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長野ひとり旅行記|前編

経緯は省略するが、四月になるまで無職の身であった。
自由を得てからしばらくは、友人と寿司を食らい、泊りがけで東京ディズニーシーに行き、漫喫に一日入り浸り、とにかく人との接触を堪能した。あっという間に一週間が過ぎた。意図せずして、数少ない私の尊い友人たちとの約束は一週間のうちに偏っていた。私は彼女たちとの約束を果たし終えると、図書館とツタヤで無謀とも言える量の映画と本を借りてきて、家に籠もってそれらに没頭した。私は友情と孤独の両方を愛していた。
文化の恩恵を浴びに浴びて、そろそろ水位が踝を越えるかなというくらいには映画と本でぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらんと過ごしていたのだが、ふと思い立った。それは欲求だった。

旅行に行きたい。それも一人で。

すぐさま私はウェブサイトで検索をかけた。思い立ったが吉日。好機逸すべからず。善は急げ。とにかく私は、文化の水遊びを切り上げてインターネットの大海へ飛び込んだのである。迷いはなかった。それは力強いクロールだった。
目星をつけたホテルの予約サイトに適当な日付(向こう一ヶ月、私を縛る予定は取り立てて無いのであった。無職だからである。)と宿泊人数「1」を入力し、最も適した宿泊プランの選定に取り掛かった。といっても選定はすぐに終わった。これは美点であるのだが、私は一人旅というものに対して誰よりも剛毅果断な質であった。つまり、日を置かずして予約まで済ませたのである。ウェブサイトを開いてから一時間も経っていなかった。
私がえいや!と申し込んだのは連泊プランであった。行き先は長野。鬱屈の日常を忘れさせてくれる程度には遼遠の山向にあり、しかし交通費を心配せずに済む程度には遠すぎないという絶妙な位置にある、旅行にはうってつけの長野。色めく静寂を抱く美しき長野である。
これは持論だが、日帰りでも連泊でも行き帰りの交通費は変わらないのだから、できることなら旅行は連泊にしたほうが良い。旅先が遠ければ尚の事だ。そういうわけで滞在は二泊三日にした。明明後日からである。明日の明日の明日。つまりあと三回寝たら旅行であった。連休明けと閑散期が重なり、老舗ホテルの価格帯としてはかなり良心的に値下げされていたのだ。予約カレンダーで破格の値段が燦然と光り輝いていた。逃す手はなかった。その日が明明後日だっただけで近日を意図した訳ではないのだが、結果としてそうなったのである。しかし早いに越したことはないので、私は大いに満足して床に就いた。

一夜にして、私の長野行きは決定事項となったのである。「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とはよく言ったものだが、私は見事逃げる二月の尻尾を鷲掴んでみせたのであった。


※個人情報保護のため、多少のフェイクを入れています。

前夜

そして数日が経ち、いよいよ明日出立だという夜。
私はというと、何も終えていなかった。明日の交通手段も着ていく服も決めていなかったし、当たり前のように荷造りも済んではいなかった。しかして悲しむべきかはさておき、これは私のよくある旅行前夜であった。荷造りなんてものは、家を出る前に終わっていれば良いのだ。交通手段は乗る前に決まっていれば良いし、着ていく服は着る前に決まっていれば良いのであった。

