見出し画像

すべては自分の内側に


何が"幸せ"なのか
その定義は生きている時代や国によっても
違うと感じます。

ご飯が食べられない国では、
その日ご飯が食べられたら幸せ。

教育が受けられない国では、
学ぶことができて、言語を話すことができたら幸せ。

戦争をやらされている国では、
生きていて、命があることが幸せ。
生き抜いた先に命を脅かされない暮らしが
あるならばそれが幸せ。

女性が選挙権のなかった時代は、
選挙権が得られて女性も国に対して
意思表示できるようになることが幸せ。

身分差別があった時代、
好きな人と結婚できなかった時代、
女性から離縁ができなかった時代、
幼い頃から働かなければいけなかった時代。


きっと、その時代ごとに
" こうだったら幸せなのになぁ "
" こうできたら幸せなのになぁ "



想いを馳せていたのではないかなと
思います。


想いを馳せるなんて生易しいものでも
なかったかもしれません。
歯を食いしばり、薪の上に臥して、時代に翻弄されながらも必死に生き抜いていたのではないでしょうか。


では、
今の日本における
" 幸せ "って何でしょうか?


先にあげた幸せは、有難いことに日本では
ほとんどの人が手に入れていると思います。

・毎日ご飯が食べられる
・教育が受けられる環境がある
・平和に暮らしている
・身分差別がない(差別は未だ顕在するが)
・女性にも政治家を選ぶ権利がある
・好きな人と結婚できる権利がある
・女性から離婚をすることもできる
・幼い頃に働かず、学校に行き学ぶことができる....



"こんなにも与えられてるのだから、
私たちが幸せであることに間違いない"

という考えは少々強引かなと
私は思います。


これらを生まれながらに手にしている
私たち日本国民の多くは
今、胸を張って幸せと言えるのでしょうか?


そんな日本において、
改めて" 幸せ "について考えてみると、


何かを与えられたり、
手に入れることが幸せではなくて、
何かを自分の行動によって手に入れる過程が
とても重要なんだと思います。


私は今、幸せだと胸を張って言うことが
できます。

それは日本に何の不満もないからでも、
今の生活に何の不満もないからでも、
ありません。


不満はめちゃくちゃあります。笑 


でも、その不満やもっとこうだったらいいなぁと思うことに対して自分で向き合って、
解決しようとしたり、自分なりに行動をすることが幸せなんだと思います。


あなたにとって全てが"満足"な世界を
作ってあげられるけど、どうする?と
神様が言ってくれたとしても断ります。


そのために行動するのが
楽しいんだから見守ってて🤗と。


そう思えるようになったのは、
本当に最近です。


今までは、ぷよぷよに出てくるような
みんなが優しくて平和な世界だったら
良かったのになぁとか、
ちいかわのような世界に生まれたかったなぁと完全な世界をよく妄想していました。


不完全な世界であることや
まだまだ自分自身が未熟であること
社会や仕事や生活に不満があること。


それが何よりも幸せの種であることに
最近氣付きました。


不満があるということは、
" 自分が本当に求めていること"に
氣付く小さなきっかけにすぎない
んです。


だから不満に思うことも人によって
違いますよね。

私たちは今あるもの、与えられた物や環境だけでは満足できなかったり、幸せだって思えなかったりする。

不満を感じることや無いものばかりに目を向けて無いことや足りないことを不幸せに思うのではなく、

全ては、
" 私たちが幸せになるために存在する "
そう思えるだけで心が軽くなりませんか?


本当の幸せは、
誰かが幸せになったら、
誰かが不幸せになる
というように
奪い合うものでも
比べ合うものでもない
と思います。


私たちは、それぞれが
みんな幸せになることができるんです。
そのためにそれぞれ違う
価値観と思考と不満を持って生きています。


"お金"が私たちを幸せにするわけでも
"結婚"が私たちを幸せにするわけでも
"名誉"が私たちを幸せにするわけではありません。

それぞれの想いや考えに従って
自分で行動していく過程に全て詰まっていて
それが人生の大部分です♡

"幸せ"に生きましょう🤗✨✨

励みになります♡♡ ありがとうございます♡これからも環境や健康についての 投稿をしていきます^^