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労働嫌いな私が仕事にやりがいを感じるまでの軌跡

どうも!ななしの転職アドバイザーです。

今回は、いつもの就職アドバイスではなく自分の意識の変化についてつらつらとお話していこうと思います。

就職アドバイスを読んで見たい方は下記のマガジンを読んで見てください!

今回お話したい内容は、
学生時代から労働というものが大っ嫌いだった私が、今ではやりがいを感じて仕事が出来ていることの心境・考え方の変化についてです。
今仕事に対して「なんか楽しくない」「自分に合ってる仕事はこれか?」と感じている方に参考にしていただける嬉しいです。
たぶん長くなると思うので覚悟して読んでください。笑

■カス期

私は高校3年生からバイトをしていました。
京都の木屋町にある焼肉屋さん(今はもうないです)で17:00~22:00まで週に2~3日働いていました。

週2~3日と聞いて結構少ないと思われた方もいるかもしれませんが、私としてはこの日数でも多いな…と感じてました。

お金がない状況よりも、働いている時間の方が苦痛で仕方ありませんでした。17:00~22:00のたったの5時間の労働が私にとってとてつもなく苦痛だったのです。

当時はなんでか分かりませんでしたが、今思い返すと接客という仕事がどうしても楽しいと思えなかったんだと思います。
自分の感覚として、接客業務はお客様からの「要望」があってそれに対してマニュアルに準じた回答をするという単純作業な感じがしていました。
接客業を楽しんでいる方からすると、その先のお客様の要望を読んで先にご提案するなど楽しみ方は無数にあるのだろうと、今では思うのですが学生時代の自分には単純作業をただただ5時間続けるだけ…という感覚が強かったのです。

正直仕事したくないという想いが強かったため、バイト先に当日に休みたいと連絡して友達と遊んでいたり、平気でバイトを遅刻したりしていたため店長から何度怒られたか覚えていないぐらいでした。

怒られても当時の私は、「クビになってもいいやー」と思いながら働いていたため全く気にせずヘラヘラと働いていました。
今思うと本当にとんでもないやつだったと思います。。。

そんな感じでなぁなぁで働いていたため、大学1回生の頃に木屋町の焼肉屋さんをクビになりました。理由は度重なる遅刻が理由でした。(ほんとどうしようもない…)
在籍中何度遅刻したか分かりませんが、今回が最後だよ!っていうのの10回目ぐらいでやっとクビになったという感じでした。

当時の私は木屋町は地元と大学のちょうど間にあったため、そろそろ家の近くで働きたいなーと思っており、クビになったのもちょうどいいや!地元でバイト先見つけよ!ぐらいの感覚でした。

なんとなく当時の私も「接客業は自分にあってなさそうだなー」と感じていましたが、アルバイトで接客業以外の仕事もかなり少ないこともありちょっと悩みました。
そして思いついたのが、本屋のアルバイトでした。
本屋の接客程度であれば楽そうだし仕事量も少なそうというどうしようもない理由で、地元の本屋を片っ端から応募しました。

しかし、全部お見送り。

え?なんで?と、そこで初めて焦りました。
お金がないという状況は問題ないですが、全く0はまずい…
なんとか仕事を探さなくては!!という焦りから、自分の希望はすべて捨てて地元で募集しているバイトを片っ端からあたりました。

約10求人ぐらい応募して、面接してもらえたのがたったの1社でした。
しかも居酒屋の求人…
焼肉屋の二の舞になるのでは?と思いましたが、そんなこと言ってる場合ではないので面接に行きました。
面接では、すぐ入れます!仕事ください!と意欲をアピールして合格方向で話が進んだ時に、店長から予想外の打診をもらいました。

「接客じゃなくて調理で入れる?」

自分としては何となく接客に面白さを感じていなかったので、この打診はすごく嬉しかったので二つ返事で、
「調理でも全く問題ありません!」
と回答し、無事居酒屋の調理で合格をもらいました。

