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【料理エッセイ】ぼくらが変な魚を買う理由

 小沢健二が好きだ。なにがいいって、多幸感にあふれている。どの曲を聞いても、ああ、人生って素晴らしいと肯定的な気持ちになれる。

 特に『ぼくらが旅に出る理由』が素晴らしい。別れについて歌っているのに、底抜けに明るくて、「人生なんてそういうものさ」とうそぶいている。

 これぐらい身軽に日々をこなしていきたい。

 そんな思いから、勝手ながら、この曲をわたしは自分のメインテーマにしている。誰かにちょっと背中を押してもらいたいとき、「ぼくらが〇〇する理由」と頭の中で反芻し、セルフで勇気をもらっているのだ。

 ただ、たまにそれが暴走し、全然やりたくないことをやってしまうこともある。

 例えば、いつだったか、スーパーで見慣れぬ魚と目が合ってしまったときのこと。こんな魚、誰が買うんだろう? と一度は通り過ぎたけど、お肉コーナーを見ながら「ぼくらが変な魚を買う理由」という不吉な言葉が脳裏をよぎった。

 いやいや、美味しいかわからないし、どう調理するかもわからないし、買ったとしても持て余すって。そんな風に思いながらも、わたしの中のオザケンが身支度を始めてしまっているので、どうすることもできなかった。

 気づけば、我が家のキッチンに変な魚が鎮座ましましていた。

 買う理由を考え始めると止まらなくなってしまった。このスーパーでは普段、変な魚は売っていたい。といえことは仕入れ担当の人がいつもと違うチャレンジをしたと想像できる。もしかしたら、若手の子なのかもしれない。きっとベテラン上司からは反対されたことだろう。

上司「おい。なんだよ、これ。変な魚、仕入れたんじゃねえよ」

若手「いや、うちの魚売り場、いつもサケとかサバとか定番商品ばっかじゃないですか。マンネリっていうか、お客さんも飽きていると思うんですよ」

上司「バカか。いいんだよ、マンネリで。魚なんて、どうせ大して売れねえんだから」

若手「そんなことないですよ。魚の売上が下がっているのは魅力的な商品を揃えられない我々の責任です。努力をすれば絶対に伝わると思います。だから、チャレンジさせてください」

上司「チャレンジもなにも、もう仕入れちゃったじゃねえかよ。あるしかねえだろ、こんなもん」

若手「ありがとうございます!」

上司「ただし、今回、これが売れなかったら次はねえからな」

 そうして、若手の子が未来を懸けて、この変な魚を陳列したのかもしれない。どうして、わたしはそれを買わないでいられるだろう!

 ましてや、半額シールが貼られていたのだ。

 もし、これが売れなかったら、頭が固い上司は閉店後、若手の子にしたり顔で話しかけるだろう。

上司「やっぱり売れ残ってるじゃねえか。言っただろ、誰も新しいものなんて求めたないの。チャレンジするだけ無駄なんだよ。お前のわがままで損失が出ちまったんだが。反省しろよ、この青二才が」

 ああ。きっと、若手の子は反論もできないまま、心が死んでしまうだろう。いつも通りをいつも通りこなし、給料日がやってくるのを待つだけの日々を送るようになってしまう。

 そうだ。若者が無気力なのではない。わたしたち大人が若者を無気力にさせてしまっているんじゃないか!

 出る杭を打ち、努力する芽を摘んでいるから、頑張ろうって気持ちを抱けなくなってしまう。子どものときは夢を持てと言われていたのに、いざ、大きな目標を掲げてみたら現実見ろよと叩かれる。たった一度の失敗なのに人生を丸ごと否定されてしまう。

 そんな社会で若者がどうして頑張れよう。無理だよ、無理無理。絶対に無理。わたしたち大人がどっしり構えて、ちゃんと成功体験を積ませてあげなくちゃ。

 だから、わたしは変な魚を買うしかなかった。これによって若手の子は魚売り場を改革すべく、さらに頑張ることができるはずだもの。853円ぐらい、払うよ、全然。

 もちろん、すべて、わたしの妄想である。スーパーの魚売り場の仕入れがどうなっているのかも、スタッフ事情も、若者たちの思いについても、なにひとつ知りはしない。でも、そう思ってしまったら仕方ない。変な魚を買う理由は説得力を伴っていく。

