[小説] リーラシエ ~上弦の月~
第九夜 上弦の月
黄昏時、リーラシエとディアナと猫は家の外の庭にいた。
リーラシエは緊張した面持ちで宙を見ている。ディアナは何が始まるのかとどきどきしている。猫は相変わらず二人の間を行ったり来たり歩き回っている。
「ミャオン。」
猫はうきうきした様子で飛び跳ねている。リーラシエの能力を見るのが嬉しいのか、ディアナにリーラシエの能力を知ってもらえるのが嬉しいのか。
「えっと、では、始めます。」
「はい。」
リーラシエは静かに目を閉じた。辺りの気配を集中して感じる。
「?!」
「ミャオン。」
空が闇に塗りつぶされたかと思うと一瞬にして満天の星が現れた。
あまりに一瞬の出来事にディアナは何が起こったのかわからず、声も出なかった。
猫はいつものようにリーラシエの能力に感服し、空に広がる星々を堪能している。ディアナはただただ驚愕していた。
まだ薄明るくて星はあまり見えなかった。それが一瞬にして空は闇に満ち、星で彩られた。この世のものとは思えなかった。神変か神の御業か。
「これが、私の能力です。」
リーラシエは立ちすくむディアナに控えめに話しかけた。その声は微かに震えているようにも聞こえる。ディアナは相変わらず目を見開いたままリーラシエの方を見た。
「すごいです!」
ディアナは突然興奮した声をあげたかと思うと、リーラシエの手をとった。突然ディアナに触れられたリーラシエはびくりと身体を震わせる。
「すごいです、本当に。言葉で言い表せないくらい。このような素晴らしい能力は見たことがありません。誇るべきことです。」
今度はリーラシエが目を見開いてディアナを見た。この特殊な能力を褒められたのは初めてだった。人と違う能力は忌み嫌われるものとばかり思っていた。だから、ディアナに能力を見せることも怖かった。意を決して能力を披露した後も何を言われるか不安でたまらなかった。
「…ありがとうございます。そんなこと言われたのは初めてです。」
リーラシエは頬を赤らめた。嬉しくて恥ずかしくて照れくさくてディアナを直視できなかった。
「本当にありがとうございます。」
こぼれ出た言葉と共に涙が溢れてきた。本当はずっと誰かに認めてほしかった。自分の能力を存分に発揮したかった。一度でいいから「すごい」と言われてみたかった。特殊な能力があるというだけで、周りから邪険にされるのが気に食わなかった。
リーラシエは確信した。この人なら、ディアナなら自分を受け入れてくれると。安心して話すことができると。
「ディアナさん。私は昔から異質な存在でした。皆が見えないものが見えたり、皆と同じように行動できなかったり。それで、ずっと、嫌だった。」
何が嫌だったのか、今はまだわからない。しかし、これは間違いなく心の奥からの叫びだった。ずっと、ずっと抱えてきたリーラシエの本心だった。
「ミャ。」
リーラシエが視線を猫に遣ると、猫は今までに見たことのない表情をしていた。目を潤ませ、心配そうな労わるような優しさに満ちた顔だった。
「猫が変えてくれたんです。自分を抑え込み、能力を隠していた私を。猫と出会って、星を出せるようになったんです。」
リーラシエは猫に微笑みかけ、優しく撫でた。
ディアナは心底嬉しかった。リーラシエが自ら身の上話をしてくれた。ディアナを信頼できる人間として本心を話してくれた。ディアナは天にも昇る思いだった。それと同時にリーラシエのこの信頼を決して裏切るまいと心に誓った。
「リーラシエさん、猫と出会ったのはいつ頃ですか?」
「…数年前、としか覚えていません。」
リーラシエは難しい顔をした。何か思い出すかもしれないと猫を見たが、猫はリーラシエを見上げるだけで詳細は何も思い出せなかった。
「猫と出会ったのが先ですか、それともここに来たのが先ですか?」
リーラシエは唸るように考えた。
「同時期だった気がしますが、記憶が曖昧で。何とも言えません。」
今度はディアナが思案した。猫と出会ったのが先か、ここに来たのが先か。それだけでも分かれば過去への手掛かりが見つかるかもしれない。
猫と出会ったのが数年前ということは故郷にいた猫ではないだろう。ここに来てから猫に出会ったと考えるのが妥当だろう。
「でも、これだけは確かです。猫と出会って、ここへ来て、私は私でいられるようになった。星を出せるようになった。」
リーラシエは天を見上げた。
その眼は希望に満ちていた。過去を悲嘆することも恨むこともない。実に清々しく力強い眼だった。
「ディアナさん、本当にありがとうございました。私の能力を見てくれて、そして私を受け入れてくれて。」
リーラシエはまっすぐにディアナを見つめて言った。恥ずかしくてすぐに目を逸らしてしまったが、ディアナは心の底から嬉しかった。ようやくリーラシエと繋がることができた。秘密を明かしてくれるほどに信頼に値する人物になれた。
「もう日が暮れます。夕食にしましょう。」
そう言い残し、家の中へ向かうリーラシエの背中は心なしか、軽い気がした。
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