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【映画感想文】宝塚を観てきたんだけど超よかったから話を聞いて、聞いて! - 『鴛鴦歌合戦』監督:マキノ正博

 宝塚を観てきた。人生2回目だった。大学の同期で宝塚フリークの友だちから『鴛鴦歌合戦』を原作とした公演があるとLINEで教えてもらったのだ。わたしは映画マニアなので、がぜんテンションが上がった。

 と言っても、『鴛鴦歌合戦』の映画を見たことはなかった。タイトルだけは知っていた。日本映画界のロイヤルファミリーことマキノ家の長男・マキノ正博が戦前に手がけたミュージカル。噂では聞いていたけれど、なかなか鑑賞する機会に恵まれなかったのだけど、せっかくならと調べてみたらAmazonプライムにあるではないか!

 と言うわけで早速見てみた。

 長さはわずか60分。ジャズ調の音楽をバックに主演・片岡千恵蔵などクレジットが流れたと思ったら、時代劇然とした舞台セットに「お富ちゃんたら、お富ちゃん♪」とこれまた江戸情緒あふれる歌詞が聞こえる。でも、サウンドは見た目と言葉に反してひたすら西洋風。このアンビバレントな演出が最後まで続くへんてこりんなオペレッタ。

 加えて、内容もめちゃくちゃ。骨董ぐらいの父親の借金に苦しむ町娘(市川春代)は隣家に暮らす浪人(片岡千恵蔵)と惹かれ合っている。でも、浪人はモテモテで、殿様や金持ちの策略に巻き込まれ、不本意にもすれ違っていく。だが、最終的には悪漢どもに絡まれた町娘を浪人が救いハッピーエンド。正直、映画として軽いにもほどがある。しかし、踊りたくなるような軽妙な音楽との相性は抜群で、「ほー。いいじゃないか。こういうのでいいんだよ」とわたしの中の井之頭五郎は大満足。

 ただ、一点、気になるところはラストシーン。町娘の父親は骨董品を買い漁っていたのだが、すべて、贋物だったと判明。絶望のふちに叩きのめされるも、長年、愛用していた壺がとんでもない名器であると判明。町娘と二人、これで金持ちになれると喜ぶのだが、その姿を見て浪人は冷たい表情。町娘が「どうしたの?」と尋ねたところ、彼曰く、

わしは金持ちは嫌いだ! ことに成り上がりの金持ちはなお嫌いだ。お春さん。お前さんは金持ちを好きな人と一緒になりなさい。わしは引っ越した。うるさい!」

 と、一喝。すがる町娘を袖にするではないか。

 ええー! なんでー!

 わたしは戸惑った。声を出してしまった。自分が大事なセリフを聞き逃したんじゃないかと思って巻き戻して何度も確認した。だが、間違いはなかった。

 いやいや、それはないだろう。片岡千恵蔵、あんた、お春さんと色々なことを経験し、心と心で通じ合っていた感じだったじゃんかぁ。お春さんはなにもずるいことをして金を稼いだわけじゃなくて、たまたま持っていたものが貴重だっただけで、銭ゲバを否定するみたいな態度をとらなくてもいいでしょ。ってか、なんなら、あんたの方が金で態度を変える嫌なやつだよ。マジで、マジで。

 そんな風に大きなモヤモヤだけが残った。

 この問題を放っておくわけにはいかなかった。ぜひとも2023年に復活した『鴛鴦歌合戦』ではどのように説明がなされているのか気になった。

 そして、行ってきました。東京宝塚劇場。

 もうね、超よかった! ゴージャスだし、カッコいいし、キラキラ綺麗だし、三時間があっという間。最強に幸せでした! みたいに語彙力が低下してしまうのは、宝塚を観るのが久々だったので仕方なし。

 してみれば、正直、『鴛鴦歌合戦』に関する疑問なんてどうでもよくなりそうだけど、舞台を見て、公演プログラムの解説を読んで、わたしの疑問はすべて解決してしまったのだから驚きだ。

 前述の浪人の支離滅裂な一言について、脚本・演出の小柳奈穂子さんはこう書いている。

マキノ監督の自伝を読むと、特に前半生に撮った映画のほとんどが、父親の借金を返すためであったことが分かります。唐突とも思える礼三郎「私は金持ちは嫌いだ!」というセリフは監督の本心だったと思うのですが、「とかく世の中って、こうしたもんらしいよ、日傘さす人、作る人ってね」と書いたのも同じマキノ正博監督。

公演プログラムより

 なるほど、そういうことだったのね! マキノ正博監督の問題が現れたセリフだったからこそ、重く、全体の軽いノリと浮いて感じられたのだと腑に落ちた。

 また、ジャズ調の音楽について、笹川慶子教授(関西大学)の解説にある一節。

驚くのは、この影ひとつない幸せに満ちた愉快爽快な映画が実は1939年の12月14日の日本で公開されていたことだ。1939年は映画法が施行された年である。

公演プログラム

 これを読んで納得せざるを得なかった。戦争に突き進んでいた当時の政府は総力戦体制を整えるため、映画をガチガチに検閲しにかかった。まだ太平洋戦争が始まっていなかったとはいえ、そんな中でハリウッドっぽいミュージカルを作れるはずはなかっただろう。もちろん、思想的なメッセージを込めることだって難しかったに違いない。それでも、アメリカの自由さあふれるエンターテイメントを実現するにはどうすればいいのか? そんな苦肉の策でひねり出された解答こそ、『鴛鴦歌合戦』だったのだ。

 このことに気がついたとき、2023年の日本で『鴛鴦歌合戦』を舞台としてリバイバルさせることの意義をわたしは強く感じた。

 タモリが「新しい戦前」と称したように、現在、世の中には不穏な空気が漂っている。まだ、表現に規制がかかってはいないけれど、それがいつまで続くか、誰にもわからない。1939年の映画法だって、当時の映画界からしたら寝耳に水。だとしたら、いま、マキノ正博監督が表現したくて表現できなかったものを復活させなきゃならないではないか!

 その視点で小柳奈穂子さんの手がけた『鴛鴦歌合戦』を鑑賞したところ、わたしがまず感動したのはカラフルな着物や傘がステージいっぱいに花咲いたこと。白黒映画に命が宿ったような衝撃があった。

 また、映画が60分なのに対して、舞台は90分。30分も要素が足されているわけなのだけど、恐らく、『フィガロの結婚』をモチーフにしたコメディだったり、モーゼのような王の帰還テイストだったり、西洋的なモチーフがふんだんにトッピングされていた。

 そんなもの、こんな和風な世界観に合うはずないけど、結果しっくりきているあたり、やっぱりマキノ正博監督は意図的に作っていたのだろう。そして、それを見抜き、見事にパズルを完成させた小柳奈穂子さんの手腕は本当に凄い。

 なにより、この足し算があったことで例のセリフ「私は金持ちは嫌いだ!」に論理的な説得力が与えられているのは特筆に値する。詳しくはぜひとも劇場か配信で本公演をご覧になって頂きたい。これはね、観る甲斐ありますよ。リアルガチで。

 しかし、本当に宝塚よかったなぁ。また行きたいなぁ。今度、インド映画の金字塔『RRR』をやるらしい。『鴛鴦歌合戦』みたく華麗なアダプテーションになっているのか、あるいはカレーなアダプテーションになっているのか、この目で確かめなければ!

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