 いやはや、わたしの中のオザケンは止まらない。

 ちなみに今回、購入した変な魚はとくびれ(はっかく)という名前らしい。調べたところ、北海道や青森県あたりで獲れるそうだ。もともとは廃棄対象だったという。それが炉端焼きで食べられるようになり、90年代のグルメブームでマスコミに取り上げられ、関東にも流通するようになったとか。

 割と築地や豊洲には入っているそうで、専門業者の人たちは見慣れているという。でも、そのほとんどは炉端焼きのお店が購入し、スーパーなどが仕入れることはないという。やっぱり、うちの近所のスーパーにはチャレンジングな若手がいるのかも。

 とりあえず、でかいし、固いし、味も想像つかないし、塩焼きにしてみた。グリルに突っ込んだところ問題発生。あまりに巨大で蓋が閉まらなかった。オーブンレンジを試してみるも、これまた折り畳まなきゃ収容できない。

 結局、苦肉の策でグリルを半開きにして、上半身と下半身を順番に焼くスタイルに落ち着いた。一応、アルミホイルで覆ってはみたが、果たして、これで上手くいくのか不安だった。

 仕上がりはこちら。

 たぶん、うまくいっている。

 というか、干物だったのね。言われてみれば、身が引き締まった感じはしたけど、なにせ、初対面なのでそういう魚なのかと思っていた。たしかに開いている時点で察すべきだったのかもしれないが、うっかり塩を追加でかけてしまったよ。

 ただ、食べてみると脂がかなり乗っていて、思ったよりはしょっぱくなかった。なお、美味しいは美味しかった。美味しいかまずいかと聞かれたら、たぶん、そう答える。しかし、これまでに味わったことがないものなので、どう表現していいか戸惑わずにはいられなかった。

 具体的に述べると脂っこいのにさっぱりしていた。よく言えば淡白、悪く言えば旨味が薄い。だから、塩だけではパンチが足りない。

 結果、わたしはポン酢をかけた。これはもう間違いなくよかったんだけど、ちょっとばかりズルい気もした。果たして、ポン酢をかけて美味しくない魚なんて存在するのだろうか。

 いずれにせよ、日々の食卓にこういうアクセントが加わるのは素直に楽しい。

 たしかに普段の買い物ではじめましての食材を手に取ることはほとんどない。いつメンもいいところ。家庭料理は安心感が大切とはいえ、たまに刺激もほしいよね。そういう意味では普段使っているスーパーで変な魚が買えるというのはとても嬉しい。

 ありがとう。若手の子。君が保守的な上司と戦ってくれたから、この街の住民はいつでも変な魚が食べられるんだよ。マジ感謝。

 あのまま半額のトクビレが売れ残っていたらと考えらと恐ろしい。……よね?

 新しい時代の才能をつぶさないためにこそ、ぼくらは変な魚を買っていかなきゃいけないのだ。それが巡り巡って、退屈になりがちな日常を打破することにつながるのだから。

 そんな風にわたしの中のオザケンがドヤ顔を浮かべていた。

 もちろん、そんな若手の子、本当にいるのかわからない。わからないけど、その後も近所のスーパーでは定期的に変な魚が並んでいるから、あながちあり得なくもないかもね。

 きっと、そこらじゅうに誰かの挑戦があふれている。わたしたちが興味を持つか否かで、その挑戦の未来は簡単に変わってしまう。

 そんなときはあえて「ぼくらが〇〇する理由」と考えることにしてみよう。不思議なもので理由が見つかると行動せざるを得ないから。

 往々にして損もするし、後悔もするし、定番の選択が定番になっている理由がよくわかる。結果、いつもと違うことをするのはやめようと思っちゃう。毎回ね。

 それでも、それでも、どこかの若手のチャレンジを支えられるのはわたしだけだと頑なに信じているから、今日もまた小沢健二を聴き続けるのだ。




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