旅行前夜の目下、私の煩悶は「どの本を何冊持っていくか」という一点に収斂していた。本棚の前に座り込み、何冊もの積み本をひとつひとつ目に据えて私は唸っていた。一人旅に本の随伴は必須である。しかし、旅に持っていく本の選定というのは非常に難しい問題であった。持って行き過ぎては二泊三日の荷物も相まって、長野の地を鈍重に這いずり回る羽目になる。しかし臆病にも本の冊数を減らして、旅先で読む本がなくなるなんて失態を招くことだけは絶対に避けねばならなかった。
去年、積み本の消化を目的として一人旅をしたのだが、私は浮かれて家から何冊もの本を持ち出し、それだけでも飽き足らず行きの乗り換え駅にあった本屋でも追加で本を購入し、旅先の往来で本の入った紙袋を破いてしまったことがある。一つの紙袋に分厚い単行本と文庫本が入り混じった小説が十は詰められていたので、至極当然の帰結であった。この苦い思い出を反省材料に、旅行プランを加味した最適の選書構成を導き出そうとしていたわけである。
私は悩みに悩み、文庫本を四冊持っていくことに決めた。前回は節操なしに単行本を大量に持っていったので、その点を改善したのである。また、選んだ四冊は全てミステリ小説であった。偶然にもジャンルが纏まったのであるが、減らした冊数とバランスを取る算段を無意識のうちにしたのかもしれない。というのも、私のミステリ小説を読むスピードは、勿論作者にも寄るが他ジャンルと比較してそれ程早くないのだ。奇っ怪な殺人事件や複雑な時系列を脳内で整理しながら読むので、文章を噛み砕くのに時間を要するのである。
加えてこれは偏見だが、長野旅行ってなんとなく「ミステリっぽい」ので丁度いいなと思ったのだ。殺人事件というのは警察の助けが直ぐに及ばない山奥の高地でよく起こるものだし、厄介な事件に巻き込まれるのは歴史ある観光地というのが相場と決まっている。海岸から遠く離れた内陸県であるというのも特殊トリック(長野で海水の溺死体が出てきたが死亡推定時刻から逆算すると海で犯行に及んでから発見場所に死体を運んでも間に合わない、一体誰がどうやって!?みたいな)の香りがしてくる気がする。長野への偏見というよりも、非日常のミステリにロマンを感じているという表現が近いかもしれない。

以下、選ばれし本である。具体的な紹介は後述させていただく。

  1. ウィリアム・アイリッシュ『幻の女[新訳版]』 黒原敏行 訳

  2. 斜線堂有紀『キネマ探偵カレイドミステリー』

  3. 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』

  4. 森博嗣『冷たい密室と博士たち』

さて、選書の大仕事を終えた私だったが依然として他の作業は進んでいなかった。時刻は二十二時を回ろうとしていた。計画的な方からすれば否定的な意見が数多いだろうが、二十二時というのは全くもって焦る時間ではない。持っていく本を選ぶのが一番大変なのだから、あとはささっと終わらせて寝るだけなのだ。

他の作業は進んでいなかったと書いたが、強いて言うならば、その日は図書館で旅行ガイドブックを何冊か借りてきていた。強いてと控えめに書いてはいるが、これは私にとって快挙であった。
私という人間は、複数人と認識を擦り合わせながら観光の計画を綿密に立て、その計画通りに時間いっぱい団体行動するというのが正直かなり苦手なのである。如何せん体力が無いので疲れてしまうのだ。小説の舞台を聖地巡礼する弾丸旅行を一人でやったこともあるが、団体行動というファクターを抜きにしても旅行における計画立案と遂行は精神的にも体力的にも負担が大きい。達成感を得られるし非常に楽しくもあるというメリットは理解しているが、向いてはいないのである。その私が、旅行ガイドブック。るるぶやらことりっぷやら、観光名所が紙面にぎゅっと隙間なく詰め込まれたあの冊子を。驚天動地とまではいかずとも、この事実に少なくとも我が身は震えた。

何故こうなったのかというと、時刻は二十二時から十時間巻き戻って昼頃。私の目には、どうしてもレンタルしたい映画がようやく他の客から返却された旨を告げる在庫検索結果が写っていた。行かねばならぬ。明日から三日間家を空けるが、この映画を七泊で借りねばならぬ。固い決意であり、決定された未来だった。こうして私は雨降る街を抜けてツタヤに滑り込んだのである。ちなみに私はこの前日に同店舗でレンタルしていた六本の映画を返却し、三本の映画をレンタルしていた。しかし悩まずそのどうしても観たかった二本の映画(北野武監督『ソナチネ』『その男、凶暴につき』)をレンタルした。迷うことなど何もなかった。単純な足し算と引き算だった。要するに、五本の映画を七泊でレンタルしてすぐ三日間家に残し、帰ってきてから残りの四日間ほどで全て観る決断を下したわけだ。

