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まいたくメモリー:音楽編 - マセたくEra vol1

どうも!まいたくです。

今回は「まいたくメモリー:音楽編 - マセたくEra vol1」ということで、私まいたくが、ガキたくから、少し大人の階段を昇り、生意気にもキャンパス・ライフなんぞを駆け抜けたあたりから、社会の荒波にもまれた20代、結婚とチビたく誕生!くらいまでの頃の音楽ライフを、ご紹介しようかと思っとります(^^)

まあ、大体90年代前半くらいから、05年くらいまでかな?

なお、高校時代までのまいたくメモリーは、以下の記事にまとめています。
まだ、未読の方はご覧あれー!

ではいく!


◇マセたく誕生!

突然ですが、みなさん。
晴れて大学に入学したガキたくは、どんな子になったと思いますか??



、、、答えは、相変わらずの立派なおちゃらけ青年のままでした・・・('Д')


、、、と、、のっけから、くだらねークイズかましちゃって、、
、、、スマン・・orn..


でもね、そうはいうものの、まあ、大学生ですから。
そこそこ結構な、環境の変化が起きたんですよ(^^)

<まいたくの三大変化>
1.色んな地方からの学生たちとの交流💛
いやぁ、、色んな人間がいるずら。。世間は広いずら・・・
千葉はまっこと狭いじゃけん!!

、、って感じで、世間の広さを知ったのですよ。

2.アルバイト👮
高校時代は運動系の部活やら受験勉強やらで、バイト出来なかったのでね・・・
、、でも、おいら、もう、大学生、自由なお金をゲットだぜー!!(^^)/

、、まあ、いっぱいとは言えませんが、それなりに資金が手に入りました💰

3.ドライバーライセンス🚙
大学生といえば、車で海岸ドライブじゃん?
もしくは、夜の首都高、流すじゃーん?

、、てな気分で、大学生のうちに免許取得しました!

そう、ここで晴れて、ガキたく改め「マセたく」が誕生しましたー!(^^)/


◇ラジオとの出会い

・・うん???

このままだと、私まいたくのドタバタ青春ストーリーになってしまうので、、、(汗)

本記事の主題である、音楽に話題を戻します(^^)

私は東京の大学に通っていたので、色んな地域の子が集まってくるんですね。なので、私の知らない音楽を知る機会が増えたんですよ。

あと、バイトでそこそこ自由なお金を得ることが出来たので、CDを結構買えるようになりました!
なんと、憧れのジャケ買いなんかもね。出来るようになったと(^^)

で、最後にドライブ。
やっぱり車に乗ると、自分のテープやCDだけじゃなくて、ラジオを聴いたりするじゃないですか?

私、それまでは、あまりラジオを聴いてなかったのですが、ドライブしながらラジオを聴くことで、さらに音楽の幅が広がったように感じましたね(^^)

特にJ-WAVE!!おしゃれでしたねー
今もだけど、昔はもっとおしゃれ感があったかも。

ラジオDJのことをナビゲーターと呼ぶセンス。
かっちょ良かったです・・

さらにその中でも、毎週日曜日の13:00~17:00まで放送している「TOKIO HOT 100」

ちょうど、ガキたくの頃から観ていた、ベストヒットUSAやソニー・ミュージックTVが放送終了になってしまったので・・・

この番組が、マセたくの新たな音楽の情報源となり替わりましたとさ(^^)

◇新たに沼ったアーティストたち

ということで、いつものごとく、TOKIO HOT 100を聴きたいがために、無駄にドライブをしていた、当時のマセたくの耳に、急に飛び込んできたんですよ、、この曲が・・

そう!ジャミロクワイの「Space Cowboy」

いやぁ、、衝撃でしたね。。ジャミロクワイは。

ジェイ・ケイの特徴的な声とベースを中心とした、ジャジーなんだけど、ダンサンブルな曲調。。

ガキたくだった頃は、ギターサウンドを主体としたロック系がカッコいいと思ってたので、ジャミロクワイのようなアシッド・ジャズやダンス、ファンク系のサウンドが、目新しくて、そして、スタイリッシュだったんです。。

いやぁ、一瞬にして虜になりましたよ。。

ジャミロクワイは数年後、日本でも爆発的な人気になるんですが、私的にはこの頃の彼らが一番好きですね。やっぱ。

あとはね、、この人。

ボニー・ピンクさんの「Heaven’s Kitchen」です!(^^)/
この人も凄かったなー、インパクトが。

当時、実力派の女性シンガーが、急激に登場してきたんですよ。
UAさんとか、Coccoさん、MISIAさんとかね。

その中で、マセたく的には圧倒的にボニー・ピンクさんに惹かれてしまいましたね。。

音楽のジャンル問わず、また、英詞も日本詞も苦にせず、非常に透き通った声で、歌い上げるセンスと実力が本当に素晴らしくてですね。

数十年経った今でも、全然聴いているシンガーの一人です。

あと、この頃から洋楽/邦楽のジャンルの区分けに対し、こだわりが無くなってきたのですが、それはこの、ボニー・ピンクさんの影響かもしれないです。

理由としては、彼女のように、日本人でも、英語/日本語問わず、歌い上げる方が増えてきたからだと思います。

それに、これは個人的な意見ですが、歌詞というのは、楽曲の雰囲気や、細かなニュアンス、歌い手の思いなどを表現する手段の一つである、と思っています。

ですので、歌詞を構成する言語でジャンルを分けるのは、あまり意味がなく「聴き手は、作り手が表現した言葉のまま、素直に受け取ればいい」と思えたきっかけが、彼女の楽曲だった、と今は思いますね。

◇おわりに

はい!今回は「まいたくメモリー:音楽編 - マセたくEra vol1」ということで、大人の第一歩を歩み始めた、マセたくのころの音楽の思い出を、記事にしました!(^^)/

前回のガキたくの記事と同様、vol2からは、この頃に夢中になって聴いていたアーティストやバンドと、その楽曲などをご紹介いたします(^^)


ということで、また!!

※投稿後更新・・
vol2以降が出来ましたので、以下、ご紹介しておきます(^^)/


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