子育てが怖くなくなった動画発見

ADを抱えて、HSPかーと自覚しながら、我を振り返り子育てについて数年前は全然できる気がしないどころか、子供のいない人生への覚悟も決め始めていたけど。。。

まさかのビックダディから感動をもらっちゃった。(ちなみにテレビ番組でのビックダディは好きではなかった。これをみてテレビの編集って怖いなとおもった)

1)子育てはなんだっていい
ちなみにビックダディは恐怖政治子育てw。聞いて初めはびっくりしたけど、21人の子供を育てるということ。その子たちを18歳という扶養期間を成し遂げるという点。子育てって本当に大変だもんな。義務教育の9年間に8人通わせているという時期など聞いたら、家族一段で一つの方向に心向かわせないといけないと思うと絶対的な父の存在は、理に叶っているように思えた。(別に恐怖によって自分好みに染めようとかエゴ的なものではなくて、子供が18歳までえぃっと育て上げることを目的としてるからね)
子沢山を育て上げるか〜と改めてしみじみした。

2)子供は親の思った通りに育たない
ビックダディの一貫した教育に対する姿勢をこのYoutubeではみれて面白かった。テレビ番組では亭主関白気味のパパを見せられているような気がしていたけど、1)の一画的ものだっただけで、どんな育て方をしても、子供は子供の気質のまま育つということをものすごいわかっていて感動だった。
(彼自身10(11?)人兄弟と言っていたけど、大兄弟を恥ずかしく思う兄弟もいれば、全然気にならない兄弟もいる。別に好き嫌いは家庭環境が与えるおのではないことをそこで知ると、すごいことだ)

3)自分がなにものでもないという自覚が早かったから、そこからの思考軌道修正が彼を豊かにしていた。
「なにものでもなくていいのかな?」というのは、振り返って私も課題だった。何かの役に立たないととか、意味のある生産のできる人にならないととか強迫観念であったように思う。それは自分の生活レベルに跳ね返ってくるような気すらしていた。これは多くの人が今も神話のように信じていることかのようにありありとみえた。

4)子供が生まれることは、今の生活水準が下がること
これは、そうだけど、現代人としては、生活水準もあげて子育てもする!みたいな感覚に囚われていたように思えた。「子供が産まれて自分のしたいことを犠牲にする人生」くらいの究極の選択かもと思わされたこともあったけど、そもそも、子供が産まれ育てるというものは今も昔もそうゆうもので、その大変さの背中をみて子供は自分の存在を受けとめながら生きるのかと、ADの自分はカルチャーショックを受けた。

5)少子化への歯止めは?と聞かれ、今の生活水準が下がるから子供はいらないという人は見捨てて20年後に再構築するしかない!と言われ、今の私の違和感が吹き飛んだ。
子育てが大変と囁かれて約3代目くらいの私たち世代が、子育てに後ろ向きで、義務的な感覚に襲われ少子化に向かって当たり前だった。自分だけじゃなく、時代の背景かーそれは自己理解noteを書いてもみえにくい側面だと思った。ちょっとADくらいのことで、小さい頃はお嫁さんになるのか夢でもあったのになんでこんなに拗らせているのかは、他にお理由があるとして、子供をもうける不安については、日本経済成長の近代背景のちょっとした呪いだったかと納得。

人間(動物)らしさから離れ目指した近代人は、人間らしさを失っていろんな抑圧まみれに高いステータスをメディア操作で目指す非リアルな人間になってたのかも。とかすら思えた。

それもこれも自分の考えがないからだったとおもうとこれまた納得するし、自分の考えがあれば、子育ても十人十色で間違いも怖くない。なぜなら、子供は子供で子供の気質のまま育つから、ある意味正解はないと大きな括りで言える。愛があれば大丈夫とか小さい頃思っていたことを思い出した。

ここ最近の人々に対して感じる警告としては、悪気のない正しさで相手の選択肢を奪っていること、サイコパスとかではなく、日本の普通の人がそれを当たり前にしている。そんな気がしてる。私もそのひとりだったんだなとこれまた違う視点から気付かされたし、気付いたからと言っても村八分だわな。と思えた。


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