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いつかの、(シナリオ)

 アルミサッシの引き戸。この辺りではよく見かける、道路に面した個人経営の店舗様式。そのガラス越しに、絵があった。少し奥まった位置に飾られているから、詳細まではよく分からない。白線の内側、わたしの立つ側溝の蓋がかたかたと鳴った。そこから目を凝らしてみる。道路をまたいだ向こうには、やはりあの絵が見えた。道を渡ろうとすると、立て看板がある。どうやらここは喫茶店らしい。客は一人もいない。


 はっと我に返る。客がいるはずもない。今は午前八時。開店には早過ぎる。そして、わたしが学校に向かうには、遅過ぎる。遅刻だ。途端にどうでもよくなった。
 ああ、平坦な日々。そういえばわたしにとって、大半のことは取るに足らないことだった。それを今、思い出した。惰性が途切れる音がする。さよなら日常。わたしはアルミ戸に手をかける。ガラガラと引き戸の開く音。鍵はかかっていなかった。不思議とその確証があった。喫茶店は静寂に満ちている。わたしは足を踏み入れる。

 その絵は屋上のキャンバスと全く同じ構図をしていた。重たい色で塗られた山と空。キャンバスの絵を最後に見たのは数か月前のことだけど、記憶の中のそれと、目の前のこの絵はぴったり一致する。わたしは絵に触れた。本来は許されない行為。別にわたしは許されたいとは思っていない。むしろ、断罪してくれよ。
 どすん、と音を立ててソファに腰を下ろす。アルミ戸にはめ込まれたガラス越しに陽光が差して、舞い上がった埃を照らした。ふかふかとしたソファの前には寄せ木細工のテーブルが置いてある。二人が向かい合うのにちょうど良い大きさ。床と同じ素材を使っているのだろうか。どちらにもワックスをかけたような、ぬらりとした艶がある。テーブルを挟んだところには、小さな椅子が置かれている。背もたれはなく、バーのカウンターにある、こぢんまりとしたやつ。

 わたしはソファにもたれたまま、頭を上に向けた。白い天井。壁紙と同じ素材だろう、梁や柱に使われた深みのある木材と、美しい対照を成している。そのまま首ごと体を反らす。あの絵がちょうどさかしまの格好でそこにある。山の頂上は下を向いている。急に脳がくらりとする。自分が体ごと、空へ落ち込んでいくように感じた。落ちる夢。それはわたしがよく見る夢の内容だった。比較的ありふれた内容なのではないかと思う。ジェットコースターみたいに、急にふわりと体が軽くなって、落ちる。その心地で目を覚ます。そういうことが頻繁にあった。体を一度起こした後にも残る妙な高揚感は、不快なものではなかった。

 山で落ちるときも、同じなのかな。気付いた時には落ちていて、地球の中心へと引きずり込まれる。わたしはしばらくその体勢のまま、絵を眺めていた。やがて頭に血が上ってきたので、ソファへ座りなおす。重力によって集まりつつあった血液が、また体を流れ落ちていく。真赤な血が、いまもわたしの内側を滔々と流れる。それに逆らうように心臓は脈を打つ。はじめから、わたしの体は抗うようにできている。すべての物には重力が働いて、お互いに引き合っている。地球は質量が極めて大きいから、それに伴って生じる重力も桁外れに大きい。当たり前。その当たり前にわたしは苛立っている。

 いつから壁の存在は「当たり前」になったんだろうか。梛さんが語っていた話。わたしの命は、わたしのためであるようで、実はそうではない。そんなことを言われたって実感は湧いてこない。わたしはわたしのために生きている。誰かに優しく言葉を掛けるのも、誰かのために自分の時間を割くのも、実は全部自分のため。その浅ましさはわたしをしばしば責めたけれど、その自分本位によってわたしはわたしであり続けられたのだと思っている。

 それもすべて、この国のため?わたしの葛藤や苦悩もすべて、共同体の糧になってしまうのか?だとすれば、わたしがそれに抗おうとすることすらも、既に織り込み済み、なのだろうか。

 余りにも荒唐無稽な話じゃないか。陰謀論みたいだ。傀儡になるつもりはない。それなら、死んだほうがまし。

「もし」

 そう口に出してみる。誰にも聞こえないくらい、小さな声で。

 わたしがあと一世紀早く生まれていたら、わたしはこうはならなかっただろうか。自由という言葉の持つ意味を、心の底から理解できていただろうか。あまりにも漠然とした問いかけ。待ち合わせ場所が、花火の見えるところ、だったときくらい、漠然と。きっと待ち合わせ相手は梛さんだ。きっと梛さんは知っている。わたしがどこへ向かうのかを。そしてわたしを待ち伏せして、アルカイック・スマイルを浮かべてこう言うんだ。

「待ってたよ」

 その言葉はわたしの内側からではなく、外側から聞こえてきた。梛さんとよく似た口調で、しかし違う声色で。

(続く)

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