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世界を選ぶか、君を選ぶか

 

天気の子



 先日2度目の『天気の子』を観た。今年から執筆活動を始めたからか、以前は「面白い!」だけで思考が止まっていたが、今回は見え方が大きく変わっていた。大ヒット作品を作るにはどういう要素が詰め込まれているんだろうという視点で観ていた。


 

物語の構造を知りたくて


 Twitterで物語が書けないと弱音を吐いてしまったことがあった。そんなとき、フォロワーさんから「好きな作品がどういう作りをしているのか分析したら勉強になるよ」とアドバイスをもらった。
 そこで、勉強がてら『天気の子』のプロットをトレロで作ってみた。
 物語には起承転結や序破急、三幕構成といった型がある。天気の子は三幕構成で創作されていた。

三幕構成とは

一般に、映画は「設定」「対立」「解決」の役割を持つ3つの幕 (act) に分けられる。ストーリーの始まりが「設定」であり、中間が「対立」、終わりが「解決」である。第一幕 (設定) では、誰が、何をするストーリーであるのかが設定され、主人公の目的が示される。第二幕 (対立、衝突) では、主人公が自らの目的を達成するために、その障害と対立、衝突する。第二幕の後半には、主人公が敗北の寸前まで追いつめられる。そして、第三幕 (解決) では、ストーリーの問い、すなわち「主人公は目的を達成できるのか?」という問いに対する答えが明かされ、その問題が解決される。

Wikipedia


第一幕:設定


第二幕:葛藤・対立・衝突



第三幕:解決


 

 宿命を背負って、運命に抗え。


 「親ガチャ」という言葉があるが、悲しいことに人は生まれながらに不平等だ。人は大なり小なり問題を抱えながら生きている。
 宿命はその人が生まれながらに背負わされている業のようなものであり、どうすることもできない。だが、それを受け入れて、これからをどう生きるかで運命を変えることはできる。
 人生とはそういうもので、だからこそ物語にも登場人物たちがどういった問題を抱えていて、どう解決していくかを描いていくのだろう。
 登場人物たちのバックボーンを如何に掘り下げることができるかで、読者が共感できるかどうかが決まってくる。

 陽菜は母にもう一度晴れた景色を見せたいと願ったために天気の巫女になってしまう。母を亡くして1年も経ってないのに、弟と2人で生きていくために年齢を偽ってまでバイトをして生活費を稼いでいる。そんな状況であっても陽菜も凪も悲観的ではなく、明るい性格をしている。
 辛い時に不平不満をすぐボヤいてしまう人は個人的に苦手なのだが、それを表に出さずに現実を受け入れて生きている姿にとても魅力を感じた。
 
 10代の若さゆえの真っ直ぐすぎる帆高と陽菜。それ故に危うくもある。
 物語にリアリティを持たせるためには須賀の存在が欠かせない。作中最も葛藤しているのが須賀である。だからこそ須賀のセリフには重みがある。
  かつての自分を彷彿とさせる帆高と出会い、ほっとけなくて仕事の雑用という役割を与える。
 自分の居場所を手に入れるためには、自分のことを必要としてくれる人がいて、はじめて成立する。
 残念ながら作中帆高が何故家出をしたのかが語られていない。陽菜に「息苦しくなくなった」と言ったくらいだ。その言葉から帆高は地元には居場所がなかったことが推察される。島は東京とは違い、コミュニティが小さく、どんな噂もすぐに広まってしまう。そんな環境に息が詰まってしまったのだろう。
 そんな帆高に、自分はここにいていいんだと思える居場所を与えた。
 だが、状況が変われば話は変わってくる。指名手配の帆高を探しに警察が事務所へ訪れる。誘拐まで疑われてしまった。
 娘と生活をしたい須賀は「もう大人になれよ、少年」と言って帆高を首にする。
 そんな自分に嫌気が差して、娘のために禁煙していたタバコをふかし、酒に溺れた。
 「人間歳をとるとさ、大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよな」と夏美に向かって呟く。須賀にとって帆高より娘のほうが大事なのだ。だが、けっして帆高のことがどうでもよかったわけではない。だからこそ須賀は苦しんでいるのだ。
 陽菜が人柱となり空が晴れたとき、「人柱一人で狂った天気が元に戻るなら、俺は大歓迎だけどね。俺だけじゃない。本当はお前だってそうだろ?ていうか、皆そうなんだ」と須賀はまるで自分に言い聞かせるように言った。
 異常気象で亡くなる人、受ける甚大な被害を考えると残酷な言い方かもしれないが、陽菜が犠牲になることで救われる人は大勢いる。だから仕方のないことなのだ。

世界では1日6000人が亡くなっているという。

http://arkot.com/

 1秒あたり1.9人が死亡している計算になる。目の前で苦しんでいる人がいると、どうにかしないといけないという気持ちになる。だが、見えなければ存在しないのと同じだ。人は皆自分が可愛く、自分の半径5メートル内にいる人達が幸せなら他の人がどうであっても構わない。
 まだ社会に揉まれていない純粋な帆高と違い、汚れた部分も知っている須賀だからこそ、「まあ、気にすんなよ、青年。世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」と言えるのだろう。