なんの考えもなくテキトーに入ったバイトだったのですが、ここでの経験が今でも活きているぐらい重要なものになるとは、当時の自分はまだ気づいていませんでした。

■意識改革期-大学時代-

☑新たなアルバイト先での意識のGAP

バイト1日目。

ここで働き始めたことをめちゃくちゃ後悔しました。

バイトリーダーが接客部門1名と調理部門1名おり、その方々がめっちゃ怖い。

接客部門のバイトリーダーが「お前さぁ舐めてんの?」と、元々いた従業員に説教しているところを目撃。
「え?アルバイトなのにこの意識の高さ何?気持ち悪い。」
と当時の私は思いました。

自分の上司である調理部門のリーダーは、和気あいあいとバイト仲間と話をしている方でしたが、身長がとにかくデカい。190cmぐらい?あるんじゃない?ってぐらいデカいしゴツイ。
ひたすら恐怖。

1日目だったこともあり直接自分に何か言われることはありませんでしたが、正直今までの実績を考えると、
「絶対いつかボコボコにされる…」と恐怖したことを今でも覚えています。

その時の私は、1つの疑問が浮かびました。

「この人達はこの仕事の何にそんなにモチベーションを感じているのだろうか?」

焼肉屋さんの時もそうでしたが、
私の中で、「アルバイト=一時的な駒」という認識をしており、自分の代わりはいくらでもいるし重要度は高くないと考えていました。
だから平気でドタキャンするし怒られても何も思いませんでした。

ただこのバイト先で働いているうちに、
「あれ?なんか違うかも?」という考えが芽生えてきました。

1か月程度働きながら周りの観察をしていると、なにやらアルバイトのメンバーのほとんどが「プロ意識」に似た感覚を持っていることに気付きました。
しかもリーダー陣は売上も逐一確認しながら業務に取り組んでいました。

ぶっちゃけた想いを言うと、働いて1か月程度の当時の自分は、
「アルバイト如きがプロ意識を持ったり売上を気にするのは気持ち悪いな」と思っていました。
そんなことを考えるのは社員の仕事でしょ?という感覚でした。

こういう固定概念は簡単には変えられないので、半年ぐらいはずっとその認識を持っていて、「考えも合わないしそろそろ辞めようかなー」とまで考えていました。

☑人生を変えた接点

そんなことを考えている時に、バイト先の飲み会が開かれました。
勤務先の店舗の閉店後に店長や料理長を含む従業員のほとんどが集まった結構大きな飲み会でした。

その飲み会の時に、急に調理部門のリーダーに声をかけられました。
「ちょっとこっちきて一緒に飲もうや」
恐らくこの一言から、自分の考え方や人生が変わったと思います。

おっきくてごっついリーダーから声をかけられて、
内心私はビビっていました。

「あ、やばい。仕事のことで色々言われる」

恐る恐る席に着くと、
焼酎をグラスに入れられました。(日本酒だったかも?)

「ちらちら見てたけど飲めるんやろ?一緒に飲もうや」

予想外な一言でした。
本当に言葉通りで、「一緒に飲もう」と誘ってくれてたんだ!!
と安心しました。

当時の私は結構お酒が好きだったのですが、初めてのバイト先の飲み会だったのでかなりセーブしながら飲んでいました。
リーダーは私のその感じも見越して席に呼んでくれたのでした。

当時のバイト先のメンバーで、がばがば焼酎とか日本酒を飲める人がいなかったみたいで「飲み仲間が出来た!」とリーダーが喜んでいました。
そこから、仕事終わりや休みの日にも一緒に飲みに行くことが増えていきました。

調理部門リーダーと接客部門リーダーは仲が良かったので、リーダー陣とバイト後の飲み会でプライベートで話す機会が増えました。
そんな接点が増えることで、リーダー陣の考え方や価値観が分かってきました。

自分がとらえた各リーダーの考えは、
★接客部門リーダー
結婚もしていてバイトとはいえ本気で業務に取り組んでいる。性格的にもやるからにはやり切りたいし楽しみたいと本気で考えているため、バイトという枠組みを超えたことでも挑戦していきたいと考えている。
(現に私が退職後、アルバイトで初の店長に就任されました)

★調理部門リーダー
バイトはバイトという考えは持っているものの、自分の出す料理には自信を持っているし店としてお客様に料理で不快に思ってほしくない。そもそも自分が不味いと思うものなんて絶対に出したくないと考えている。