目的は達成されたかのように思われたが、どうせ外出したのだからと図書館に寄ったのである。私の自宅からツタヤは遠く、図書館も同様に遠くにあったが両者は近い位置にあった。少なくとも私の自宅よりかは近くに。
この時点で、図書館で旅行ガイドブックを借りようなんていう考えは微塵もなかった。ちなみに私はこの前日に同図書館で借りていた八冊の小説と五本の映画を返却し、二冊の小説と五本の映画を借りていた。しかし迷うことなく二冊の小説を胸に抱いて貸出カウンターへ向かった。図書館の本の貸出期限は二週間もあるのだ。DVDは一週間だが、さりとて何を迷うことがあるのだろう。旅行が終われば家での時間はいくらでもある。これもまた単純な足し算と引き算であった。

このとき、ふと思ったのだ。せっかく遠路はるばる図書館に寄って荷物も軽いのだから旅行ガイドの棚でも覗いておこうか、と。目的の行き先が特集された冊子を手に取り、ぱらぱらとページを繰るってみると一見しても有益だろうと分かる情報が目に飛び込んできた。なるほどこれは旅行ガイドブックなるものを少々舐めていたのかもしれない、参考にすれば更に良い旅行にすることができるだろう。そう私は判断した。これも追加で、と数冊の旅行ガイドブックを貸出カウンターに持っていったのである。後に分かることだが、このときの私の判断は大いに正しいものであった。

時を戻して二十二時。
今回私がやりたいのは確固たる目的を達成する為の旅行ではなく、自由気ままにゆるく好き勝手やる所謂リフレッシュ旅行であった。旅行ガイドブックを借りてきた所で私の性分は変わっていない。しかし、三日も滞在するのだから美味い飯屋を知っていて損はないし、多少の観光をしても楽しいだろうと思ったのであった。
そういうわけで、ガイドブックのページを捲っては目ぼしい観光地をGoogle Mapsアプリにピン留めしていった。これが旅行中、非常に役に立った。まず、何冊も旅行ガイドブックを持っていったら荷物になるが、アプリ一つで良いので身軽に観光できた。旅行ガイドブックに付箋を貼ってそれ片手に観光するのも素敵だろうが、私はガイドブックを持っていくくらいならもう一冊でも小説を持って行きたい物語ジャンキーなのだ。また、知らない土地で迷子にならずに済んだし、各々の位置関係や営業時間を考慮して効率の良いルートを選ぶことに成功したのである。
アプリに店名や観光地の名前を打ち込んでピン留めするだけだったので、ものの三十分で作業は終わった。それから三日分の着替えと化粧品と本を鞄に詰め込んで寝た。それなりに高いホテルはアメニティが充実しているので荷造りが楽で良い。二月末とはいえ長野はまだ寒いだろうと思ったが、服は工夫してあまり嵩張らないのを選んだ。私はスーツケースを持っていないので、GUのラウンドショルダーバックに全部詰めた。気合で。拳で。貴重品は別で小さい鞄に入れていたが、あのショルダーバックで済む程度には身軽だったと言っておこう。

荷造りが終わって一段落付いたのは〇時半だった。明日の、否、今日の交通手段をどうするか何も決めてはいなかった。が、寝た。旅行前夜の睡眠は何よりも大事なのだ。交通手段なんてどうにでもなるのだからグダグダ考えずに寝るべきであると、今から交通手段を調べたところで無駄に夜更かしして終わるんだからと、私の明晰な頭脳が告げていた。たった一つの真実見抜く、見た目は私、頭脳も私、その名も私であった。布団に入ると、一気に眠気が来た。

旅の始まりが、夜明けが近づいていた。曇天は去ろうとしていた。長雨は途切れるでしょう、とお天気アプリが淡い光を放ちながら教えてくれた。


一日目

朝六時半に起きた。旅立ちの朝というのは清々しい。予報通りに雨は上がっており、気持ちの良い快晴であった。
私に示された選択肢は三つだった。特急しなので三時間かけて行くか、在来線の鈍行列車で五時間かけて行くか、高速バスで四時間半かけて行くか。
しばしの逡巡の後、特急しなので行くことにした。バスや鈍行列車よりも交通費は嵩むが、便数が多いのでチェックインを考慮した到着時間の調整がしやすい。そして何より速い。速いというのは、家を遅く出られて目的地に早く着けるということだ。文明の勝利である。長時間の移動でも雪景色を横目にたくさん本が読めるし特に苦痛は感じないのだが、私はチェックイン前に行きたい場所があったのである。

