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ミニマリズムは物を減らすためのものではない

 お久しぶりです、ねこにです。
 最近は家庭の事情と言いますか、若くして天涯孤独になりnoteを書く気力がありませんでした。
 ですが色々な手続きも終わり、ようやく少しずつ余裕も出てきたのでまたマイペースに投稿していきたいと思います(あいかわらず更新は不定期です)。

 さて本題ですが、私はnoteから遠ざかっている間も、誰に見せなくてもミニマリストからは遠ざかりませんでしたので、ミニマリストのブログは頻繁にチェックしていました。
 デジタルデトックスの一環としてYouTubeを禁止したので、その代償行為としても非常にはかどり、インターネットを見る時間は増えました。
 そこで日本のミニマリストブロガーをあらかたあさり終えてしまい、海外のミニマリストブログに手を伸ばし始めたのですが、
 そこで思いました。「日本人ってミニマリズムをはき違えているかもしれないな」と。

 というのも、海外にも持ち物の合計が50個というような、極限ミニマリストみたいな方はいらっしゃるんですけど、
 彼らの大多数に一貫してることとして
「集中したいことがあってミニマリストになっている」
んですよね。
 ミニマリストのメリットとしてよく服を選ぶ時間を減らせるとか、掃除の時間を減らせるとか、選択疲れを減らして決断力をたもてるとか耳にしますけども、じゃあそれを何に使うの? って。
 特にやりたいことはないからインターネットを見るのに使ってます! ではたしかに意味がないですよね。耳が痛い話です。

 それでいうと私の場合、実は私は小説を書いているのですが、もともとその活動に極限まで集中しているときに視界に映るものがすべてノイズになってそこでミニマリストに目覚めました。
 なので「私がミニマリストとしてすべきなのは小説を書くのに集中できる環境作り」であってそこから外れることはすべきではないんですよ。
 たとえば紙のノートを捨てて電子のメモに統一するとか、歩きやすいけどボロボロの靴を捨てるとか。
 普通なら一見問題ないように思えますけども、私の場合紙のノートも創作の一助になるかもしれないし、歩きやすい靴があるからカフェや図書館に行って創作活動を頑張れていたのかもしれないので捨てちゃ駄目なんですね。
「自分のやりたい目標にそったミニマリズムになっているか」を考えながら断捨離する必要があったわけです。

 前述した持ち物の総数が50個の人も旅行者で、世界を旅して周るためにリュックの中身が重いとモチベーションが下がって足かせになるからミニマリストになっています。
 また、日本のミニマリストでもミニマリストしぶさんなんかもこの、減らすこと自体が目的になっている人がいる問題に気付いていて、いつかの動画で「ミニマリストはやりたいことに集中するための武器」だとかなんとか言っていた記憶があります(正確にはだいぶ違う言い回しだと思います)。
 なにかのルームツアーの動画でも、女性が育児に忙しい中料理の楽しさを思い出すために時間を作りたくてミニマリストに目覚めたと語っていました。

 総じて、ミニマリストは目的ではありません。時間や体力、ひいては余裕を作り出し、それによってあなたの「本来の目的」を実現するための手段なのです。

 ですので、やりたいことがなにもない方は、まずそれを探すところから始めましょう。
 もの自体はなんでも、ゲームでもグルメでもあなたが時間をかけて打ち込みたいと思えるものならいいと思います。
 もちろんそこで、ゲームは好きだけどそれに時間をかけるのは自己肯定感が下がる……というのなら別のものにしてください。あくまで、やり込むことであなたの幸福度が上がるものにしてください。

 そしてやりたいことがある方は、それの邪魔になっているか、手助けになっているかで物の断捨離を決めてください。
 仕事を頑張りたい方なら、革靴やワイシャツを減らす必要はないと思います。ケースによって最適な服装は変わりますし、それに合わせる方が仕事ははかどります。
 時間を作って散歩がしたかった方なら、肌断食や湯シャンをする必要はないかもしれません。日焼け止めを塗って、たくさんかいた汗をシャンプーで手短にさっと落とす方が幸福度は上がるのではないでしょうか(正しい湯シャンというのは洗髪に15分ほどかかります)。

 ミニマリズムは主義であり、同じ考えのもとミニマリストを自称するようになった我々ですが、それぞれやりたいことは異なります。
 物を減らすとしても、それはあなた自身の目的のために行いましょう。
 それでは、ねこにでした。

 ーーそれはそれとして、テレビは捨てましょう。

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