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能楽教室にて

「はじめての能楽教室」(全12回)に申し込んでみた
昨年(2020年)の秋冬、能楽堂で行われる「はじめての能楽教室」という講座に参加をした。全12回の通し稽古だ。

数年前から寺でこの教室のフライヤーを設置していて、いつか自分でも参加してみたいと思いながら、日程が合わず。2020春夏期になりようやく全日程参加できる、、!とガッツポーズし、意気揚々と申し込んだ。

結局、2020春夏期はコロナ自粛で延期となって、秋冬の再日程で受講する運びとなった。秋冬は寺の行事も多く、全日程参加が不可能と判っていたもののそこは乗りかかった舟、通うことを決めた。

11月に初回。週に1回程度のペースで11回の稽古をつけていただき、2021年2月に本舞台で発表会。私にとって久しぶりに「何か新しいことに挑戦する」機会で、どんな経験となるか、ワクワクしながら稽古に足を運んだ。

しかし肝心の稽古には疑問も
ところが通い出したは良いが、「何をやっているのか分からない」という壁にぶつかった。もちろん「まずはやってみる」「習うより慣れろ」が肝心とは承知している。寺の修行もまさにそうだ。
しかしこの講座は素人向けで全12回で完結する教室。初回から、ただ言われるがままに発声し、所作をつけていただきながら、いま何をやっているのか?どんな物語なのか?全容も判らずではあまりにお粗末。自分自身が困惑したので、稽古をつけて下さっている演目の内容を調べてみた。

『土蜘蛛』という。

舞台終盤に、蜘蛛の糸が放物線を描いて宙に浮く演出があり、ショー的要素が強く、見た目も華やかで人気だというが、その内容を知ってゾッとした。

京都の治安を守る、武勇に名高い源頼光(ツレ)は、最近体調がすぐれない。そこで侍女の胡蝶(ツレ)は薬をあつらえてもらい、頼光のもとへ届ける。頼光の従者(トモ)の取り次ぎもあって胡蝶は頼光と面会するが、頼光は弱音を吐くばかり。その夜、頼光がひとり休んでいると、怪しげな僧(前シテ)が現れ、病気というのもみな我がなす業わざであると告げる。僧は蜘蛛の化け物となって頼光に糸を吐きかけるが、そばにあった刀で斬りつけられ、退散してゆく。騒ぎを聞きつけた頼光の家臣・独武者(ワキ)は血の跡を見つけ、軍勢(ワキツレ)を従えて追ってゆくと、葛城山中の古塚に行き着いた。軍勢が塚を崩すと、蜘蛛の精(後シテ)が正体を現し、軍勢を散々に苦しめるが、軍勢の奮闘によって遂に討ち取られるのであった。
銕仙会HPより抜粋)

コレ、読みようによっては、“お上に逆らうものをよってたかってリンチする”という国粋主義賛美ですよね?

なぜ?今この演目なのか
日本の昔話に描かれてきた「鬼」などが、異形なもの、異国のものを指していたケースは多いだろう。集団生活と異なるものを排斥してきた文化はこの島国に脈々と根付いている。「土蜘蛛」で描かれる蜘蛛も、中央に従わない輩、と置き換えて読めば、娯楽物と割り切って楽しめる作品ではない。

2020年代、昭和も遠くなりにけり令和の今、この演目を選ぶ理由はどこにあるのだろう?

これほどまでに多文化共生が世界的に喧伝されている今。入管法改正のニュースが、ミャンマーの動向が、BLACK LIVES MATTER以降ことセンシティブな人種の問題が、地上波でも連日取り上げられている昨今。昨年来のコロナ禍の日本政府のグダグダな対応に、オリンピックへの煮え切らない政治判断に、日々日々フラストレーションを募らせている現在。こんな中でよくもまぁ

「お上がベスト、異論にはリンチ」

という演目を「はじめての能楽教室」の題材に選ぶセンスのなさ。それを素人に演じさせる意図は何よ?驚きを通り越して怒りに近いものを感じます。

一度でもつまずいたら前途を絶たれ、失言ひとつすれば再起不能になるまで袋叩きにする、忌まわしき現代日本の悪習。『土蜘蛛』は、そうした悪習が現代に始まったものではなく、古来から続いてきたことを示していた。

「昔から日本はそういう土地なんだよ。お上に迎合しなきゃ活路はないよ」

ってか?だとすれば、受講者にこの演目を教え込む能楽堂の姿勢を疑いたくもなる。

形骸化してしまったならそれは残念なこと
能楽の出来始は、河原者たちの反体勢・反権力の芸能であったはずだ。
それがいつしか体制側にまわり、「土蜘蛛」のような、中央集権賛歌の演目が大事がられるようになってしまった。王土王民思想といってもいいだろう。いずれにせよ骨抜きにされて体制側に迎合してしまったということだ。そうした演目を、まさかこの2020年代に自分自身が演じることに魅力は感じないし、片棒すら担ぎたくない。

まっぴらごめん。勘弁してくれ。

通う気持ちは急速に萎えてしまって、そこは大人なので丁重にご連絡をし、講座を辞した(参加費はもちろん返ってこないが、やむを得ない)。

しかし能が培った「型」には魅力を感じ続けている為、いつしかまたタイミングが訪れたならば、別の機会、何かの稽古には通いたいなと思っている。


<了>


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