朝の一時間で支度を終わらせ、名古屋駅へ向かった。到着してすぐ券売機へ。ネット予約はしていない。交通手段を決めたのは今朝であったし、今日は平日で乗るのは名古屋➞松本の特急だ。時間も半端であったし、自由席だろうが埋まっているはずがなかった。

スムーズに自由席特急券と乗車券をゲットし、出発時間まで余裕があったので駅構内のドラッグストアに立ち寄った。主要駅にある店は朝早くからやっているので有り難い。何かのランキングで一位になったと主張するキラキラした販促シールが貼られたメディヒールの美容マスク(三枚入りで旅行に丁度よい)と、友人が良いと言っていたYOLUのヘアオイルを特に迷わず選んで即時会計した。いくらホテルのアメニティが充実しているとはいえ、非日常での就寝において乾燥は大敵であり油断していると旅行中快適に過ごせなくなることを私は過去の経験から学んでいた。ヘアオイルに関しては丁度自宅にあるものが無くなりそうだったのでついでである。必要経費であった。

特急しなのに乗り込むと、予想通り車内はガラ空きであった。私は窓際の席に腰を落ち着け、本を取り出した。ここから二時間、快適空間で本が読めるわけだ。背もたれに身を預け、私はミステリ世界に没頭した。

そして、目的地まであと数十分という時に、斜線堂有紀の『キネマ探偵カレイドミステリー』を読み終わった。

シリーズ続編を家においてきたことが悔やまれる面白さであった。本書は三巻完結のシリーズものであるが、私は三冊買って三冊とも積んでいたのである。
登場人物のキャラクター設定や各人の関係性が魅力的なのは斜線堂作品の一つの特徴であるが、映画を絡めた謎解きも相まって非常に面白く、あっという間に読み終えてしまった。
満足気に本を閉じ、顔を上げると車窓の外はすっかり銀世界であった。

民家の屋根に、木々の枝葉に、山肌に、白く冷たいものが覆い被さっていているのが見えた。俗的な彩度の一切が退けられた、美しいモノクロが私の瞳から過ぎ去ってはまた新たに途切れることなく現れるのだった。嗚呼、これを雪化粧と呼ぶのだな、と私は思った。


到着

十一時、松本駅に到着した。特急しなのから降車すると、冷たい空気が私の頬を撫ぜた。チェックインの時間は十五時にしていたので、およそ四時間は自由行動ができる。

まず最初に向かったのは、駅正面から伸びる大通りを歩いて十分のところにあるブックカフェであった。ここに長居する魂胆で、十一時に来たのである。
寒かったが、雪を見たくて日陰側の歩道を歩いた。こういう残雪を撮ると如何にも観光客の仕草といった感じで少しばかり恥ずかしかったが、私は真に観光客であったしそもそも観光客で何が悪いのだと思い直し、ぱしゃぱしゃとカメラロールに雪を収めた。滅多に雪が積もらない地域で生まれ育ったので、雪を見ると否応なく喜びが湧く。

件の店の外観は、お世辞にも分かりやすいものではなかった。店先に小さな立て看板が控えめに置かれているのみで、ガイドブックで目星をつけていなければ通り過ぎていたかもしれない。どうやら元々あったラジオ商会をスケルトン物件にして改装しているらしく、外観はほとんど変わっていないことが目に取れて分かった。「高橋ラジオ商会」の看板のほうが目立ってしまっている。しかし、その慎まやかさには寧ろ好感が持てた。

採光に優れたガラス張りの店内は広々としていて、活版印刷機と鍵盤ピアノが並んで黒い光沢を放っていた。カフェは二階建てであり、どちらにも食事スペースはあったが私は注文を済ませると二階に上がった。私はガイドブックにより、二階が胸踊る空間であること知っていたのである。

