マガジンのカバー画像

小説シリーズ

153
古い順に読んで頂ければ
運営しているクリエイター

2020年10月の記事一覧

いつかの、(潜水)

 どういうわけか、梛さんとわたしは一向に顔を合わせなかった。わたしは直接、梛さんに会いたかった。だから連絡は取らなかった。
 わたしは足しげく屋上へ通ったし、なんなら駐輪場で待ち構えてもいた。さすがに三年生のフロアに足を運ぶのはためらわれたが、それ以外、梛さんのやって来そうな場所へはすべて、行ったつもりだ。

 しかし梛さんは現れなかった。どういうことだろう。この前までは、わたしが梛さんを避けてい

もっとみる
いつかの、(シナリオ)

いつかの、(シナリオ)

 アルミサッシの引き戸。この辺りではよく見かける、道路に面した個人経営の店舗様式。そのガラス越しに、絵があった。少し奥まった位置に飾られているから、詳細まではよく分からない。白線の内側、わたしの立つ側溝の蓋がかたかたと鳴った。そこから目を凝らしてみる。道路をまたいだ向こうには、やはりあの絵が見えた。道を渡ろうとすると、立て看板がある。どうやらここは喫茶店らしい。客は一人もいない。

 はっと我に返

もっとみる
いつかの、(微か)

いつかの、(微か)

 誰だ。

 さあっと熱が引いた。おかしい。わたしは侵入者だった。開店前のカフェに無断で入り込み、絵を眺めている。警察に通報されていてもおかしくない。そのわたしを、待っている。そんな人間は梛さん以外にいない。わたしは顔を上げた。声が聞こえた店の奥から、老齢らしき人物がこちらへ歩いてくる。黒地に白のストライプが入ったエプロンを付けていて、その下にはリネンのシャツを着ているようだった。

「す、すみま

もっとみる
いつかの、(夏至)

いつかの、(夏至)

「顔立ちはあまり覚えていないのですが」そう店主は切り出した。
「笑う顔が印象に残っています。一人でこの店に来て、笑っていたんですよ」
「なぜ一人なのに、笑っていたのですか」
「そこまでは、分からないなあ」

 わたしは改めて、その絵に向かい合った。額縁は青みがかった銀色をしていて、その油彩画から受ける冷たい印象をより一層引き立てていた。

「壁から、外してみてもいいですか」自然とそう口に出ていた。

もっとみる
いつかの、(此方)

いつかの、(此方)

七章
 こんな世界にも雨は降る。誰の身体も等しく濡らし、地球へ吸い込まれる。わたしは自転車通学を止めた。バスは人で溢れるし、合羽を教室で乾かすのもなんだか嫌だ。それなら傘を差そう。顔を隠して歩けるだけで、世界はわたしにとって幾分か心地のいいものになる。わたしが口笛を吹いても、雨音がかき消してくれる。だから、わたしは雨が好きだった。

 屋上へ向かう頻度はめっきり減ってしまった。昼食をどこで食べれば

もっとみる