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noteという共同体に存在する不文律

noteはプラットフォームであり、その一定の思想を持った空間に集まる人々から構成されるという点で、一つの立派な共同体です。

共同体である以上、構造的には必ず一定の風潮や、推奨される思想というものが存在します。こればかりはどんな共同体やプラットフォームにも共通することです。極端な例として、宗教的信条を引き合いに出すならば、アメリカ南部のキリスト教信仰の強い地域でダーウィンの進化論を主張することはあまり良い顔をされないことが多いですし、一方で日本において進化論に反対する旨を公言するのは難しいものがあります。

noteもその例外ではありません。僕が見た限りでいうならば、ほんの一例としてですが、例えば「リベラルな文章」が評価されやすい一定の傾向はあると思います。現代社会が抱えている「生きづらさ」をどう克服するか?既存の「べき論」を塗り替えて、「〇〇でもいいじゃん」って言える流れを作っていこう、という思想。

じゃあ、ここで考えてみたいことがあります。そういう傾向をnoteが仮に持っていたとして、もしあなたが注意深くあることを望む人ならば、注意しなければならないことが一つ、あると思うのです。

前提として、「人間は報酬を最大化するように学習する」と仮定します。機械学習の一例である強化学習においても、変数として状態、行動、報酬の3種類を設定し、「報酬を最大化するように」試行錯誤を通じて最適解を得るように学習します。

noteにおいてわかりやすい報酬とは、読者によるリアクション、ここでは「スキ」です。ある人が、noteというプラットフォームを借りて、文章を書き続ける — すると、無意識に「スキ」という報酬を最大化するように学習してしまうのではないか、と思うのです。

それはすなわち、学習を通じてnoteというプラットフォームにおいて評価されやすい思想・文章を書いていくようになる、ということです。「書く」ことと、「思想を持つ」ことは全く別次元のお話ではありますが、そこに乖離が生じると、「書く」という作業に苦痛を感じるようになります。そうなった時の選択肢は二つあり、「noteをやめる」か「自分の思想を合わせにいく」かのどちらかだと思うのです。

しかしそもそも、noteを始めた動機は何でしょう?決して、このnoteという共同体で評価されやすい思想を身につけるためではありません。「書く」あるいは「表現する」という、いてもたってもいられぬ我が衝動の行き場としてnoteにたどり着いた場合がほとんどだと思うのです。

だから、ここは最大限の自戒を込めて、というよりこの文章は半分自分に向けて書いたものかもしれませんが、

「自分が心の底から本当に思っていることを、貫こう」

ということ、そして社会的な流れと自分の思想に多少の乖離が生じたくらいで、めげないようにしよう、ということです。もちろん嫌だったら書くのをやめてもいい、これは僕も賛成ですが、すぐにたくさんのリアクションが来ることは必ずしも、自分が本来目指していたことではないんだよということを思い出さねばならないな、と感じます。

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たった今、ここで書いたことを自分自身で振り返ってみると、今まさにここで書いた思想こそは、「自分の心を楽にするため」に書いたのかもしれません。繰り返しになりますが、人は、自分の置かれている環境において、自分が受ける苦痛を最小化するように、あるいは喜びを最大化するように思想を適応していくのだと、思います。僕は、苦痛を減らすために、ルサンチマン的にこの思想を得たのかもしれません。

だとすれば、人間の思想の違いとは、すなわち、結局は生きてきた環境の違いのことだと、思っています。全く違うコンテクストを持った人の思想を理解することはとてつもなく難しいです。人間は無意識に、そういった思想にフィルタをかけてしまいます。だからこそ注意したい。このnoteから学び取れることは、最大限学び取りたいと、人間として思うのです。

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人間知能の仕組みに関心があり、神経科学や機械学習を研究している大学4年です。神経科学や哲学、社会科学の分野から考えたことを記事にしていきます。専門とは関係なく、エッセイや日記も書きます。

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コメント (9)
私はnoteを自分のメモ代わりに使っているので、あまり評価は気にしていませんが、noteは開かれた空間だと思いますよ、右左関係なく書けばいいし・・
科学者が研究成果を論文発表する際に、その発表したジャーナルの持つインパクトファクターや、書いた論文の引用数等の数値を気にする話に似ていると感じました。確かに多くの方に、その研究成果を知ってもらったり、活用しえもらいたいという面もありますが、あくまでそれは研究の価値の一面にすぎません。さらには、本当の重要性はその時点ではわからないことも多く、歴史的に大きな痕跡となるような研究も、当初は誰にも見向きもされないといったこともしばしばあります。
私には、とても面白い考察に思えました。実は私も、このコミュニティに合った流れで文章を書く方向性を、どこかで探っていた気がするのです。かと言って、数字を追い求めていたわけでもないのですが。
ルサンチマン的、だなんて、そんな。そうだ、二ーチェ読まなくちゃ!と思いました。放ったらかしにしていました。
私は、好きなように書く場であってほしいと思っています。私にとって。
SNS全般に通じる自戒だったと思いました。
私はFacebookやInstagramを使ってます。
今後は、各々一定のポリシーをもってこれらを使って、誰かが見ていてくれているかにあまりヤキモキし過ぎないように、自分の生活を豊かにしていけたらと思いました。
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