帰ってくるの、みんなが心配して、待っててくれてるんやぞ? お母さん心配させたら、あかんやろう、お父さん許さへんからな? わかるやろう? 
お父さん、ここで見ててやるから、その道を真っ直ぐ進んでいきなさい」

「えー、でも、あっちの方が明るいやん?
そっちの道、暗いし、岩だらけでゴツゴツしてて、なんか怖いし~……  私、裸足やから怪我してしまうやん。 なんか、イヤやぁ~……」

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まるで子供のように、だだをこねて渋る私。
厳しい顔つきながらも、優しい声で、子供を諭すように言う父。

「ほら、お母さんが呼んではる。聞こえるやろう? 
もう大人なんやし、アホみたいな、わがまま言うな(笑)  
お前は、これからも大丈夫や。何があっても、絶対に大丈夫やから、お父さんを信じろ! お母さんのこと頼んだぞ? 忘れるなよ? 
あ、お父さんの包丁もな!? たまには研いで、磨いてくれよ? わはははは!!」

いつもの大声で笑いながら、
父が急に、ドン!! と、私の背中を押した。


その途端、私は真っ暗な道に吸い込まれた。
今、目の前にいたはずの父の姿が、急激に遠くなる。
地面が無くなり、落ちていくような感覚を覚えた。


「うわあああ……、おとーさーーん!! 
いきなり何すんのっ!! 笑い事ちゃうんですけどー!!!
……ってぇ、ええっ!? これって、どこまで落ちるんーーーっ!?」


なぜか、不思議と考える余裕があった。

その瞬間、突然何かにドカン! と、体当たりされた。
しかし、その衝撃のわりには、どこも痛いところは無いような感じだ。


「んぎゃーっ!! って……、ん? 
あれ? 痛くない??」

そう思いつつ、ゆっくりそ~っと、目を開けた。

いくつもの見知らぬ顔が、私を取り囲んでのぞき込み、唖然としている。

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・生還したものの……


「うわっ! 生き返ったああ!!」だの、「きゃーっ! よかったぁー!!」だの、「やったー! 目を開けたぞっ!!」だの……

なんだかとても騒がしい。

「誰か知らんけど、なんだぁ? 
なに? なに?? 誰かが生き返ったの~?」

…… あれっ!? えっ!?

声に出そうとしたが、声が出ない。
手を動かそうとしてみたが、動かない。

ええっ!? 身体が全く動かない!? 
嘘でしょっ!?


「なえさん! なえさ~ん!! わかりますかぁっ!?」
「私たちの声が、聞こえますか!? 何か反応できますかぁっ!?」

驚いた表情の医師らしい人たちが、懸命に私に声を掛けてくる。


耳は聞こえている。頭も正常に、判断できている。
医師の問いかけに、私はゆっくり瞬きで反応した。

ただ、ピクリとも身体が動かせない。水も飲むことが出来ない。全く声も出せない。言葉が話せなくなっていた。

なんと私は2ヶ月近く、意識不明のままでICUにいたというのだ!!

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私の人生は、どうやらそこで、一度リセットされたようだった。

全てを自分自身の力で出来るようになるまで、1年近くのリハビリを要した。それでも医師たちは、奇跡的、驚異的な回復だと、驚愕していた。

そこからの私は、自分自身の人生を、もう一度最初からやり直すことになる。

すべて、なにもかも、赤ちゃんからの状態。人生の一番初めから。ひとつずつ、なんどもなんども、ひとつずつ。TRY & ERROR を、なんどもなんども、繰り返しながら。

水を飲むところから、固形物を噛むこと、飲み込むところから…… 言葉を発する練習から、鉛筆を持つこと、文字をカタチとして書くところから…… 感情を表現するところから、両足で立ち上がるところから……


母には、私自身を2度も、イチから育ててもらったことになる。いや、私は育てさせてしまったのだ。

「この子は大丈夫! 必ず元に戻る!!
お父さんが護ってくれてる! 私がいる!!
この子を愛してくれている人がいる!
だから絶対大丈夫!!」

海のように深い母親の愛情、大地のように揺るがない親の信頼。こればかりは、私が生涯をかけても、返し尽くせるものではない。


・死ぬということ、生きるということ


それ以来、「死」と言う事が、どういうことなのか。
「死ぬ」と言うことは、どういうことなのか。
私は、ずっと考えてきた。

体感としての「死」を経験した。
故に、「生きること」の「奇跡」と「素晴らしさ」を、身体で理解した。子供がゼロから全てを体得して、学んで育っていく奇跡を追体験した。


だから、断言できる。

不安や恐怖は、自分自身の未知と無知が創り出すものだ。
つまり、幻覚だ!!

心配しなくても、死は命あるものには、誰にでも平等にいつか必ず訪れる。生き急いだり、死に急ぐだなんて、慌てる必要など、どこにもない。


だから
「君死にたまふことなかれ」なのだ。


どんなに辛くても苦しくても、生きていればなんとかなる!
どんなに大変なことが起きても、生きていればなんとでも出来る!!

だけど、死んでしまっては、何も出来ないのだ。
例えそれが、寿命であったとしても、天命を全うしたのだとしても。
死んでしまってからでは、遅いのだ!!


どうか
「君死にたまふことなかれ」

それ以来、私は本気で、そう思っている。
誰よりも尊敬する父が、死してなお、私に太鼓判を押してくれたのだから。


私は生きる。 
命の炎が燃え続ける限り、この命を全うしてみせる。

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・伝えたい想い

私の勝負曲:” Beautiful ”  by Superfly


これから、チャレンジする人たちへ……
そして、
これからも、チャレンジし続ける人たちへ……

成功しようが、失敗しようが、
そんなことは、後からでいい。
1人じゃナイから!!

成功したなら、もっともっと遠くへ羽ばたけ!!
失敗したって、また何度でもやり直せばいい!!

まずはやろう! やってみよう!!

自分を信じるだけでイイ! 
他と比べるなんてナンセンス!!
自分自身を信じて、チャレンジし続けることに、意味があるのだから!!

君でイイ!! 
君だからイイんだ!!
世界でたったヒトツの、輝くホンモノの光になればいい!!

だからどうか、精一杯、懸命に生き抜いて!!
そんな君に、幸あれ!!

最後に、心から、この言葉を贈りたい。

「なんとかなる! 

   なんとでもなる!!」



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💐 プロフはこちら!! 寄ってってね!!💐




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