[小説] リーラシエ ~月齢5~
ディアナが目を覚ますと、ちょうどリーラシエが帰ってくる頃だった。
「あ、おはようございます。ディアナさん。」
ディアナがむっくり身体を起こすと、リーラシエは挨拶してくれた。少し前までディアナが声をかけてもぎこちなくしか言葉を返してくれなかったリーラシエだが、ようやくまともに会話できるようになった。
リーラシエが少しは心を開いてくれたのかもしれないとディアナは心底嬉しかった。
「おかえりなさい、リーラシエさん…」
言いかけてディアナはリーラシエが腕に抱えているものに目を留めた。
「今日は、一段と多いですね。」
リーラシエは毎朝近くの草花が咲き誇る場所に食料を調達しに行く。昨日はディアナもついて行った。途中で猫と合流したのだろう。リーラシエの足元では猫がうろうろしている。
ディアナが目を留めたのは、リーラシエが手に持っている食料の量だ。いつも手頃なカゴに収まるくらいしか採ってこないのに、今日は腕いっぱいに抱えるほど持っている。リーラシエとディアナと猫で食べても五日分はありそうだ。
「どうしたんですか、その量。」
ディアナは目を瞬かせながらリーラシエに尋ねた。
「嵐が到来しそうなので。」
ディアナはますます目を見開いた。空は快晴。風は穏やか。この時期にしては温かく、昼間なら外で過ごせそうなくらいだ。
「嵐ですか?でも外は…」
リーラシエはこくっと頷く。
「確かに空は晴れているし、風も穏やかです。しかし、嵐は来ます。」
きっぱりした物言いだった。あまりにぴしゃりと言われ、ディアナは口をぱくぱくさせた。
「なぜかはわかりません。でも、分かるんです。もうすぐ嵐が来るって。」
リーラシエは窓の外の遠くを見据えながら呟いた。
ディアナは確信した。嵐は来るのだと。
かつて訪ねた地で聞いたことがある。世の中には、見えないものが見える人がいると。感じられないことを感じられる人がいると。生まれ持った素質で世界の深いところと繋がれる人がいると。
薄々感じてはいたが、リーラシエはその類の人間なのだろう。
「だから、猫と一緒に帰ってきたのですか?」
リーラシエは静かに首肯した。
「猫は私より早く嵐が来ることに気づいていました。猫は私の師匠ですから。」
共感を求めるようにリーラシエは猫に笑いかけた。猫はそれに応えるようにリーラシエの足にすりすりした。
リーラシエの言う通り、日が傾き始める頃にはさっきまでの晴天が嘘のように空は厚い雲で覆われていた。空が暗くなるにつれて、不吉な風さえ吹き始めた。
ディアナは感心して窓の外の様子に見入っていた。本当だ。嵐の到来だ。リーラシエを信じていなかったわけではないが、あの段階で嵐が来ると言われてもにわかに信じがたかった。
旅の途中で幾度となく空を見てきたディアナには今なら嵐が来ることは予想できるが、朝はまだ何もわからなかった。リーラシエの感じる能力の高さは天賦の才と言うほかない。
「2、3日続くと思います。」
ディアナの背後で窓の外を眺めていたリーラシエがふいに呟いた。
「え?」
ディアナは思わず振り返った。変わらずリーラシエは外を見ている。全く動じる気配がない。
「どうして分かるんですか?」
ディアナは率直に疑問を投げかけた。リーラシエはやや躊躇ったが、やがて口を開いた。
「…うまく言えないんですけれど、自然が教えてくれているように感じます。自然と会話しているような。」
リーラシエは俯き加減でディアナと目を合わせずに言った。それはまるでディアナの反応を恐れているようだった。
「すごいです!」
ディアナはリーラシエを覗き込み、目を輝かせた。
「自然と関わっていればある程度は空の予想はできます。しかし、リーラシエさんのように皆が感じるより早く、かつ正確に言い当てられる人はめったにいません。努力で獲得できるものではなく、これはもう『天より授かりしもの』です。」
ディアナは一息で言い切ると、ふっと息をついた。力説したからか、身体は熱を帯びている。
リーラシエはひどく驚嘆して口をもごもごさせた。この特殊な能力を賞賛されたのは初めてだった。人と違う能力は非難されるとばかり思っていた。だから、能力はなるべく隠してきた。しかし、ディアナはすごいと言った。
「誇ってもいいのですか。」
「もちろんです!人と違うことを恐れる必要はないのです。授かったものは存分に生かさないと、自然に失礼です。」
リーラシエははっとした。自分の能力を生かさないことは、自然に失礼なのか。授かった能力を生かすことは自然に従うことなのか。
「ありがとうございます。ディアナさん。そういうふうに言われたの、初めてで、すごく嬉しいです。ありがとうございます。」
リーラシエは深々とお辞儀をした。
「そ、そんな。私はただ当たり前のことを言っただけです。」
急に改まった態度をとられてディアナは困惑した。けれど、自分の言ったことに感謝されるのは照れくさいながらも嬉しく誇らしかった。
「今日は冷えると思います。温かいハーブティーを用意しますね。」
リーラシエの目にもはや迷いはなかった。ディアナなら、受け入れてくれる。変に隠す必要はない。
リーラシエは身体の力を抜き、穏やかな気持ちでハーブティーを淹れた。
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