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【ショートショート】指切りげんまん (3,254文字)
「ねえ、聡くんがどこにいるか知らないよね?」
電話を保留しながら、お母さんは聞いてきた。聡の家から電話がかかってきたときから、必ず、その質問がくるとわかっていたので、僕は内心、ドキドキだった。ゲームに集中しているフリをしていたけれど、さっきから敵にやられてばかりいた。手のひらは汗でびしょびしょだし、息もうまくできていなかった。
ただ、絶対にバレてはいけないので、画面から目を離すことなく、
「知らなーい」
と、興味なさげに言ってのけた。
お母さんは特に怪しむことはなく、すぐさま電話を再開させた。
「すみません、お待たせして。知らないみたいです。ええ、心配ですね。台風、凄いですもんね。なにかわかったら連絡しますね」
どうやら、やり過ごすことができたらしい。自分の演技力に惚れ惚れとしてしまう。明日、聡に会ったら教えてあげよう。凄かったんだぞ、と。
電話を切って、お母さんはダイニングテーブルから改めて話しかけてきた。
「聡くん、帰ってないんだって。さすがにこの天気だし、外にはいないと思うけど、心配ねぇ」
僕は相変わらず、ゲームに一生懸命な小三男子を演じた。
ただ、無言はよくなかったのかもしれない。
「あんた、本当に知らないんだよね?」
少し低めのトーンでお母さんは探りを入れてきた。なんだか、ちょっとヤバそうだった。
焦りから、つい、
「知らないって言ってるじゃん!」
と、強めに否定をしてしまった。
「なんで怒るのよ。心配でしょ。聡くんのこと。どうせ友だちの家にいるんだろうって、お母さんは言っていたけど、不安で仕方なさそうだったもの。あんた、仲良いんだし、誰の家にいそうとかわからないの?」
「芳樹のとこじゃない?」
「吉川くんの家にも電話したって。いなかったみたいよ」
「ふーん、じゃあ、真司のとこじゃない?」
「あー。田口くんね。幼稚園一緒だもんね。あり得そう。LINEで教えておいてあげよう」
それから、お母さんはスマホをいじりだした。その姿を横目でちらりと確認したら、じんわり、恐ろしさが込み上げてきた。
みんな、聡を探している。このウソがバレたら、きっと、めちゃくちゃ怒られる。
そのことを考えるだけが頭がおかしくなりそうだった。こんな苦しいのなら、いますぐ、すべてを明かして楽になりたかった。
でも、別れ際、聡が指切りげんまんをしながら、
「信じてるぞ。俺がここにいること、絶対、誰にも言わないって。信じているからな。信じているからな」
と、泣きそうな顔で繰り返した姿が思い出されて、喉からこぼれ落ちそうな秘密を僕は慌てて飲み込んだ。
今日、聡に誘われるまま、町外れの河原で遊んでしまった。
夜には台風が上陸するということで、親からも先生からも、水辺に近づいてはいけないと言われていた。そのため、僕は真面目に抵抗したのだけれど、聡は、
「そういうときの方が水の流れが激しくて、普段よりも面白いんだぜ!」
と、やたらテンションが高かった。
「もし、断ったら絶交な。二度とゲームも漫画も貸してやらないし、みんなに、翔太は裏切り者だから仲良くするなって言ってまわるからな」
そんな風に脅してもきた。当然、絶交されたら困ってしまう。僕は聡に従わざるを得なかった。
なるほど、実際、河原はいつもよりも面白かった。曇り空の下、風が強く吹いていて、茶色くなった水流がゴオゴオ、猛烈に流れていた。
「な、面白いだろ?」
僕は素直にうなずいた。すると、それがよっぽど嬉しかったのか、聡は濁流にどんどん近づいていった。
「なあ、あそこ、行こうぜ」
指差す先にはトンネルみたいな排水口があった。ハシゴで登ったところに位置し、真ん中からは勢いよく水が流れ、その両脇に通路のようなものが設けられていた。
いかにも危ない雰囲気に僕は躊躇した。危ないからよそうと伝えもした。ただ、こちらが戸惑えば戸惑うほど聡はやる気が出るらしく、かえって、前へ前へと進んでいった。
