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【英国滞在】フラットの“仮”管理人として

英国における新型コロナウイルスの感染者数と死者数は、日本のそれと桁が違う。検査体制も異なるだろうから単純比較はできないと思うけれど、BBCで、毎日のように数字を報告されると徐々に気が滅入ってくる。私が何気なく過ごしているその日に、千数百人が亡くなっているわけだから。

そこに今度は、「これまでにワクチンを摂取した人の数」が加わった。摂取数は急激に増えつつある。私の年代まで到達するには数ヶ月を要するだろうが、ひとまずGP(General Practice=地域の一般開業医)への登録だけは済ませておいた。摂取するかどうかはまた別の話だけれど。

前回のnoteで、フラットメイト(=同居人)の英国人女性が、EU圏内の居住権あるいは就労権をもとめて、スキーシーズンにあわせて渡仏するまでの経緯を書いた。どうやら手続きには時間がかかっている様子だった。

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彼女は昨年のクリスマスまで実家に帰省しており、帰宅してすぐに荷物をまとめて渡仏したので、留守中に彼女の部屋に住む人を見つける暇がなかった。物件情報サイトに部屋の情報は掲載したものの、コロナ禍での引っ越し控えもある上、これから渡英しようとしていた人にとっては変異種の拡大や入国制限措置が壁となる。じっさい、ビデオ経由で内見をしたイタリア人の女性は、入学予定だったロンドンの大学の再開が3月に延期されたことで、渡英を断念せざるをえなかった。

一方で、いつも「お金がない」「給料が安い」「転職したい」と嘆いているフラットメイトにとって、”貴重な収入源”である部屋が埋まらないことは死活問題である。物件サイトには、「同居人(=私)がフレンドリーであること」をアピールしたい彼女の希望により、私の顔写真を載せるはめになった。なぜ、ここまでしなくてはならないのだろうか……。

その影響(?)か、1月中旬から下旬にかけて内見のアポイントが入った。もちろん、内見の案内も私の仕事である。フラットメイトは「ナオトさんの英語の練習にもなるから」というが、こちらにも予定がある。内心少々うんざりしたが、隣人に代わりを頼むのも気が引ける。案内をしたのは3人で、それぞれ南アフリカ人、ブルガリア人、英国人。全員男性であった。もちろん「フレンドリーな応対」を心がけた。

ハウスシェアはもちろん、内見の案内(といっても部屋と設備の説明だけだが)も初めての経験である。ひと通り説明を終えて雑談をすると、当然ながら、各々引っ越しの理由がある。ある人は、コロナ禍で在宅ワークなのに隣人がうるさ過ぎて仕事ができないから、静かな場所を探している(我が家はとても静か)とか、パートナーと住んでいたけど、今は一人で住む場所を探しているとか。

一人からは、突然「ガールフレンドかボーイフレンドはいる?」と訊かれた。「ボーイフレンド……?」と一瞬思ったが、その後に「自分は男性が恋愛対象なんだ」と言われて納得した。多文化なロンドンだから、それも当然あり得たことだ。むしろ、その質問に少し驚いてしまった自分には、ジェンダーに関する先入観があったと気付かされた。「ガールフレンドかボーイフレンドはいる?」という彼の訊ね方は、男性に対する「彼女はいる?」や女性に対する「彼氏はいる?」よりも、遥かに配慮がありインクルーシブな訊ね方である。彼にとってはいたって自然な訊ね方かもしれないが、自分の無意識さが少し恥ずかしくなった。彼に訊くと、自分がゲイであることは「特に隠していない」ということだった。

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結局、前述の3人から、契約のアプライはなかった。

そんな折、1月の最終週に、Airbnb経由でフランス人の男性が6日間だけ〝我が家〟に滞在することになった。少し太めの体型でいかつい表情だが、性格は柔和である。英国在住12年。母国語はフランス語だが、英語も流暢に話し、また、チュニジア系(父親がチュニジア人で母親がフランス人)なので、少しだけアラビア語も話す。

職業を訊くと、スポーツカーやバイクのテストドライバーとのことだった。以前までは欧州の大手レンタカー会社で働いていたが、知人の独立を機に英国で現在の職を得て、今に至るという。これまでにランボルギーニ、フェラーリ、マセラティ、ドゥカティなどを運転してきた。「乗り心地はどうだった?」と訊くと「ランボルギーニなんかは快適だけど、スイッチがたくさんあって最初のうちは慣れなかったな」という。「アクセルを踏んだ時に加速の勢いに圧倒されたよ」と、背中を後ろに反るような仕草をみせて笑った。

普段の移動手段はバイクで、スズキやカワサキを乗り継いできたという。「かつてはよくカスタムしたなぁ」というが、現在所有しているものはノーマル。「これまで危険な目に遭ったことは?」と訊ねると「そりゃいっぱいあるさ。でも幸い怪我ひとつない。一度、140キロで2台の車の間をすり抜けたことがあったけど、あのときはヒヤッとしたな。それがあってからは安全運転だよ」と、今度は身をすぼめるような仕草をしながら、懐かしそうに話した。

