見出し画像

物事を極論に批判する危うさ。RAD,尾田氏,弁当注文

近頃のニュースときたら...なんて語るのはあまり好きではない。

僕が言わなくても他の誰かが言っているし、同じように同じような切り口で語ったところで面白味はない。
でもそんなのは分かっていても自分の口で言いたい時がある。それは人間の性ってやつだろうか。今日はそんなことを言ってみたい。


近頃のニュースの典型として炎上というのものがある。

一つのニュースに対して賛否両論があるのは、あって当然だ。多かれ少なかれそれはあるべきだ。この賛否がどちらかに偏った状態の方が恐ろしい。だから賛否はあるべきだ。然るべきなのは「否」が極端に振り切っていることだ。「否」の意見は分かるがそこまで言うかというところにある。一人ひとりが発信できる時代だから仕方ないのか。テレビのコメンテーターのようだ。


ここに二つの記事がある。

RADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞「ONE PIECE」の89巻の物議である。


RADWIMPSは僕は曲を作る上で大きく影響を受けているし野田洋次郎氏の感性が好きだ。野田氏の言葉のセンスが好きで、彼は日本語が好きで日本が好きなのだとどの作品からもそれは垣間見える。だからこそ今回のような直接的な歌につながったこともなんら不思議ではない。
そして今回の騒動の後に謝ったことについても、ただ事態を収めようとした思惑だけではないと思う。もちろん事務所の意向によるものも多少なりともあると思うが彼の人間性にもよるものだと思う。ただいちファンとしては、今回の騒動によりこの曲を自粛するということは避けて欲しい。


次に「ONE PIECE」の89巻の物議について。
これはちょっと良くないかなとは思うが、そこまで問題にする必要があるかということ。ONE PIECEという今や日本を代表する漫画であるが故に些細なことで吊し上げられる。揚げ足をとるのに必死な連中がいる。



この二つの記事。

一方では愛国心を持つことを批判され、一方では愛国心が無いと批判を受ける。
もちろん、同一人物が批判しているわけでは無いだろう。前述したように賛否があるのは自然なことだろう。しかし、話が飛躍しすぎである。表現者、あるいは発信者は一つの行動を起こすたびに、「否」の飛躍したところまでを網羅できるような表現をしなければならなくなる。傷つけることを恐れるあまりとんでもなくつまらないものばかりになる。


そして、最近のニュースで極め付けはこれだ。

神戸市の職員が仕事中に弁当の注文をしたことを謝罪した記事だ。この弁当の注文するのに費やした時間はなんとたった3分だ。
以下記事より抜粋。

神戸市の担当者は、会見で「このような不祥事が生じてしまったことは、大変遺憾であり、申し訳ございませんでした」と陳謝しました。男性職員は「気分転換のためだった」と話しているということです。


もう、無茶苦茶で咎められる前に謝っておこうの境地に達している。ツッコミどころ満載で、エイプリルフールの記事かと思うくらいだ。もう何をしたら世間から大目玉をくらうのか、そこらへんがバグってきている。
たった3分ぐらいどうでもいいのだが、仮にこの行為さえも所長が許せないとするならば、そんなのは内々で注意するまでに留めておくべきだ。こんな会見を起こす時間と労力の方がさぞかし無駄である。




僕はよく嘘をつく。

こんなのが半日減給に相当するならば、僕は命がいくつあっても足りない。
きっとあなたもそうでしょう。


人を許す余裕ぐらいは持っておきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?