書くことの愚かさを引き受け、愚かさを通じて私たちが接続されるために
書くこととは原理的に、ひとつの「愚かさ」を引き受けるという選択だと思う。
そしてそれは悪いことではない。「愚かさを引き受ける」とはぼくにとって「生きる」ことと同義なので、けっしてシニカルに言っているのではない。逆に言えば、愚かさの反対の「賢明さ」とは、それを究極まで突き詰めれば、何も言わないことであり書かないことである。(中略)
多くの人は愚かさを避け、自分が愚かに見えることを避けて、ひたすら賢明さだけを追求しているように思える。賢明さを突き詰めた先には死しかないのに、あるい