世界を選ぶか、君を選ぶか


 陽菜や須賀と違い、帆高は劇中であまり背景を語られていない。少し物足りない気がする。だからといって感情移入できないかと問われるとそうじゃない。帆高のフィルターを通して僕も陽菜が好きになったし、陽菜助けたい、凪と3人で暮らしたいと思った。
 

キャラクターには作中での役割があって、人物ごとにそれぞれ役割を持っています。

竹内友『ボールルームへようこそ 公式ファンブック』

 
 役割は僕自身実社会を生きる上でものすごく意識をしている。このコミュニティに僕が属することでどんな意味があるのか、僕に果たす役割があるのか。仕事では日々のリーダー業務であったり、雑用であったり、後輩の指導であったりする。家では息子であったり、兄であったりする。
 当たり前だが、属するコミュニティによって役割は変わってくる。前述した通り役割があることでそれが自分の存在意義になり、そのコミュニティが自分の居場所となる。

 帆高が晴れ女をビジネスにすることを陽菜に提案することで、陽菜は自分の力で人を笑顔にできることに気づかせる。それまで弟との生活を成り立たせるのに必死だった陽菜にとって、自分の力が多くの人に必要とされていることを知り、自分の人生に意味を見いだせたのではないだろうか。
 帆高もそんな陽菜を見て、満足感に浸るが物語が進むにつれて、それが「自分が晴れ女をビジネスにしようと提案したから陽菜さんが人柱になってしまった」という罪悪感へと変貌していく。

 役割を持っているのはキャラクターだけではないだろう。何気ないシーンや物であってもそこには作者なりのメッセージが込められているはずだ。
 
  銃は必要なかったんじゃないかという感想を抱いている人もいるだろう。
 僕が思うに、何の力もない帆高にとって銃は、大人に対抗できる唯一の手段であったと共に、生きにくい社会への拒絶みたいなものを表現したのではないだろうか。虚しく響き渡る銃声は誰も助けてくれないことに対する悲痛の叫びのようにも聞こえた。
 警察から追われる理由が家出だけでは弱い。引き金を引くことで、指名手配者となり物語が大きく動き出す役割も担っている。
 
 この作品のテーマは『世界を選ぶか、君を選ぶか』ではないかと考えた。
 物語は読者の期待通りにストーリーを進めつつ、どこかであっと言わせるような展開にして読者の期待を裏切らなくてはいけない。

 帆高と陽菜がマックで出会うシーンで僕らはこの2人が結ばれるんだと容易に想像できるが、まさかラストで東京の姿があんな風に変わってしまうとは思ってもいない。  
 
 恋愛を扱う物語には読者を胸キュンさせる黄金のパターンがあるという。

最強の胸キュンストーリー。それは何らかの事情でふたりがずっと会えない状態で進んでいくラブストーリー。遠く離れていて会えないとか、誰かがジャマして会えないとか。

これをやられると読者は「ふたりが会えるようになって欲しい」と強く願うようになります。でも作者はなかなか会わせてあげません。

そんなムズムズする状態でクライマックスへ突入し、ふたりがついに会えたら胸キュン度は100%。凄まじい胸キャンパワーが生まれます。

恋愛小説の書き方のコツ  https://monosai.com/faq/d-lovestory

  
 もちろん天気の子にもそのパターンは使用されている。物語が進むにつれて天気の巫女についての謎が少しずつ明かされ、陽菜が人柱として消えて帆高と会えなくなってしまう。会えなくなる時間が続くほどお互いを思う気持ちが強まっていく。
陽菜がいなくなってしまった世界を体験したからこそ、「もう2度と、晴れなくたっていい。青空よりも、俺は陽菜がいい。天気なんて、狂ったままでいいんだ!」と迷うことなく陽菜を選択する。僕らはそれを観て涙してしまう。

 3年後変わり果てた東京をみて、雨のせいで家が海の底に沈んでしまったことを知り、自分が陽菜を選択したことの重大さを知る。
 そんな帆高に須賀は気にするなと声をかけるが、「違った、そうじゃなかった。世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ」と現実を受け入れる。
 その上で久しぶりに再会した陽菜に「陽菜さん、僕たちはきっと、大丈夫だ」というセリフに帆高がこれから陽菜や凪と一緒に暮らす覚悟が垣間見える。
 須賀が帆高のことを少年呼びから青年に変えたように、帆高はたくましく成長した。 大人にならないとダメだと帆高自身が明確に意識したのはパトカーで陽菜が15歳であることを知ってからだろう。
 「なんだよ、俺が一番歳上じゃねぇか」に全てが詰まっているように思える。そこから少年は青年へと成長していったのだ。

 

終わりに


 今さらかもしれないが、天気の子について自分なりに向き合ってみた。様々な要素が緻密に計算されて構造されていることを知ることができたので今後の創作に活かしていきたい。
 すずめの戸締り観にいきたい!





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