急な階段を慎重に上がっていくと、二階はあたたかな光と静謐な空気で満たされていた。昼前であったからか他に客はいないようだった。ガイドブックで店内の写真は事前に見ていたが、実際に見てみると本当に素晴らしい内装であった。壁一面を覆い尽くさんばかりの本棚、本だけでなく雑貨や文具なども取り揃えられており、そのラインナップを見れば一つ一つがこだわり抜かれたものであることが理解できた。

中央にある鶯色のアンティークソファも可愛くて惹かれたのだが、壁際に置かれた褪せた緋色の一人掛けソファの座り心地が良かったのでそちらに腰を掛けた。しばらくすると店員さんが注文した珈琲とトーストを席まで届けにきてくれた。

ブックカフェの醍醐味の一つに店に置かれている本との出会いを楽しむというのがあると思うが、今回は持参した小説を読むことにした。車内で読んでいた二冊目が非常に気になる場面で中断されていたのである。立て続けに人が死に、探偵が意味深に推理を進めているところだったのだ。さっそく次のページを捲ると、待ってましたとばかりに切断された足が出てきた。なるほど、殺人事件は連続し、かつ猟奇的であるほどそれに伴って必要となる根拠が増え、謎は深まる。物騒なミステリは大好物だ。私は再度めくるめくミステリ世界にのめり込んでいった。
ここには十三時半頃まで滞在した。チェックインまであと一時間半である。

ブックカフェを出て次に向かったのは、とある民芸品店だ。ここもガイドブックで目星をつけていた店であり、明日から二日間は定休日であるため訪れるなら今日しかなかった。

ここは楽しかった。棚いっぱいに陶器や琉球ガラス、染織布など多種多彩な民芸品が並べられており、見るだけでもワクワクした。焼き物には詳しくないが、一目惚れしたマグカップを購入してしまった。

せっかく包装してもらったのに可愛さ余ってホテルの部屋で一度出してしまった。店主に訊ねたところ、島根県の白磁工房の物らしい。深い青に金銀が光っていて可愛い。よく家で紅茶をたくさん飲むので、サイズが大ぶりなのも嬉しい。大事にしたい。


チェックイン

民芸品店を出ると、時刻は十四時であった。チェックインまであと一時間はある。ここから歩いていけばホテルに五分で着いてしまうだろう。松本城に行くという考えもあるにはあったのだが、チャックインの時間までにホテルに戻ってくることを考えると、移動時間を差し引けば城には三十分と少ししか居られない。城はじっくり楽しみたかった。

どうしようもないのでホテルまでゆっくり歩くことにした。幸い、ホテルよりも手前に観光できる通りが二つあったので、そこを両方とも通ることでジグザグと遠回りしたのだが、時間稼ぎには限界があった。普通に行けば五分程で着いてしまう距離なのだ。五分を一時間に拡大するなんて考えてみれば無理な話だった。土産屋を冷やかし、道の脇にある残雪を写真に撮ったり、女鳥羽川に掛かる橋から連峰を眺めたりしたが、それでもチェックインまで三十分は余った。

今考えればホテルのロビーで待てばいいだけの話なのだが、私はどうしてもこの時間を有効に使ってやらなければという謎の使命感に燃えていた。久しぶりに自主的な観光らしい観光をしたことによって、観光パワーが漲っているらしかった。しかし当てもないので、諦め悪くホテルまでの道を牛歩戦術で進んでいたのだが、そんな蝸牛が目の端で光明を捉えた。

バーである。十三時から営業している有り難いバーが私の目の前にあった。マッチ売りの少女の如く松本の地を彷徨い寒気で芯まで冷えていた私にとって、突如現れたこのバーの明かりは正しく幸福の幻影であった。私は歓喜に打ち震えて入店した。バーの経験に乏しく酒もそれ程詳しくなかったが、未経験の緊張や躊躇いよりも温かい場所でアルコールに浸かりたい気持ちが勝利したのである。

店内は清潔で明るく、マスターが気さくに迎えてくれた。
マスターにおすすめを聞き、喜久水シードル(南信州産りんごを使用した発泡性果実酒)を頼む。付け合せでりんごも出してくれたので、酒と一緒にシャクシャクいただいた。とても美味く酒が進みに進み、次もマスターのおすすめを頼んだ。澤の花ボーミッシェルスパークリングという日本酒なのだが、爽やかな口当たりとフルーティーな味わいでとても飲みやすかった。蔵でビートルズの『Beau Michelle』を聴かせて造られたらしい。洒落ている。