二人の考えは気持ちの良いぐらい一貫していました。

「お客様のことを大切に」という考えも当然ありますが、それ以前に自分の信念を貫き通していると私は感じて、どうしようもなくうらやましくかつカッコ良く感じたことを覚えています。

ここまで自分の考えが自立していてかつ行動で示せており、その結果バイトリーダーといく形で周りからも認められていることがカッコよく感じました。

このバイト先に来てからは、私も意識が若干変わったことで遅刻もドタキャンもしなくなりました。
ただ、それでもお金がない状況よりもバイトしている時間が苦痛というのは変わっていませんでした。
憧れている先輩もいるし、メンバーも仲良くてすごく楽しい。
でもどうしてもバイト時間は苦痛で仕方がなかったのです。

■意識改革期-社会人時代-

☑マナー研修で感じた「変な感覚」

居酒屋でのアルバイトも続けつつ、就職活動を行う年齢まで来てしまいました。相変わらず仕事は楽しくない。週2~3勤務が続いていました。

正直当時の私は、全く就職したくありませんでした。
なぜなら労働に楽しさを全く感じてこなかったため、社会人になったら自分の時間のほとんどが「労働時間」になるという現実がどうしても受け入れられなかったからです。

そんな考えを持ちながら就職活動をしていた私は、当然自己分析はしないし、そのくせ応募する企業は大手ばかりとなり、ほとんどが書類選考でお見送りとなってしまっていました。

そんな中でも、オリエンタルランド社で書類が通り、かつ集団面接、1次選考も合格になり最終選考に呼んでいただいたことがありました。
しかし、最終選考の最後の質疑応答の時間に給与や休日に関する質問を連発しあっけなくお見送りになりました。

やはり当時の私は、「仕事<プライベート」の意識が強く仕事に対しての意欲は著しく低かったんだと思います。

正直人生で2番目ぐらいに深く考えたと思います。
※1番考えた話は後述

このまま就職するべきか?
大学にもう一年行こうか?
いったところでこの意識は変わるのか?
取り合えず内定は取れるという実績はほしい
でもそんなことに時間を割くのは意味があるのか?
でも働かないと生活は出来ない
来年の学費はどうしよう
親になんて言い訳しよう

私の脳内

めちゃくちゃ考えました。

とりあえず、夏~秋にかけて本気で就活に取り組んで内定が出た企業次第で身の振り方を考えようと結論付けて行動を開始しました。

結果、秋ごろに飲食関連の企業に内定を頂きました。

4月入社ではありますが、11月から大阪に新店舗を開店するためそこでアルバイトをすることを義務付けられました。
バイト代は比較的高かったので問題はないのですが、バイトに入る前のマナー研修の時点で心の中で「内定を辞退しよう」という気持ちは固まっていました。

ネットでもよく聞く、入社前のマナー研修というやつを私も受けました。
本当に笑いが出るぐらい、くだらない研修でした。

研修は確か3日程度だったと思いますが、
その間、朝から晩までマナー研修がみっちりあり、かつ喫煙禁止やコンビニで買い物などの外出も禁止。
※現在の私もこのようなマナー研修は全く意味がないと思いますし、個性を消す最悪な手段だと思っています。悪しき風習でしかありません。

この研修中にチームを組まされ、すべての行動は団体行動として扱われるため行動を制限されます。※1人でもルールを破れば連帯責任

「ほんとうにくだらない。」

真剣にそう思ってとりあえず何事もなく時間がすぎるように、気配を消すが如く行動していました。

ただそんな中チームのメンバーの1人に、

「私は今までテキトーに人生を過ごしていて、社会人になってからこの会社で自分を変えたいと思っている。だからこのまま、なぁなぁで研修を終えたくない!!」

と発言した人がいました。

この発言を受けてなにか自分の中でこの研修での目的が変わり、
「この人が満足できる機会を提供したいしその協力がしたい」
と思いました。

なぜそう思えたのかは、当時の私はわかりませんでしたがこの想いをもとに研修を頑張ることは何の苦も感じませんでした。

この感覚は自分としては新鮮で、不思議な感覚のまま3日間を過ごすことが出来ました。
※ただそれでもマナー研修というものはクソだと思っています。今でも。

そんなこんながあり、マナー研修を共にしたメンバーと同じ店舗でバイトに入り過ごした時間は楽しかったですし仲も良かったのですが、それでもずっとこの会社に勤めている自分が想像できなくて3月に内定辞退の連絡をしました。

