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【映画感想文】そのセックスが嫌だったと気がつくまでには時間がかかる - 『HOW TO HAVE SEX』監督: モリー・マニング・ウォーカー

 たしかに同意はしたけれど、本当は嫌だったということは往々にしてある。

 面倒くさい仕事だったり、友だちや親族からのややこしいお願いだったり、つい、空気を読んで「いいよ」と言ってしまったばかりに悶々としてしまう。

「そうだよ。わたしはたしかに同意した。でも、それはNOを言えない雰囲気に負けてしまっただけ。本当はちっともやりたくないんだってば!」

 心の中ではそんな風に叫びたい。でも、どうせ誰にも理解されないと思っているから、決して声には出したりしない。

 結果、孤独に傷つかざるを得ない。まあ、いいや。わたしが我慢すればいいんだし、と。実際、悪いのはハッキリ断れなかったわたしだもんね。あー、生きるのって大変過ぎる。

 日常の出来事であっても不満を口にするのは難しい。だって、愚痴をこぼせば「あなたがOKしたんでしょ?」と言われてしまうに決まっているから。

 ましてや、それが性的な行為を巡る話であったら、どうしていいかわからなくなるのが普通だろう。

 映画『HOW TO HAVE SEX』はそういう可視化されてこなかった性被害にスポットライトを当てた画期的な作品だった。

 ストーリー自体はありふれている。10代の女の子が主人公で、友だちと一緒にハメを外すというもの。未だバージンな彼女たちは下ネタで大盛り上がり。エンターテイメントとしてセックスを捉え、誰が最初に「ヤれるか」の話で笑い合っている。

 そして、旅先でイケてそうな年上のグループと仲良くなり、リアリティショーみたいな関係性に胸をときめかせていく。

 ところが、その中の一人に肉体関係を迫られたとき、主人公は不安に襲われる。

 あれ? ……怖いかも。こんなところで、こんな風にはしたくないかも。てか、どうして、こんなことになっちゃっているの?

 だから、やめてと何度も口に出してみるのだけれど、

「なあ、いいだろ」

 と、身体を拘束され、しつこく頼まれ続けるうちに思わず同意してしまう。

 そこから、彼女の心が揺れ動いていく様が繊細に描かれていく。

 これまで、場を盛り上げるために「ヤりまくりたい」とか、散々、下品なことを口にしていた過去の自分が頭をよぎる。まわりよりも早く大人になりたくて、セクシーな服を着て、男たちにアプローチしていたことが悔やまれる。この悩みを友だちに相談しようものなら、「初めての相手がイケメンでよかったじゃん」とか、「処女じゃなくなった途端偉そうだ」とか、「うわー、冷めるー」とか言われそうな気がする。てか、単純に、あんなセックスしたくなかった!

 そういう一切合切を胸に秘めたまま、誰にも会いたくなくて、知らない街の知らない場所をフラフラと彷徨う。

 こういう物語は古今東西、繰り返し作られてきた。そして、好奇心で行動した若者は痛い目を見ると、まるでハメを外すことをいけないことで、真面目に生きましょうという教訓が示されてきた。

 しかし、本作は違う。

 ハメを外した若者が痛い目を見るのはその未熟さを利用しようとするズルいやつらがいるせいなんだと問題を捉え直した。だからこそ、我々はそういうクソみたいなやつらに気をつける必要があるし、傷ついた子たちをケアする必要もあるんだと提示してみせた。

 めちゃくちゃ画期的なことだと思う。

 この映画では年上男性から年下女性への性加害が描かれていたけれど、同じことはあらゆるシチュエーションで起こっている。それぞれの性志向がなんであれ、二人の関係性がなんであれ、セックスに対する積極性に違いがある限り、加害の可能性は存在する。

 だいたい、断りにくい要求をするという行為が暴力的である。例えば、なにもしないからと呼び出しておいて、「でも来たってことはそういうことだろ」と迫ってみたり、付き合っている(あるいは結婚している)から普通はセックスをすると言ってみたり、不機嫌な態度でセックスに応じないこちらを悪者みたいにしてみたり、精神的に追い詰め、無理やり同意を引き出すテクニックはぜんぶ暴力的なのだ。