テストドライバーになってから、座りっぱなしの日が増え、体重が25キロ増加し、今は95キロあるという。残念ながら一緒に運動をするタイミングがなかったが、1日に1度ウォーキングに出ては、必ずジャンクフードやスナック、炭酸飲料を買って帰宅するというチャーミングな男であった。

旅行も趣味で、これまでに訪れた国は31ヶ国。「カナダと日本、フィリピンあたりはまた行きたいけど、中国、ベトナム、アルゼンチン、ブラジルにはもう二度と行かないだろうな」とのことだった。ちなみに今一番行きたい国はレバノンだそうだ。

そんな彼は、6日間の滞在後は故郷の南仏・トゥールーズに一時帰国することになっていた。「フランスにいる時と英国にいる時、どちらが幸せか?」と訊くと、少し間をおいて、「家族と一緒に過ごせるという点ではフランスだけど、働くという点では英国かな」といい「自分みたいなチュニジア系のフランス人は、フランス国内で職を得るのに苦労するんだ」と、自身の肌を指差しながら続けた。

「フランス人は“Racist”だけど、英国人は“Diplomatic Racist”だ。つまり、Brexitで排外主義的側面も露呈したけど、税金をしっかり収めていれば、職もあるし、社会は受け入れてくれる。フランスにいる自分の父親(チュニジア人)は、フランスの名門大学のドクターを出ているのに、この1年職がない。行政の失業者援助があるから生活はできるけど、英国で言えばオックスフォードやケンブリッジ相当の学歴があるのに、1年間職がないなんて信じられるか?」

彼の父親の失職はコロナ禍も多分に影響していると思うし、「フランス人は“Racist”で、英国人は“Diplomatic Racist”」という言葉には、ニュアンスは分かるものの素直にうなずくことはできない(自分の知識のなさも含めて)が、彼の言葉にはそれまでよりも熱がこもっているように感じた。

彼は、英国の永住権を得るアプライも行っている。コロナ禍とBrexitの影響でまだ書類審査の結果が出ていないというが、「12年も住んで、働いているんだから、たぶん大丈夫だと思う」と楽観的だ。要するに彼の立場は、英国人である私のフラットメイトと逆の立場でもある。EU圏で未来の職の可能性を模索するために、EU居住権を得ようとしているフラットメイトと、英国に住み、働き続けるために英国市民権を得ようとしている彼。「得る」というよりも「取り戻す」という表現のほうが近いかもしれないが、ここでも“生活者目線のBrexit”を垣間見たような気がした。

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フランス人の彼は「フライトが前倒しになった」といって1日早くチェックアウトした。買ったばかりのボトル入りのハンドサニタイザー(消毒液)は持ち去られたが(笑)、彼が残したパン数個とシリアル、未開封のミネラルウォーターは有難く頂いた。

彼と入れ替わるように、またAirbnb経由で新しい“同居人”が滞在を開始した。フィリピン人だが、渡英の前まではドイツにいたという。昨秋英国の企業にジョインしたが、就労ビザの関係ですぐに渡英することができなかったようだ。職種はバイオテックのコンサルタントで、ケンブリッジ大の院卒というエリートだ。

企業のウェブサイトを見てみると、メンバーとして顔写真付きでプロフィールも載っていた。ウェブサイト上では、カジュアル・スーツに身を包み、斜め45度に構えた表情から、コンサルタント然とした落ち着きと自信が伝わってくる。しかし、在宅ワークの今、仕事の時間以外は主に短パンにTシャツで過ごしている。仕事中以外は、英語でポッドキャストやYouTubeを観ていることが多く、この前は、アメリカ人が『トランスフォーマー』について語る動画を観ていた。

日本のアニメも好きだというが、『ワンピース』や『NARUTO』といった大長編は「長すぎて退屈なので」好まないという。一方で『名探偵コナン』の大ファンだというから少し矛盾している。『機動戦士ガンダム』も好きで、ガンプラにオリジナルの塗装を施すのを趣味とし、フィリピンで大会に出たこともあったという。上位入賞者は日本で開催された世界大会に出場できたというが、彼はそこまでの実力ではなかったようだ。とはいえ、まさか英国で「Gunpla」という言葉を聞くとは思っていなかった。食事の最中は、ほぼ毎回ビデオ通話をしている。専らの相手は、ドイツで生物学を専攻するガールフレンドか、フィリピンにいる家族だ。「ケンブリッジ大卒のバイオテックコンサルタント」の私生活は、さながら寮生活の学生のようだ。

1ヶ月の予定と聞いていたので、その後の引越し先を探しているのかと思いきや、そうでもないという。もしかすると、フラットメイトが帰宅するまで滞在することになる可能性もある。

“新入り”であるフィリピン人の彼は、家についての諸々を私にたずねてくる。ドライバーセットの場所から、火災報知器が誤作動した時の対応まで直感的に処理している自分に気がついた。どうしてもできなかった廊下の電球交換(本当にできなかった)は、隣人にWhatsAppで助けを求めて完了した。どれも瑣末なことばかりだが、なんだか“生活感”を実感している。

英国に来て、4ヶ月が経過した。

(つづく)

<写真:吉田直人>

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