最後に、この本で思いがたまった言葉を綴っていくことにします。 ◆先ずは 『1970年代、競争力を落としたフォード社で、経理と営業のバランスが崩れたていた状態について・・・』 「経理担当者が、会社の中でまともなのは自分らだけだと思い込んでしまった。「我々がブレーキをかけなければ、バカどもが会社を潰す」(車の世界の情勢変化の速さに気づかず) 彼らは「会社の競争力がみるみる落ちていくというのに、
銀行との闘い すさまじい攻撃の刃をくぐってようやく政府保証を獲得。でも銀行は黙って融資や金利減免、返済猶予に応じるわけではなく、1行づつ交渉しなければならない。それがまたもやダムのような障壁に。「その交渉の困難さに比べれば、議会の公聴会など春の日にパンクしたタイヤを取り換えるようなものだ」 タイヤ交換だって大変ですが・・・ ”できる”、しかも爆弾クラスのジョーク
「コテンパン」 ◎アメリカ政府に債務保証を申請・・・彼とクライスラー社は、政界、財界、メディアの猛攻を浴びることに👹。 議会の公聴会は、まるで被告人の扱い。「ひとりぽっちですわり」「クライスラー経営陣が犯してきた罪を、あることないこと、裁かれなければならなかった」 「貴様の証言がなんだ。やっつけてやるぞ」と吊し上げられる。 特に攻撃が激しかった人物は実名を挙げ、浴びせた言葉を綴っています
誘いの手 手腕も実績もある彼に、いろいろ高いポジションの誘いが来るなか、業界3位ながら経営危機を迎えていたクライスラー社の会長自ら入社を打診されます。印象は「全治1年かそこらといった傷」。やれないことはない! と社長就任を決意。しかし現実は”超”惨状でした。 後悔、ショック 「あのとき、クライスラー社がどんな状態かを知っていれば、どんなに金を積まれようとも、社
暗転 関係良好かと思いきや、次のページからは社主についてネガティブ一辺倒になります。曲折は重なり、1975年に社主は「明らかに計画的に、私を潰しにかかった」 なぜ、これほどの経営手腕を発揮した彼を、一転して社主が嫌い始めたか? 両成敗? この本は彼から見た社主の姿。一方、ウィキペディアによれば、アイ
その3 勝利と栄光の日々。”カーガイ”よろしく、新車開発に熱中した彼は社内で協力しつつ、名車”ムスタング”で大ヒットを勝ち取ります。さらに”クーガ”、”マークⅢ”とヒットを連発。総支配人といっても就任当初はぽっと出の身で、「われわれの失敗を期待している社員が少なくなかった」といいます。実際、急に伸びる者は警戒され、妬まれる事、世の常。 しかしこれを跳ね返して大成功を重ねた彼に、次第に頂点の座は近づきます。19
その2 1960年は彼にとって急上昇の年でした。トラックと乗用車販売部長に就き、そして11月にフォード部門の総支配人兼副社長になります。この時の上司、つまりフォード社長はロバート・マクナマラです。しかしケネディ政権が彼に目を付け、社長就任後間もなく、なんと国防長官に転じることになります。 国防長官
その1Amazonを見ると、”中古 1円 可" の価格ですが、かつてアメリカの自動車業界№2と3の会社を経営し、エベレストとマリアナ海溝を行き来するような浮き沈みを生き、それを全世界も知った人物の本です。読んで心が動いた箇所を「」に引用して綴ります。 フォードモーター時代人見知り 入社は1946年。意外や入社当初は人見知りで、販売には「天賦の才はなかった」「最初の1,2年のあいだ、私はどうにもぎこちなかった」そうです
この名のとおり、そそっかしい私です。パソコンにコーヒーをこぼして壊したのも本当です。 でも関心事は色々あり、続けて書いていきたいと思います。 ざっと並べてみますと・・・ ◆近江商人 有名な「三方よし」を含め、江戸時代に商人が残した家訓や奉公人教育は人間教育でもあり、教えには今にない味わい深い表現があります。 ◆カントリーポップ 気に入った洋楽、そしてロック・ポップス化、融合著しいアメリカのカントリーポップ。歌詞を見ながら動画で聞けば、アメリカン英語の滑舌、発音に浸れ