上機嫌で酒を嗜みマスターと話せば十五時はすぐであった。勘定を済ませて席を立つと、少しばかりの浮遊感がありそのとき初めて自分が酔っていることに気づいた。チェックアウトの後に松本城に行こうか思案して決めかねていたのだが、これにより断念した。短時間で一気飲みはするもんじゃないなと思った。城の階段で転がり落ちて怪我でもしたら笑えないからである。

アルコールで温まった後でも松本の風は依然として冷たかったが、少しだけ優しい気がした。ドアベルの軽やかな音色を背に、ホテルへ急ぐ。

ホテルでチェックインを済ませ、ようやく部屋に落ち着いた。
部屋はシングルで予約していたのだが、閑散期の為かダブルに変更してもらっていた。勿論料金は据え置きである。大いなるラッキーに感謝しながら荷解きをした。

酩酊により松本城は断念したので、部屋で本を読むことにした。窓際の椅子に腰を下ろしてページを繰る。物語は佳境を迎え、二人目の探偵が登場していた。
窓からは、遠い雪山に雲が薄くかかっているのが見えた。広がる空は青が不気味なほど澄んでいる。四角く切り取られた、日が落ちて徐々に暗くなる松本を隣に、またも私はミステリ世界に没入していく。


ディナー

今夜はホテルのレストランで、ディナーを十八時に予約していた。連泊プランだとホテルのレストランディナーが一割引されるので、せっかくだからと頼んだのである。
しかし、きちんとしたレストランでのディナーであるので、それ相応のテーブルマナーの心得で以て臨まなければならなかった。以前ここに宿泊した際もディナーを利用したのだが、まあこれがめちゃくちゃ緊張するのだ。普段から高級レストランでテーブルマナーを実践していれば緊張することなどないだろうが、私はそうではないのである。レストランと言われて真っ先に連想するのがサイゼリアの女なのだ。そもそも外食も滅多にしないのでカトラリーの扱いさえ不得手であった。私の身体は箸で掴まれたものでできているのだ。

そういうわけで、ディナーの前にテーブルマナーを予習する必要があった。ディナーが始まるよりもっと前、十七時を過ぎたあたりから私は小説を置いてスマホでテーブルマナーをググっていた。カトラリーの使い方、ナプキンの置き方、料理別の食べ方、注文の仕方、入店時や退店時のマナー。テーブルマナーは調べても際限なく溢れ出てくるようであった。いくら調べても不安は拭えなかった。焦燥感に苛まれ、落ち着かず、挙動不審で、必死であった。部屋の電気を付けるのも忘れていたので、見る人が見れば暗闇の中スマホの光に照らされた私はまるで夜叉のようだっただろう。

不安は拭いきれなかったが、ディナーの時刻となり私はレストランへと向かった。給仕係にテーブルに案内されながら、私の精神は悲鳴を上げていた。しかしレストランで叫ぶわけにはいかないので、とにかく微笑みを浮かべることで緊張を耐え忍んだ。お酒は悩んだが、昼に飲んでいたのでノンアルコールのシャンパンを頼んだ。

料理はどれも美味しく目でも楽しめるものばかりだったが、私は極度の緊張をやり過ごそうとして精神力の大部分を削り取られていたので、とても写真を撮って良いかなんてことを尋ねる気力は残っていなかった。スマホさえ鞄から一度も出さなかった。すなわち、写真はない。写真はないがコース料理のお品書きは手に入れたので、ここに記しておく。正直メニューだけ見てもどういう料理なのか分からない私の同類もいらっしゃるだろうが、想像力で補ってほしい。