 別に殴られていなくても、ナイフを突きつけられていなくても、悲鳴をあげていなくても、本当はやりたくないセックスはいくらでもある。うっかり同意してしまった負い目で静かに応じているだけ。すべてを諦め、早く終わってくれと時間が過ぎるのを死んだような目で待っているセックスは珍しくもなんともない。

 なのに、そんなセックスは存在しないかのように扱われてきた。仮に被害を訴えたとして、同意したのにノリの悪いやつと非難されることも多かった。いまさらそんなことを言うなんて金目当てだろと誹謗中傷もされた。そういう二次的な攻撃を恐れて、みんな、悲しみを表現できなくなってしまった。

 配偶者からの性加害を成立しないと考えられてきた。男だったら、女に無理やり犯されるのは嬉しいはずと思われてきた。同性愛者は性に奔放だから嫌がるはずがないと決めつけられてきた。

 でも、「嫌なものは嫌だから!」とモリー・マニング・ウォーカー監督は映画 『HOW TO HAVE SEX』を通して、当たり前を当たり前に主張してくれた。そういう当たり前がカンヌ映画祭で「ある視点」部門グランプリに輝き、世界中に配給されることは希望である。

 なお、内容が内容だけに性的な表現がキャストやスタッフの心を傷つけないか、監督は相当に配慮を重ねたようだ。その象徴として、インティマシー・コーディネーターだけでなく、セラピストも現場に配置したという。

インティマシー・コーディネーターのほかに、今回はセラピストの方もいたんですよ。スタッフもキャストも1人5セッションまで受けることができて、必要があれば延長もできるということにしていました。というのも、今起きていることだけでなく過去や未来のことについても話せるような、みんなにとって居心地のいい環境を作りたかったから。そして、もし何か仕事する上で引っかかることがあれば、その場で皆さんに話して欲しかった。6週間の撮影の間中、ずっと自分の中に問題を溜め込んでしまうことがないような現場にしたかったのです。

映画.com『ティーンの初体験描く「HOW TO HAVE SEX」監督インタビュー インティマシー・コーディネーター、セラピストとともに臨んだ撮影の裏側、世界観の構築』より

 そう。同意の問題はなにも性に関することだけではない。冒頭で示したように仕事だったり、家族だったり、友だちだったり、様々な場面で似たような事態は発生し得る。

 結局のところ、なにかを頼むとき、断りにくいフレーズを選ぶクソ野郎どもに諸悪の根源がある。

 ビジネスでも恋愛でも、うまくいく方法を検索すると、すぐに「断られにくい頼み方」「断られにくい誘い方」のまとめサイトが出てくる。

 例えば、用件を伝える前に暇なスケジュールを聞いてみるとか、食事などカジュアルな約束からステップアップしていくとか、あえて高めの要求をしてから低めの要求を出し直すとか、さも知的な振る舞いのように書かれている。

 しかも、心理学なんて関係ないのにこれらを心理テクニックと呼んだり、「〇〇大学の研究によると」みたいな怪しいブランドを付加したり、他人を思い通りに操ることをカッコいいことのように見せたり、クソを煮詰めたような情報がたくさん出てくる。

 もうね、こんなの、ぜんぶクソですわっ!

 マインドコントロールなんて人権侵害もいいところ。そんなこと、絶対、やっちゃダメに決まってるだろうが。やりたくないことを無理やりやらせるんじゃねえよ。こっちにだって都合はあるわけで、断りにくい要求をしてきた時点でお前との関係は終わりだよ、バカ野郎。

 でも、まあ、そんなことを実際には言えるはずもなく……。我慢してしまうのが現実なんだよね……。

 ただ、我々のそんな絶望感を踏まえつつ、映画 『HOW TO HAVE SEX』はラストシーンで未来を変える可能性をきらりと映し出していた。

 そういう意味でも、この映画は後に2020年代を考える上で重要な一本になるような気がした。なるほど、2023年にこういう作品が制作されていたってことは価値観が変わり始めていたんですね、と。

 未来の世界でこの映画がそんな風に引用されたら素敵だなぁと心底思う。そして、そうするためにはわたしたちがいま価値観を変えていかなくてはいけない。

 断りにくい要求を許さない。とにかく、そこから始めよう。




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