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わたしはいつも春に何かをやらかしてしまう。

いつも春に何かをやらかしてしまう。

それは始まりの吐息が聞こえてくるからなのかわからないけれど、秋冬はわたしにとっては魔法の時間。それが終わって春がやってくるとシンデレラの真夜中の鐘が鳴るように大きな音を立てて夢の時間の終わりを告げる。

2年前の9月の初めの日にわたしは前の恋人と別れた。
それはこの国では春の始まりで、でも9月の夜はまだまだ冷たかった。

1年前の9月は恋人にはなれないと最初から断言された相手と毎日のように会っていた。たくさんの話をしたしそれでも満たされなかった。わたしは付き合う価値さえもない人間なんだと自分の存在に絶望していた。そして夏が始まる前にわたしはちゃんと自分の心と向き合おうと決心してその人との連絡を絶った。

今年の春は恋人となった人に別れを告げようかどうかで心を決めかねている。わたしたちはあまりにも生きる感覚が違いすぎたもかもしれない。
ここまでズルズル引きずってしまったのは執着だったのかもしれない。
まあ彼が旅行から帰ってきたら向こうも向こうで心変わりしているかもしれないのでちょうどいいのかもしれない。

春は出会いの時期とか言われてるけどわたしにとってはいつも別れの時期、そして始まりの季節だった。引越しと転校を繰り返していた学生時代は毎年新しい学校で春を迎えていた。クラス替えのレベルではなくて新しい人と一から関係を築きその小さな社会のルールを覚えて生き抜いていくサバイバルの時期だった。

同じ国で4回目の春を迎えるなんて誰が想像しただろうか。
2016年の6月に地球の反対側に飛んでからあっという間にもうすぐ4年が経ってこの国で二十歳を迎えて働いて出会って別れて学びの道に舞い戻ってきた。

人生は何が起こるかわからないしあと数年後には一人でヨーロッパで暮らしているかもしれないしちゃんと学位が取れるかどうかもかわからないし恋人とは別れるかもしれないし、それでもこうして今ここで窓を全開にして太陽と風の感触を浴びながら異国ではなくなりつつある異国でまた春を迎えようとしている。

また春に何かをやらかそうとしている。
それだけはどこに行ってもいくら月日が経っても変わらないことなのかもしれない。

mugiho

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