気づけば、聡は排水口の中へ侵入していて、すぐに姿が見えなくなってしまった。
「来いよー! 翔太ー!」
暗闇から名前を呼ばれたが、恐怖で足がすくみ、どうすることもできなかった。
立ち尽くしていると、しばらくして、
「ああっ!」
と、聡の叫びが反響した。遅れて、情けない声も聞こえてきた。
「助けて……」
こうなるとさすがに無視できなかった。ぬかるむ道を慎重に、かつ、できるだけ速く歩こうと努めた。
途中、何度も滑りそうになった。こんな場所に来るんじゃなかったと自らの選択を後悔した。それから、なにもかも聡のせいだと腹が立ってきた。いつでも泣ける準備はできていた。
だけど、水中から、
「翔太! ここだよ、ここ」
と、聡に呼びかけられたとき、なにもかもがどうでもよくなってしまった。
聞けば、さっき、転んで水中に落ちてしまったらしい。その上、脚がなにかに引っかかり、上がることができないんだとか。
たしかに、腕を掴んで這い上がる手伝いをしてみるも、うんともすんとも言わなかった。
子ども二人の力では完全に打つ手がなかった。僕は助けを呼んでくると提案した。すると、聡は顔を真っ青にさせて、ブンブン、横に振りまくった。
「無理。それは無理。絶対に。言わないで、俺がここにいること。誰にも言わないで。親にバレたら殺される。漫画もゲームも取り上げられるし、二度と、友だちと遊んじゃダメって言われちゃう」
聡は頑なだった。それから、自説を語り出した。
今回の台風はすごいスピードで移動しているとニュースで言ってたし、どうせ夜のうちにはいなくなる。そしたら、台風一過で晴れまくるし、川の流れも収まるし、ここの水位も下がるはず。きっと脚に絡まっているツタも見えるようになる。そしたら、ハサミで切れば一件落着。親になにか言われたら、友だちの家に無断で泊まっていたと誤魔化すので心配するな、と。
怯える僕に向かって、聡は右手の小指を突き出してきた。
「指切りげんまん」
応じないわかにはいかなかった。
「信じてるぞ。俺がここにいること、絶対、誰にも言わないって。信じているからな。信じているからな」
だから、僕は聡の居場所を教えられなかった。教えてしまったら、針千本飲まされるから。
もちろん、針なんてどうでもよかった。ひとえにそれは男と男の約束で、破ったら最後、幻滅されてしまうのだ。そして、聡はみんなに言い触らす。翔太は裏切り者、と。そうなったら、僕の小学校生活は悲惨なことになってしまう。女子からも嫌われる。そんなの耐えられるわけがなかった。
早く朝が来てほしかった。そしたら、ハサミを持って聡を助けにいこう。僕がいかに見事な嘘をついたか話してやるんだ。お前も上手な嘘をつけよ、と言ってやる。それで元通りの毎日が戻ってくるから。
ただ、さっきからスマホであれこれ調べては聡の家に電話をかけ、あれこれ、情報を伝えているお母さんを見ていると気持ちが悪くなってきた。排水口の中に聡がいると気づかれてしまいそうで、息苦しくなってきた。
僕はゲームを終え、わざとらしく大きなあくびをかました。そして、今日は体育がバスケで疲れたんだよねと適当なことをつぶやきながら、逃げるように寝室へ向かった。
お母さんの横を通るとき、なにか言われんじゃないかとビクビクだった。でも、電話で忙しいらしく、手を振ってきただけだった。たぶん、おやすみの意味だった。僕は完全勝利を確信しつつ、でも、表情は変えることなく、廊下をゆっくりと歩いていった。
だんだん、お母さんが電話で交わしている会話の音が小さくなっていった。自分の部屋の扉を開く直前、静かにホッと一息ついた。ようやく心が安らいだ。
「……聡くん、外にいたりしないですよね? さっき、市の防災メールが届いたんですけど、境川が氾濫したって。近隣の家で床下浸水の被害が出ているみたいです。まさか河原にはいないでしょうけど、念のため、警察に相談した方がいいと思いますよ。ええ、念のため……」
(了)
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