☑就職浪人後の就職先で気付いた想い

私は、大学で広告や新聞などの情報メディアについて学んでいました。
ただ、教授の授業を受けていると「マスコミで働くのは嫌だなー」と感じてしまい、出版や印刷系の会社を目指そうかなと考えていました。

就職浪人をしてからもその感覚は持っていて、出版や印刷に関連する会社を片っ端から受けていきました。

そんな中で、大学の近くに本社がある企業から書類選考合格の連絡があり面接に進むこととなりました。

自社ビルを持っている企業で東京にも支社がある企業。
「なんか良さ気じゃね?」
という簡単な理由で志望意欲が上がり選考に臨みました。

私の強みは、欲しいとおもったら何がなんでも手に入れるし、そのために努力を惜しまないところだと思っており、この企業にも色んなことや手段を使いました。
※今回の話からは逸れるのでそのエピソードは省きます

結果、無事内定を頂きました。
そして勤務地は東京となり、はじめて関西から出ることになりました。

はじめて社会人として仕事をする感覚って凄く不思議でした。
今まで5時間程度の労働で嫌だ…と思っていたのに、その会社では15時間とか平気で働いていました。繁忙期に徹夜も当たり前でしたし休日出勤も普通にありました。
自宅にいる時間よりも圧倒的に会社にいる時間の方が長い。
それでも、毎日忙しいし求められるレベルもバイトの比じゃないのに、どこか充実感を感じている自分がいました。

「あぁこれが社畜かー」

と感じてはいました。

残業代も出ず、毎月手取り16万円程度で東京に住む。
とても生活出来る状況ではありませんでしたが、辞めるという選択肢が思い浮かばない。その上、仕事には充実感を感じてしまっている。
どう考えても現状から逃れられない状況でした。

1年間、遮二無二に働き続けていよいよ後輩が出来ました。

東京にも3人の後輩が入り一緒に飲み入って愚痴を聞いたり、逆に私が愚痴を言ったりと辛くも楽しい時間を過ごしていました。

後輩が入って3ヶ月経過したころ、私の同期から退職しようと思っていると相談されました。

「なんで?」

と聞いてみると

「給与面や任される仕事に対して不満がある」

と言われました。

私が入社していた企業は、
・印刷出版部門
・IT部門
・貿易部門
と分かれていました。
その中で、印刷出版部門が一番売上が高く、この会社の屋台骨でした。
次がIT部門、最後の貿易部門は常に赤字という状態でした。
相談してくれた同期は貿易部門に入社当初から配属となっており、給与は私(印刷出版部門)より1~2万円程度低く、かつ賞与金額は半分程度でした。

その同期は、仕事に対して丁寧に取り組む人で、かつ愛嬌のあるコミュニケーションが出来る人だと私は認識していたため、元々赤字の貿易部門ではなく継続接点が重要な印刷出版部門で働いていたら結果を出せた可能性が高いと思っていました。

同期の強みや良さを分かっていたので何処か悔しさも感じつつも私にはどうしようもなく、結果同期は退職してしまいました。

そんなモヤモヤした想いを持っているタイミングで、可愛がっていた後輩の1人にも辞めたいと思っていると相談されました。

理由は、自分にはこの仕事が出来ないと思っていて毎日上司に怒られるのがつらいというものでした。

その後輩も、仕事に関しては丁寧にミスなく進めたいと考える性格でした。人柄も良く愛嬌もあり、なんでも笑顔で元気に対応するようなタイプでした。

しかし、その後輩も数か月後辞めてしまいました。

そこで、私は思ったことがありました。

この会社には、適材適所という考えはないのか??
辞めるという選択肢を本人が抱く前になにか対処が出来たんじゃないか??

