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リー・アイアコッカ ”わが闘魂の経営”

その2                               1960年は彼にとって急上昇の年でした。トラックと乗用車販売部長に就き、そして11月にフォード部門の総支配人兼副社長になります。この時の上司、つまりフォード社長はロバート・マクナマラです。しかしケネディ政権が彼に目を付け、社長就任後間もなく、なんと国防長官に転じることになります。                                 国防長官                              この本から離れますが、国防長官としての彼は、キューバ危機、ベルリン危機、ベトナム戦争などの重大事案に対処。会計士のキャリア等の力をもとに国防予算にシステム分析を駆使します。やがて空軍、海軍の主力戦闘機を1機種に絞って予算節約を目指し、F-111が誕生しました。しかし重すぎて戦闘機としても海軍機としても運用できず、初期トラブルもあって失敗作と評価されます。その後、改修を経て性能も安定すると、超音速低空飛行能力を持つ本気は当時の西側陣営にとって貴重な存在になったそうですが。ともかくマクナマラ。アイアコッカは彼を、「会社の状態をスパッとゼニ勘定で分析してくれる」者で「コンピュータ無き時代のコンピューター」と評価しています。経営に関しても、「あらゆる選択肢を検討し、経営戦略を考え尽くしている」と言います。重大な決断にあたっては、「少なくともバニラかチョコレートかの選択くらいはしておかなくては」と。「一億ドル以上の金が関係してくる決断なら、それに加えてストロベリーも考えておけ」とのこと。あちらの方は言い方がイキですね。                脱線ついでに。コロナ禍とオリンピック対応も、想定事態で分けたシナリオがいくつも用意され、実態に合わせて実施し、ダメなら修正して再度実施、というようにアナウンスしてもらえないものでしょうか。これは脱線です。

フォード部門副支配人                               アイアコッカはマクナマラ社長のもと、総支配人兼副社長として腕を振るいます。その時代のことを、彼はこう表現しています。「私の半生の中で最も生き甲斐ある一刻一刻だった」「朝は一分でも早く会社に着きたかったし、夕方は帰るのが惜しかった」「世界がこれまで見たこともない傑作を作ってやるぞと、芸術家のような情熱に燃えていた」私はこの箇所を何百回読んだことでしょうか。 およそ仕事というものに向き合う人と人生のうち、これほどの喜びに浸れる割合はどれくらいでしょうか? この本を読んだ当時、私はヒラのサラリーマンとしてこの幻想に憧れ、そして気が遠くなるような現実とのギャップに失望したものです。しかし彼にとって、これはまだ絶頂ではなく、その先の頂上を目指していくのです。      =次へ続く=

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