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【読書コラム】とどのつまり、文体ってなんなのだ?! プロとアマチュア、男と女、人気のあるなし。その差はいったいどこにある? - 『数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで』ベン・ブラット(著),坪野圭介(訳)

 高校生の頃、幸運にも、大江健三郎さんとお話しする機会を得た。最初、有名な小説家ということで、

「大江先生」

 と、お声かけしたのだが、「先生はやめてくれ」と言われたことが印象的だった。

「大江さんと呼んでください」

 当時、大江さんの初期作品にわたしはハマっていたので、どうしてこんな現実離れした設定を書くことができたのか、いろいろ質問させて頂いた。「そんなむかしの話を聞かれても」と言いつつ、大江さんは現実に経験した出来事がきっかけになっていると丁寧に教えてくれた。

 その中で、いま思えば聞くべきじゃないように感じるけれど、若さゆえの無知から、当時、『1Q84』がメガヒットしていた村上春樹さんについて、大江さんの印象を教えてくださいと頼んでしまった。我ながら恐ろしい。

 大江さん曰く、

「彼は新しい文体を作り出したんです。そして、それは自分には作れなかった文体なんです」

 と。そして、小説家とは文体を司る仕事であり、自分の文体を生み出せることの凄さを語ってくれた。

 そのときはそういうものなのかと感心した。だけど、冷静になってみると、「文体」ってなんなのだろうと疑問を抱くようになる。

 辞書的な意味で言えば、「文体」とは文章のスタイルということになっている。日本語の場合、まず口語体や文語体、候文など形式の違いがわかりやすい。それを詳しく見ていくと、「だ・である調」や「です・ます調」にわけられる。そして、それは比喩を多用するのか、専門用語をバンバン使うのか、皮肉な表現を好むのかなど、作家の個性に関わる部分へと細分化されていく。

 となったとき、「文体」はもはやスタイルを超えて、書かれている内容と密接なつながりがあるように思われて、わたしは混乱してしまった。「なにを書くか」が目的なのだとすれば、「どう書くか」は手段である。大江さんは手段の方に作家の凄さが表れるというようなことを言っていた。だとしたら、手段にこそ小説の本質があるということになるのだろう。

 直感的には違和感があった。なにが書かれているかが重要な気がしてしまうから。

 ただ、同時に、落語は同じ話でも、噺家によってまったく別物になってしまうように、小説もどう書かれているかでその価値は変わり得るような気もした。

 結局、「文体」ってなんなのだ?!

 常に問いかけ続けていたからなのか。ある日、そんな疑問に答えてくれそうな本と出くわした。『数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで』である。

 これは統計学の観点から「文体」の謎を解き明かそうとする本であり、もともとは著者不明な政治家の文章について、誰が書いたものか明らかにしようとする試みから始まったらしい。

 具体的には、著者である可能性の政治家たちの既存の文章を分析し、どんな単語がどのような頻度で登場するか、数え上げることで、各政治家の癖を特定するという方法だった。しかも、ひとつの単語に絞るのではなく、多数の基本的な単語で調査を行い、テーマによって使用頻度がどのように変わるかまで追いかけたそうだ。

 結果、シャーロック・ホームズさながら、著者不明な文書を書いた政治家の正体を突き止めることに成功したんだとか。

 そして、このことは小説の秘密を解き明かす上でも活用できるんじゃないか、と作者は考えたのである。

 モステラーとウォレスが統計学を用いて調査しようとしたのは、著作者が誰かという問題だけだ。しかし彼らの実験の成功にはさらなる深みがあった。書き手には、一貫性があって予測可能な、はっきりした文体(スタイル)があるのだ。そこからさらに言えるのは、自らの文体的な指紋を残してしまうのは、18世紀の政治家には限らないということ。有名で評価の高い作家だろうと、無名で評判の悪い作家だろうと、あらゆる本の著者が、何十年にもわたる執筆生活のなかで同じ言葉と構造を反復してしまう。

『数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで』xvi頁

 で、様々なデータが記載されているのだが、面白いことに、プロとアマチュアで、人気のあるなしで、文体には有意な差が次から次へと発見されていくのだ。

 例えば、副詞の使用頻度が高い文章はおおむね駄文扱いされやすく、アマチュアほど副詞を多用してしまうらしい。ここで言うアマチュアとは同人作家のことで、プロの小説と比べて、副詞を20%以上も多く使っていることが明らかになっている。

 また、作者の男女差も単語の使われ方で察しがついてしまうんだとか。ビックリするような話だけど、キスシーンを描くとき、能動的になるキャラクターは作者の性別と異なりやすいそうだ。男性作家は女性にキスを、女性作家は男性にキスをさせるという。

 他にも「!(感嘆符)」や「突然」という使用頻度が小説の評価にどのような影響を与えているのか、天気の話から書きはじめたらダメと言われているが、本当のところはどうなのかなど、気になるポイントがいっぱい載っている。

 それらを踏まえると、なるほど、たしかに小説というのは「なにを書くか」よりも「どう書くか」でその価値が決まっていると言ってもいいのかもしれない。極端な話、魅力的な文体を持っている作家であれば、平凡な人物の平凡な一日を描くだけで、面白い小説を書けてしまうのだろう。

 だとすれば、大江さんが村上春樹さんについて、

「彼は新しい文体を作り出したんです。そして、それは自分には作れなかった文体なんです」

 と、言っていた意味が少しだけわかるような気がする。




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