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【映画感想文】「うんこ召し上がれですわ」中島らも原作の未配信でDVDも出ていない映画が嘘みたいに面白かった - 『Lie lie Lie』監督:中原俊

 それはYouTubeのレコメンドで勝手に流れてきたんだと思う。公式なのか、定かではないからリンクを共有はしないけれど、ある映画のワンシーンだった。

 テレビのトーク番組らしき落ち着いたセットに若き日の豊川悦司と佐藤浩一が座っている。向かいには評論家然としたおじいさんが座り、ある文学作品について語っている。

「作品の出来が良過ぎるんだよ。ペイシェンス・ワースの作品っていうのは、はっきり言って駄作以前のものでね。文学少女がおっかなびっくり習作に挑んでみたくらいの水準だ。それに比べるとこの本はよくできている。無垢で静謐で美しい作品だ。もちろんペイシェンス・ワースの冗漫な文章とは全く文体が違う。これは明らかに別人が書いたものだ」

中原俊『Lie lie Lie』より

 これに対して、インテリっぽい豊川悦司が答える。

「あー、先生のご質問にお答えしますと……。まず内容の点ですが、私はこのペイシェンス・ワースという女性は本来非常に文才のある人だったんじゃないかと考えます。ただ、最初のコンタクトの状況がとても悪かった。かつての作品はウィジャ盤というこっくりさんのようなものを媒介にして書かれています。つまり、大変時間がかかる。例えば、そうですね。Aという字からBという字に行くまでの間に、霊媒であるパール・カーン夫人の混濁した意識がそこに流れ込んで文章をミスリードしてしまう。そういうことが多々あったと思います。それに対して今回はウィジャ盤ではなくて電算写植機です。意識の流れのままに打てる。この違いのお陰で交信状態が素早く、しかもクリーンになったと考えざるを得ません」

中原俊『Lie lie Lie』より

 状況を察するに豊川悦司と佐藤浩一はペイシェンス・ワースという女性の霊を降臨させて、電算写植機でなんらかの文学作品を発表したらしい。そして、そのクオリティがあまりに良過ぎたので、評論家に捏造であると指摘されてしまった。きっと、そのままでは売上に影響するということで公開討論を開催。反論を試みているのだろう。

 その後、原文を見せてみろということになり、豊川悦司は英文を提出する。評論家は訝しそうに読みながらも、これは中世の英語で書かれていると認める。

 ちなみにペイシェンス・ワースというのは1912年にウィジャ盤(日本でいうこっくりさん)を楽しんでいた二人の婦人に降りてきた霊であり、自ら17世紀の生まれでイギリスからアメリカに移住したけれど、ネイティブ・アメリカンに首を切られて殺されたと経歴を語ったとされている。そんな彼女はこの世への未練からいくつかの小説をウィジャ盤で執筆し、当時、出版されて真偽のほどが議論を呼んだらしい。

 どうやら、豊川悦司と佐藤浩一のもとにそんなペイシェンス・ワースが再び降りてきたらしい。あるいは降りてきたということにしているのか。

 普通に考えれば、インチキくさい展開に評論家のおじいさんは原文とされる文章を読んでも、なお、納得がいかない。

「それでも私は否定するね。幽霊は文学をやらん。なぜなら文学は人間のものだからだ。神のものでも、動物のものでも、死者のものでもない。生者である人間だけが成し得る、崇高でしかも愚かな行為なんだよ。言葉は霊媒の口から降りてくるものではない。我々の内なる矢が言葉だ。言葉は生者のものでなくちゃならん。違うかね?」

中原俊『Lie lie Lie』より

 すると、それまで黙っていた佐藤浩一が口を開く。

「先生は生者生者とおっしゃいますけど、俺は岩や水の方が羨ましいな。岩や水はもがいたりしない。我々の内なる矢が言葉ですって? 人間は生きていることが異様だし、不安だから言葉を作ったんじゃないですか? 卑怯なんですよ、人間は。俺は写植屋だから毎日そんな言葉を打って暮らしてますけど、打ってて一番嫌なのは先生の言う文学だな。原稿が匂うんですよ。臭いんですよ。みんなインキの代わりにクソを使って書いてやがる。生きてくための愚痴を長々とね。俺はそんなことならむしろ幽霊に書かせてやりたいですよ。死んだ人たちの言葉の方がどれだけ清々しいか」

中原俊『Lie lie Lie』より

 ここから評論家と意見がぶつかり合っていく。幽霊に文学をやる必要がないだろって言われたら、そもそも作家だって何かに取り憑かれてものを書くわけで、本質的には幽霊が書いているのと変わりはないと返す。

 そして、これ以上、話しても埒が明かないとばかり、佐藤浩一はタバコを取り出し、そのままスタジオを出て行ってしまう。その背中に向かって評論家は「なんでペイシェンス・ワースなんてやつを呼んだんだ。どうせ呼ぶならシェイクスピアを呼べ!」と怒鳴りつける。

 直後、カメラの前に豊川悦司がぬっと現れて一言。

「シェイクスピアはね、もう成仏したんですよ」

中原俊『Lie lie Lie』より

 5分に満たない映像だけど、あまりにも刺激的で鮮やかで、ワクワクが止まらなかった。ストーリーも素晴らしいし、役者の演技も完璧。かつカメラワークもシンプルながら冴え渡っていて、ぜひとも全編見たいと思った。

 タイトルは『Lie lie Lie』、中島らもの小説が原作で監督は『桜の園』や『十二人の優しい日本人』で知られる中原俊。主演は豊川悦司、佐藤浩一、鈴木保奈美と豪華な布陣があるにもかかわらず、なんと配信もされていなければ、DVD化もされていないというから驚きだ。

