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その罪悪感を手放すためにできることは?【書籍紹介】「荒地の家族」芥川賞受賞作

生きる原動力としてその罪悪感を求めるのか?

前回の芥川賞受賞作「荒地の家族」(著:佐藤厚志)を改めて読んでみました。この小説は東日本大震災の復興と、その過程で生じる人間の心を描いた作品です。

大切なものを失った時に人がどのように振る舞い、その罪悪感とどう向き合うべきかということを考えさせてくれます。人間の感情や困難に対する対処方法を見つめ直すきっかけになる1冊です。

今回のnoteは、再読して感じたことを記事にしてきます。
(このnoteは、小説の魅力を中心に読書に関する記事を発信しています。会社員として働きながら小説を書く、小説家を目指しているnoteです。)

なぜ人は罪悪感を求めるのか?

東北のあの震災(災厄)から約10年が過ぎた。

街は復興した。津波で流された建物は新しく立て直せばよかった。
しかし残された人々とその家族はどうすばよかったのか?

大切なものを失った時に、人は何でそれを埋めればいいのか?

その地で造園業を営む主人公裕司は、この10年間ただただ働いた。造園とは関係がない仕事でもなんでも引受け、休みなく働いた。そして幼い息子啓太を育てた。まるで贖罪かのように。

あの災厄は裕司が会社から独立してひとり社長として再出発しようとしたときに起きた。高校を卒業してから10年以上働いていた社長による暴力が当たり前だった会社を辞めたばかりの時だった。

仕事道具が入った倉庫も、トラックもすべてあの膨張した海に流された。

その2年後には妻の晴海が幼い息子の啓太を残してインフルエンザで亡くした。啓太に母親がいないのは可哀想だと、高校の友人の紹介で再婚した知加子と間にできた赤ん坊は生まれる前に腹の中で息を止め、そしてその知加子は何も言わず家を出ていった。

裕司は話をするために知加子に元に向かうが、会うことも許されない。家では来年中学生になる啓太とは次第に口もきかなくり、息子とのコミュケーションさえも失われていく。

裕司はこの10年は休みなくただただ働いた。それが晴海が残した啓太を育て、知加子と一緒に新しい家族をつくっていくことになると信じていたかのように。

でもそうはならなかった。
家族は”元”には戻らなかった。
それでも裕司は何も言わずただそれに耐えるのみだ。

大切なものを失った時、人はそれに対してどう振る舞うのか?
裕司がその重くのしかかる"罪悪感"を手放すためにできることはなんだろうか?

その罪悪感を手放すためにできることは?

知加子がお腹の子供を失った後、知加子は裕司の元を去っていった。

それは罪悪感から逃れるためだったのかもしれない。
裕司が休みなく働くというこは罪悪感から逃れるためだったかもしれない。

”失った"という事実を受け入れるためには災厄というものがあった方がいいのかもしれない。

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