そう考えた時に、初めて今までの経験がフラッシュバックしました。

・居酒屋のリーダー陣が持っていたプロ意識の根幹にある自分の強い想い
・マナー研修の時の「同期の想いを叶えたい」という自分の不思議な想い

もしかしたら、私は「誰かのために行動をすること」にやりがいを感じるのではないか?と考えました。

ただ、「どんなことでも人のためになることをしたいのか?」という疑問も思い浮かびその点についても考えてみました。

どんなことでもOKなら接客業でもやりがいを感じられたと思います。
でもそれにはやりがいを感じませんでした。

ではなんだったらやりがいを感じられる?自分は行動しようと思える?と考えた時に、一つの結論が出ました。

☑自分が大切にしたい想い

この会社には、人事部という部門がありませんでした。
IT部門の部長が、部長陣の中で一番若いからという理由で採用業務を押し付けられる形で兼任していました。
当然、人材育成という概念もなく各部門のメンバーに丸投げする形で新人教育もしていました。

同期が辞めた時は私も2年目だったため仕事も一通り覚えていました。
そのため、同期が辞めた悔しさからIT部門の部長に、「私も人事を手伝わせてください」とお願いしに行きました。
何が出来るかは分かりませんでしたが、採用は部長がしていた頂いて、教育に関して私がお手伝いしたいという思いの丈を伝えました。

しかし、まだ2年目ということもあり、
「お前は今は営業だけしとけ!」
と一蹴されました。

その時に、自分のレベルの低さや変えたいと本気で思っていても叶わない壁があることを知りました。思いだけ強くでも意味がないのです。

後輩が辞めた時も、自分なりに引き留めたり上司に打診したりと動きましたが、それでも状況は変わりませんでした。

そのどうしようもない状況の中でも、私は「仕事が全くできない人間はいない」と本気で思っていました。その人材を活かす「制度や場所がないだけだ」とも思っていました。

どんな人でも可能性があって、その可能性が活かせる場所に配属されるかどうかは、運も絡んできます。
ただ、その「運」の部分に対して、お手伝いが出来る仕事があるならば、私はやりがいを持って仕事が出来ると漠然と考えていました。

その「運」の部分に関われる仕事は、当時私が調べた中では2つありました。
1つ目は、企業の人事部
2つ目は、人材会社
でした。

人事部の求人は思いのほか経験者の採用がメインだったため、営業しか経験のない私は人材会社をターゲットにして転職活動を開始しました。

やるならTOP企業!!という偏った考え方を持っていたので、とある1社だけを受けたのですが、いろんな運も絡んで無事内定を頂けました。

■人材会社にいざ入社

「仕事が全くできない人間はいない」と本気で思っていました。
その人材を活かす「制度や場所がないだけだ」とも思っていました。

私の想い

このような想いを持って入社をしましたが、私の担当はとある業界企業への採用をお手伝いする仕事でした。いわゆるRA(リクルーティングアドバイザー)の業務です。

RAとは、企業から人材要望を受けそれに合わせて求人票を書き企業に人材を推薦し採用していただくという仕事です。

業務を進めていく中で「え?なんで?」という選考のお見送り理由がたくさんありました。

・なんか合わなさそう
・転職理由に違和感がある
・直近が短期離職だから
・高卒だから

企業のお見送り理由の一例

上記の理由は、その企業の仕事が出来るかどうか、または活躍できるかどうかには全く関係のないお見送り理由です。
企業ってこんなにバカなんだ…」と衝撃を受けた瞬間でした。
だから人材会社がこの社会に必要なんだと感じ、自分がやるべき仕事も見えた瞬間でした。

☑私は「企業(組織)としての結論」に本気で嫌悪していました

・人事は良いと思っているけど、役員の承認が下りない。
・プライドが邪魔をして現場と人事が連携出来てない
・なんとなくでお見送りの結論付ける

お見送り理由を企業に追求した時の回答例

こんなことを言う会社には本気で「なんで?の追求」をしていました。

なにがダメなのかを具体的に話せない企業がほとんどです。
言い訳はいくらでも出てきます。

「そうはいっても、社長の承認がおりないと…」
「そんなこと聞かれても分からないです」
「このエピソードのここが気になる」

追求後の企業の言い訳

正直心の片隅では企業の言い分の気持ちは分からないこともありません。
強気に入社を後押ししたけど、早期退職してしまったらその人事部門の方の責任になってしまいます。そんなリスクを冒したくはないでしょう。

