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私がアメリカに来ると決めた理由。

高校2年生になった。進路をそろそろ決めないといけない時期になってきていた。17歳の私、勉強ができない私が頭を少しだけひねって考え出した結論

将来は仕事で英語を使いたいし、英語ができれば出会いも広がる。それならネイティブになるしかないか、、なら、英語を学ぶんではなくて、英語で何かを学んだほうがいいんじゃね?じゃあ、アメリカに行くしかないな。アメリカの大学に行こ!

英語が全くといいできなかった私がこの結論に至ったきっかけを少しでも知りたいという方は、読み進めてください。

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英語は中学1年生からドテンッとつまずいた。早。

ブルーという単語も書けなかった。授業なんてクソつまらなくて先生の話なんて聞かずに友達と話すかノートに落書きしていた。ただ意味わからないノリだけはあって、スピーキングのテストなんかはクラスの子達がテスト項目にある質問を全て終わらず、半分しか終わらなかったといっているとこを、私は意味の分からないノリと自分なりの英語で質問を全て終わらせ時間が余った。英語が全くできなかったのに海外に出たい、アメリカに行きたい願望だけはあった。なのに意味の分からないノリで生きていた中学生の自分は、だから英語を勉強しよう!という志向は生まれなかった。今考えても疑問すぎる。わらける。

まいみは本間にあほやな~、樋口にテストの点数負けたらやばい!と言われ続けた。(英語のテストの平均は30点か以下)

仕舞いには祖母に愛嬌も生きていくために必要だしね、なんかとも言われた。部活に明け暮れた中学時代、ホルンばっかり吹いて、でも部活が嫌いな毎日、でも学校は楽しかったし、大好きだった。

高校生になった。担任の先生が英語科だった。ある日、先生がスピーチコンテストの張り紙をクラスの後ろの掲示板に張っていた。英語のスピーチコンテストになんかでる生徒はあまりいないらしく、先生は人を集めようと少し必死だった。”樋口さんでてみなよ~!”そんなことを言われポスターを見た。ふと頭の中に人前でかっこよく英語を話す自分の姿が浮かんだ。

ただの目立ちたがり屋の私はワクワクした。でてみよっかなーかっこよさそう。半分はいつものノリだった。あとの半分は、英語に興味のある私だった。

はい、でます!の一言でスピーチコンテストにでることを決めた。暗唱のスピーチだったし、覚えるだけ。三つあった原稿の中から単純そうなものを選んだ。

当時、私の高校の英語の先生の一人、アメリカ人のジェニーが音読したCDをもらい、何回も何回も聞いた。聞いて真似した。楽しかった、、ような気がする。家で聞いて練習したり、練習したい人は英語科の先生にアドバイスをもらえる時間が放課後設けられたので、そこに行って聞いてもらった。(この時に私の大好きな友達ともいえるようになる先生と出会う)半分ノリで決めたとはいい、人前でやることには真剣に取り組む私なので一生懸命練習した。

スピーチコンテスト当日、自分が何番目に話したかは忘れたけど最初のほうだった気がする。スピーチの最中にジェニーの顔をみたら、今までにないぐらい厳しめの真剣な顔をしていたので少し緊張した。

スピーチの真ん中ぐらいに差し掛かったとき、止まった。完全に暗記せずに原稿をもっていっていたため、ときたま自分のラインを確認していた。チェックする部分に印をつけていたはずなのに違うラインをみてしまい、同じラインを二回よんでしまい、止まった。

だめだ、落ち着かないと。このスピーチ終わらせるんだから。深呼吸をした。落ち着いて次のラインをみてスタートした。スピーチが終わった。

​​あーだめたった。これは完全に落ちた。

学校の小さなスピーチコンテスト、英語もできないし別に一位になりたいなどとは思っていなかった。なのに、沢山練習したせいもあったのか、スピーチを終えたときに自分にがっかりした。完全に落ちた。あ、自分少しこのコンテストに期待してたのかも、と思った。

結果発表がやってきた。もう諦めていた。でも挑戦してよかった、と思っていた。結果発表なども、進行は全て英語で行われた。全く理解できていなかった。

”Maimi Higuchi!”

え?なんて?私の名前じゃね今の。

階段をおりて一番下までいった。あーそっか3位かー。

賞なんぞ期待せず諦めていたくせに、3位という数字にガッカリした。そっかそか。まぁ頑張ったな、自分。といって少しガッカリしながら階段を上って自分の席に返った。

その後も他の子の名前が呼ばれ、拍手。

二人の名前が同時に呼ばれ、拍手。

一位が二人か、珍しいな。と思っていた。その二人が私の目の前に座っていた。

なんて話しかけたっけな、忘れてしまったけど、

一位が二人なんだね、おめでとう、そんなようなことをその二人に言った。

すると二人が振り返って

”え?一位はあなたよ!” 