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アミューズプーシュのアソルティ……稲核風穴にて24ヶ月熟成させた自家製の生ハム、キッシュロレーヌ、林檎スープ、ピペラードのシューサレ、リヨン風ソシソン
前菜……松本平の野菜とエスカルゴのエチュペ
スープ……夢クジラ農園産菊芋のクリームスープ
魚料理……金目鯛のグリル柚子マヨ添え 蕪のポトフ仕立
お口直し……マロウのグラニテ
肉料理……国産黒毛和牛ロース肉グリエ 4種のコンディモンと共に
デザート……キャフェカラメルのムースとカシスのグラス
伊勢の園本店 松本焙煎ほうじ茶
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すべて美味しかったが、特に金目鯛と蕪の料理が非常に美味しかった。食事中、特に粗相はしなかったはずだがテーブルマナーの答え合わせはしたくない。素晴らしい食事を終えると、私は部屋に戻った。

大浴場で一日の疲れを洗い落とし、大方の寝支度を終えた私は二つあるベッドの内の片方に勢いよく突っ伏した。自分が思っていたよりも疲れていたらしい。
なんとなく窓際の方のベッドを選んだが、壁際のベッドにすればよかったと少し後悔する。正面に鏡台が置かれているので、目の端で映し出されたもう一人の自分が動くのだ。虚像だと分かってはいるが、なんとなく居心地が悪い。寝相も良くはないので余計に後悔は募った。しかし、二つあるベッドを初日から両方散らかすのは気が引けた。結局、そのままのベッドに寝転んで読み途中の小説を手に取る。何も悪いことばかりではない、と口の中で自分に言い聞かせながら。窓際だから朝は日の光で目覚められるし、ここは暖房の風も当たりにくいので喉が乾燥しづらいだろう。
時刻は二十一時で、寝てしまうにはまだ早かった。

挟まれていた栞を手繰ってページを開く。残りページ数から考えても、今夜には読み終えられないだろうがそれでも良かった。楽しみが先延ばしにされているというだけのことだった。部屋は、暖房と加湿器が低く唸るのみで、本の紙が一定の間隔を置いて擦れ合う音だけが輪郭を確かに空間を支配していた。

次第に目蓋が重くなり、部屋を暗くして目を閉じる。推理劇は気になるが、まだ旅は始まったばかりなのだ。焦ることはなかった。横になったが、旅先の興奮からか一時間は幾度となく寝返りを打っていた。


二日目

枕元で、アラームがしつこく鳴っていた。無視していたが流石に鬱陶しくなり、手だけでスマホを探る。五分おきにセットしていたアラームを一つずつ解除していると、目が覚めてきた。モーニング会場の入場時間に間に合わせるために昨夜自分でセットしたのだが、やはり目覚まし音というのは好きになれない。寝起きのローテンションとは裏腹に、カーテンの隙間からは清潔な光が差し込んでいた。今日も松本は晴れらしい。
身を起こし欠伸を一つ二つ噛み締めていると、ふと違和感を感じた。違和感は時間の経過とともに強烈となり、予感から確信へと変わっていった。筋張った首に無理を言わせ、右に視線を遣る。つまり、隣のベッドに。

隣で、誰かが寝ていた。
昨日は綺麗にベッドメイクされていた筈だが、今は掛け布団の中央がこんもりと楕円形に盛り上がっていて誰かがいることは明らかだった。布団からは黒髪がこぼれていて、枕をなだらかに流れている。白いベッドの上で、そこだけ墨を落としたようだった。
予想外の闖入者に、私は恐怖と驚きを隠しきれなかった。黒泥の不安が胸を重く押し潰していた。何か言わねばと口を開くが、何を言うべきか分からず閉口した。かろうじて、喉から漏れた空気が掠れた声になったが、何の解決にもならなかった。
そして私は、内線でフロントに電話をかければ良かったのに、あるいはなりふり構わず部屋を出て第三者の助けを求めるべきだったのに、あろうことか自身の手で掛け布団を勢いよく剥がした。この状況から逃れたいあまりに、一番の悪手を選んでしまったのだった。否、結果からして他人を呼ばなかったのはむしろ正解かもしれなかったが、どちらにせよ最悪には変わりなかった。
このときのことを私は生涯忘れられないだろうし、幾夜も夢に見るだろう。夢であってほしかったが、非情にも悪夢が覚めることはなかった。

暖房と加湿器の音が低く低く床を這っていた。朝日だけが場違いに今日という日の希望を謳っていた。不幸が鎌首をもたげて、私を見つめ返していた。

彼女は、私と同じ顔をしていた。
そして、死んでいた。


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