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"無敵の人"じゃない | 犯罪者予備軍

「俺らって友だちだもんね?」みたいなことを幼い頃に言われた記憶がある。「オレラッテ トモダチ ダモンネ…?」外国語を突然話されたような感覚になった。「トモダチ」ってなに…。自分でもなんて返したのだろう。思い出せば、昔から小難しいことをいちいち考え過ぎていた気がする。

基本的に学校で孤立していたので、"友だち"の概念理解が難しく思う。自分は人間界に突然送り込まれた人型ロボットなのか、と思うこともある。端的に言えば、ほとんどの人はざっくりとしか捉えておらず、そんなに意味を細かく分解して認識していないのだと思う。これも単なる予想なので本当にそうじゃなかったことが分かる瞬間が恐ろしくて堪らない。誰か本当のことを教えてほしい。ただそれとは逆に、この人とは喋らなくても同じ感覚を持っていることが分かる瞬間もある。ただし、そういう概念を表す単語があまり見当たらず、かと言ってスピってる言葉に逃げたくないのもあり、益々自分の頭の堅物さに嫌気が差す。

2016-17年辺りに個人的に完全な人生の谷があり、僕はTwitterで自分と同じ病態の人との語り合いを求めた時期がある。そういう完全な病みの中でさらに心は蝕まれていき、鬱でも不安でもなく、完全な無になった。恐らく虚無とも違う。人によってはこれを"悟り"と呼ぶのかも知れないし、"廃人"と呼ぶのかもしれない状態だった。「どうでもいい」と「なるようになる」という狭間。学習性無気力が続き、風呂には2,3週に1度入れば良い、他人に着替えをさせられるのも拒む、非嘔吐過食が続き体重は一気に20-30kg増えたり、急に自分が生き延びるためだけに他の生命を奪ってしまうのはもう辞めたいと考え出して拒食になり、40kg代まで激ヤセした時もあった。痩せた姿を良いとかいう人もいて自分のボディイメージさえ失う。急に太ったり痩せたりしていく中で精神のバランスはさらに崩れていった。

太陽の光がやけに眩しくて部屋は完全な暗室になった。自分の体臭すら生きてる心地がした。家族の足音ひとつに苛立ち、親の一挙手一投足にピリピリしては頭皮を掻く。掻きすぎて皮膚炎を起こし、またイライラする。完全な負のループだった。Twitterに罵詈雑言をつぶやけるだけの余裕がある同じ様な人間さえ疑いだした。「お前たちはこんな状態にすらなっていないのに、些細な不幸で辛いとか死にたいとか贅沢な御身分だな」とさえ思った。社会福祉制度を疑ったり、国の在り方に苛立ったり、とにかくストレスの捌け口はなんでも良かった。"無敵の人"とか呼ばれる人が起こす殺人事件の犯人が「殺すのは誰でも良かった」という理由が僕には分かる。だから、彼らを一様にして責め立てることなど、僕には出来ようがないのだ。これのどこが無敵なのか。笑えない皮肉はちっとも面白くない。

「気持ち悪い」「理解出来ない」そういう気持ちになるのは理解できる。僕だって、自分の大切な人の命がそんな身勝手な理由で奪われた時には、発狂どころでは済まないとは思う。それでも、社会的弱者の人生は残酷なほどに苦痛の連続であることも認めなくてはならない。僕にいったい何が出来るのだろうか。自由意志など存在し得ないのだろうか。僕は最近、一曲をイントロからアウトロまで聴ける日々をとても幸せに感じている。

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