数年たった今でも忘れないこの一言。え?そうなん。なぜか私はコンテストなんぞは三位から発表するものだと思い込んでいた。

でも一位からの発表だったらしい。

え、一位?もっと嬉しそうに前に行けばよかった、と後悔した。

もう言うまでもないが、私はそのコンテストで話されている英語を一も理解していなかった。

一位になったということで、校外にあるスピーチコンテストに出てみないかという話をもらった。あ、はい!でます!そんな感じで、校外のスピーチコンテストに出ることを決めた。

そのスピーチコンテストはミシェルオバマのスピーチの暗唱だった。この郊外のスピーチコンテストにでると決めた事をきっかけに、ジェニーと一対一で練習する事になった。放課後にジェニーとクラスで待ち合わせてスピーチの練習。

その頃の私は、前文でも書いたように英語が全く分からなかった。なので、ジェニーに何を言われても”イエス!”と”センキュー”しか言えなかった。ジェニーともっと話したいという思いが膨らんだし、自分で何も言いたいことが伝えられないのがもどかしかった。

ある日、その日も放課後にジェニーと練習する約束をしていた。

しかし急用ができたので行けなくなってしまったのだ。その事をとりあえずジェニーと仲のいい英語の先生、そして私のスピーチの練習に付き添ってくれていた先生に伝えた。どうやってジェニーに伝えよう。ジェニーは日本語が全く分からない人だったから不安になっていたら、でもその先生がジェニーに伝えといてあげるというので、ホッとして家に帰った。次の日ジェニーに会うと、ジェニーが昨日の放課後待っていたのに来なかったねと言って怒られた。あの先生が言い忘れたに違いない、そう思った。でも、説明できなかった。

用事があったことも、他の先生にはジェニーに伝えるようにお願いしていたことも。

悔しかった。めちゃくちゃ悔しかった。

この出来事が自分自身のなかで一番悔しかった出来事かもしれない。

喋れるようになりたい。英語できるようになりたい。

スピーキングのクラスで手を挙げて発言しまくった。クラスが楽しかったし、間違いを全く気にしていなかったw自分のキャラが出来上がってしまったので、

笑う子なんていない。

ただただ一生懸命話を聞いて、先生の質問に答えた。(この授業はほとんど英語で行われていた。)

なによりクラスが楽しかったし、英語を話すことを挑戦できる場があって幸せだった。高校受験がんばってよかったと本当に思う。(神戸の公立の高校)

そして何より、私は高校で本当に素敵な親友と先生に出会った。親友たちと英語で話す時間をつくり、お互いに英語で話し合ったし、教えあった。

英語の先生とは英語で話すようになった。楽しかった。

高校に入学し、スピーチコンテストから英語を学び始めて一年弱、最低限のコミュニケーションは取れるレベルにまでスピーキング力は成長した。

高校2年生の夏、17歳の時に一人でニューヨークに行き、5日間一人で旅行できたのでその程度の英語力はあったと思う。

なのに英語の文法のクラスは一番下のクラス。英語の生成達からも”そんな英語話せるのに、文法はできんなー。”と困られてしまっていた。高校三年生まで一番上のクラスに上がることは一度もなかった。(ただ文法が面白くなくて勉強していなかっただけだけど、、)

学校で私と私たちの親友は”英語が話せる”イメージがつき、キャラもできあがっていた。

英語で話したり、いわゆる”海外かぶれ”みたいな発言や行動もしていた、、けど他の子たちは何も気にせず、むしろ”すごい”の方が強かった。。(私が浮いてる人間でも何も気にせず気づかない人間だったのかもしれないけど、、)

そんな高校生活、楽しかった。

高校二年生になり、そろそろ進路を考えないといけない時期になった。

日本の大学には行きたくなかった。大学にはお金がかかる。お金を払うならちゃんと何かを学びたかった。

私日本の大学のイメージは勉強というよりは、遊びのイメージが強かった。(もちろん遊んでいる人ばかりではないと思いますが、、)

高校時代、英語を話すことしかほとんど学ばなかったし、自分が大学にいっても自分が急に勉強に励む人間になることは想像できなかったし、絶対に無理だと思った。

将来は仕事で英語を使いたいし、英語ができれば出会いも広がる。

それならネイティブになるしかないか、、

なら、英語を学ぶんではなくて、英語で何かを学んだほうがいいんじゃね?

じゃあ、アメリカに行くしかないな。アメリカの大学に行こ!

と、高校生の私はそんな結論に至った。

でも、アメリカの大学なんて今の私がもう少し勉強をしていけるのかな。

と思った

”この一年半でこれだけ英語伸びてんから、いけるやろ!”

と先生。

”そうですよね、いけますよね!よし!”

そんなノリでまた、私はアメリカ行きを決定した。


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