分かった上で、人材会社の求職者を紹介する立場にいる人間として真剣に対応していきたいと私は考えています。
その考えは今でも変わっていません。

個人よりも組織の方が力があります。
そこに少しでも割り込んででも意見を通すためには、強い想いが必要だと考えています。

高校時代の労働に関する考え方との変化がすごいことになっていますよね笑

■キャリアアドバイザーへ異動

RAの業務を3年間経験した後にCA(キャリアアドバイザー)の職種に異動となりました。
正直なことをいうと、人材会社でやりたかった仕事はCA業務だったのでこの異動は本当に嬉しかったことを覚えています。

CAとは、転職したい方に求人紹介や面接対策など、次の企業に入社するまでサポートする仕事です。

☑CAをしてびっくりした事実

世の中には、いろんな理由で転職したいと考えている方がいることを理解はしていました。
様々な企業があるので、その分劣悪な環境はあるでしょうしその方の状況も千差万別だとも思っていました。

それでも、いざ面談に来ていただきお話を聞いてみると本当に「リアル」を目の当たりにしびっくりしたことを覚えています。

・共同経営者に騙された
・毎日15時間以上の勤務をしているが残業代はない
・借金があるけど現在年収は200万円
etc…

まだまだこんな例ではおさまらないぐらい大変な想いをされている方が多くて、より一層自分の「困っている方に手助けをしたい」という想いが強くなったことを覚えています。

ただ、現実的に全員の方に幸せな提供が出来ているわけではありませんでした。
やはり「本人の希望」と「CAとしての意見」には溝があることもありなかなかお役に立てなかったことも多くありました。
ただ、それでも「CA」としての意見は伝えなければならない場面もあると思い、精一杯支援を頑張ってきたつもりです。

そんな中、とある方から就職支援のお願いを受けました

☑この仕事をしていて良かったと思った瞬間

その方とは、以前のアルバイト先の調理部門のリーダーでした。
私がアルバイトを退職した後も、年に1~2回ぐらいのペースで交流はしており、その中で最近転職したいと思っていると相談を受けサービスを開始しました。

正直、めちゃくちゃ緊張したことを覚えています。
そして人生で1番悩みました。

憧れていた方の支援が出来るだろうか
希望通りの企業を探せるだろうか
なにか不手際があったらどうしよう

こんな不安がありつつも、ひとまず求人紹介から開始しました。
当然普段対応させていただいている方々にも緊張感を持って対応はしているものの、すべて知っている相手となると緊張はさらに増しました。

日々進捗の相談や面接対策をしている中で、初めてリーダーの弱みや不安なども聞けてさらに深くその人を知れながら、とうとう希望の企業に内定をもらえました。

あの内定連絡は今でも忘れないぐらい嬉しかったですし、その時心の底からこの仕事をしていて良かったと思えた瞬間でした。

まさか過去に私の意識の面で助けていただいた方の、今後の人生に関わる転職という場面で力になれる日が来るとは思っておらず感動したことを覚えています。

恐らく過去の私の仕事への向き合い方のまま、今の仕事をしていたら転職の相談などしてくれていなかったと思います。

もとの私は労働なんて大嫌いと豪語し、自分で自分の枠組み(限界)を決めて成長する気にもならないような人間でしたが、いろんな人との出会いや考え方に触れることで、本気でやりがいを感じることが出来る仕事に出会えました。

■労働と向き合うために

高校時代と現職とで比較すると、労働に対する考え方が大きく変わっていると思います。

その変化が起きるために、いくつか大きな体験をしています。

・仕事に対して自分の想いを押しだして結果を出している人との接点
・自分の琴線に触れるような体験
・同期や後輩の退職という転換期

私の大事な転換期

ここで大事なのは、ちょっとした違和感に対して考える時間を取っているかどうかだと思います。

私が、マナー研修の時に「なんで手伝いたいと思ったのか」というちょっとした違和感を無視していたら、1社目で同期が退職した時に部長に人事を手伝いたいと話していなかったと思います。その話をしていないと、もしかしたら現職に受かっていなかったかもしれません。(最終選考でその話もしたので)

ちょっとした想いの違和感にフォーカスして、立ち止まって考えることって凄く重要だと身をもって感じてるので、今仕事に対して違和感を感じている方は、自分の人生を振り返ってみるのも良いかもしれません。

長いお話でしたが読んでいただきありがとうございました。

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