 唯一、存在するのはVHSだけど、わたしが見たときは品切れ中となっていた。

 なんだよ、それー。こんなに見たくなっちゃったのに生き殺しもいいところだよー。

 文字通り、もんどりを打ってじたばた苦しんだものである。

 ところがそれからしばらく経って、7月の半ば、神保町シアターでリバイバル上映されると噂を聞いた。これは絶対に見逃せない。

 当日券のみだけど、平日だし、席は十分にあるだろうと思ってはいたが、念のため早めに劇場は行ってみた。するとチケットは残り少ないと言うではないか。人気のほどがうかがえた。

 100席前後が見事に埋まっていた。驚いたのは客層がかなり若かったこと。1997年に公開された作品なので、わたしも含め、当時の記憶がなさそうな人がほとんどだった。なんなら、生まれていない子もけっこういたんじゃなかろうか。

 みんなもYouTubeで「シェイクスピアはね、もう成仏したんですよ」を見たのだろうか。そんな気がする。そうでもなければ、こんな映画の存在を知る機会、普通はないんじゃなかろうか。あるいは宇多丸さんとか有名人が紹介したのかな。いずれにせよ、凄いことだと思う。

 実際、この映画は嘘みたいに面白かった。

 とにかく豊川悦司がなにからなにまで嘘をつきまくりのペテン師野郎で、飄々と適当なことを言って、世の中をいい加減に渡り歩いていく様が最高だった。対して、佐藤浩一は硬派な感じで、高校の同級生である二人のやりとりは漫才を見ているようで気持ちがいい。

 そんなすべてが胡散臭い物語なのに、例の電算写植機に降りてきた文章だけは本物というのが素晴らしい。ペイシェンス・ワースうんぬんについては豊川悦司が出版社に売り込むための嘘なんだけど、核にあるのは文学的な真実なので、やたらと説得力に満ちている。

 そういう意味では嘘ではないのかもしれない。いわゆる方便というやつで、本当をありのままに伝えてもうまくいかないことがあるから、あえて相手が受け取りやすくなるように、言葉にお化粧を施しているだけなのだ。

 だからこそ、嘘を嘘と見抜いた上で、会社のやり方に不満を抱えている鈴木保奈美演じる編集者は二人の狂言に乗っかる決意を固める。

 一見すると上品な鈴木保奈美だけど、セクハラ上司に「クソ喰らえ」と影でストレスを爆発させる。それを豊川悦司に「レディの言葉遣いじゃないですなぁ」とたしなめられるとこんな風に訂正する。

「うんこ召し上がれですわ」

中原俊『Lie lie Lie』より

 こういうセリフ回しがいちいち素晴らしい。さすがは中島らも。グッとくるポイントをよくわかっている。

 他にも、豊川悦司はスペイン料理の腕を見せてやると張り切り、プルピートスとかいうイカとセロリの炒め物を作るシーンがある。佐藤浩一は尋ねる。

「こんな料理、どこで覚えたんだよ」
「マドリッドだよ」
「マドリッド?」
「8年前の4月から3ヶ月間、僕はマドリッドにいた」
「ほう」
「渋谷道玄坂をずっと登っていったところにマドリッドはあるんだ。マドリッドでは3ヶ月間タマネギを剥いていたなぁ」

中原俊『Lie lie Lie』より

 良過ぎるって! 中島らも!

 ちなみにこのプルピートス、イカスミ色でめちゃくちゃ美味しそうだったので、すぐさま我が家で再現してみた。

 ありがたいことに材料はイカにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪、セロリ、バジルの代わりの大葉と説明があったので、あとはなんとなくで調理してみた。

 これが美味しいのなんの! 白ワインと相性抜群!

 わたしもスペイン料理の腕を見せていきたい。渋谷道玄坂のマドリッドで修行しなくちゃ笑

 ちなみに『Lie lie Lie』のリバイバル上映は全日満席の大評判だったらしく、2024年9月以降にアンコール上映されるらしい。これを機に配信もされたらいいんだけどなぁ。たぶん、知ったらハマる人続出の映画だと思うから。

 改めて、中島らもの凄さに驚いた。教養と俗っぽさのバランスが理想的。深いことを言っているんだけど、くだらないことを言っている風に見せるあたりがちょうどいいんだよね。つくづく憧れる。

 原作も読み始めてみた。『永遠も半ばを過ぎて』という。映画はタイトルを大胆に改題している。

 もうひとつ大発見だったのは映画の主題歌を担当しているBONNIE PINKのエモさが爆発していたこと。

 正直、大ヒットした『A Perfect Sky』しか存じ上げていなかったのだけど、若い頃はこんなテイストの曲を作っていたんだと驚いた。めちゃくちゃ名曲なのだ。

 こんなすごい映画が幻の一本になっている現状がとても悔しい。大人の事情があるのかもしれないけど、絶対、もっとたくさんの人に見てもらいたい。

 90年代末の邦画って、世紀末ってことも影響していたのか、黒沢清監督とか北野武監督とか、暗い感じの作品ばかり評価が高く、世界的にもそういう印象で語られがちだ。ホラー映画に金字塔を打ち立てた『リング』にしても、アニメ映画の歴史を変えた『もののけ姫』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』にしても、基本的には暗い。岩井俊二監督もオシャレだけど暗い気がする。まあ、みんな、ひたすら暗い。

 それ故、『Lie lie Lie』の捉えどころない明るさはフィットしなかったのかもしれない。

 でも、時代が変わり、当時のそういう明るさに日の光が当たり始めているのではなかろうか。少なくともわたしはこっちの方が好き。笑えるし、元気になれるし、鼻につくインテリ臭もないので素直な気持ちで楽しめる!

 本当、この映画に出会えてよかった。




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