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96|風 | 街を彷徨って人間観察|書く人 | ニュージーランド|somewherethere.379@gmail.com

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最近の記事

西洋的思想・アプローチって結構狭い

こんばんは。 今日もおつかれさまです。 って書いてあるnoteへの愛が募るばかり。 今まではなんだか一人で孤独に書いてたみたいだけどこうしてテキストの画面を開くとメッセージが飛び込んできて私の心が少し微笑む。 大学が始まって朝から晩までもちろんずっと英語で話して英語で考えてってしていると息をつく暇がないみたいでこの感覚、やっぱり私の母国語は日本語なんだなって思う瞬間。きっとネイティブ寄りに読み書きできるのかもしれないけどどうしてもスピードとかそこまで速くないし多分喋りもうま

    • 一人暮らしをしてみたい

      「お腹が空いたな〜」と誰もいない家でひとりで呟いてみる。 その空間には私しかいなくてもちろん返事なんて返ってこないけど。 実は私はちゃんとした一人暮らしをしたことがない。ニュージーランドでひとり暮らしはかなり難しい話で(家賃がものすごく高いのとひとりで住める物件がほとんどない)結局はシェアハウスか学生だったら寮。 私は家を出てしばらくシェアハウスをしていた。バックグラウンドも文化も全く違う人たちと同じ屋根の下に暮らすってどうなのって私は初めて家を出たときもう緊張しすぎてその

      • 私の音楽遍歴・前編

        音が現実の世界に少しずつ滲み出てくる感覚、わかる? それは思い出という記憶の糸を辿っていくような。 誰かの声が。特定のリズムや音が。言葉が。 たくさんの忘れていた感情を掻き立ててときには苦しくなるくらいに。そしてそれは必ずしも全く同じ曲でもなくて、初めて聞く音の間にところどころ挟まれている音楽の一部だったりする。 掻き立てられる思い出や感情は聞いてた時の季節や時間帯が入っている。雨が降っていたとか落ち葉で一面が真っ赤だったとか。たくさんの人に囲まれた交差点でこんなにも孤独を

        • 人々が対話できる場所

          人々が対話できる場所や機会はどんな形をしているのだろうか。 今朝、友人と話していてそんなことを考えていた。 私は世界をより良く、そして住みやすくしていくための努力や動きにはもちろん賛成だしとても重要だと思っているしそれは(一応)民主主義である以上私たちの権利であり義務でもある。大学でも社会学や原住民のマオリ族の人たちの植民地化の歴史を学ぶことで社会的システムに立ち向かっていくことがいかに今必要かを痛感している。 でも同時にそんな動きの世界って実は結構入りにくかったりする。

        西洋的思想・アプローチって結構狭い

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        • Design
          5本
        • 考える
          3本

        記事

          外からの音

          音について考えることが増えた。話すこと、喋ることについて考えることが増えた。それは頭の中とは逆に現実で喋る機会が劇的に減ったからだろう。コロナの影響で飲食の仕事をしなくなってから仕事は在宅業務に変わって大学はオンライン授業になった。そこからなかなか外に出る機会がないまま学期休みを迎えてしまったので私にとっての唯一の会話の機会は仕事から帰ってきた恋人とあとはたまに電話する友人か家族くらい。 でも同時に不思議なことにこの日常の中での会話が減ったと同時に「対話」の機会が増えたよう

          外からの音

          今日のこと

          毎日書き続けること自体が困難なのではなくて毎日書く内容を見つけ続けることが一番難しいのかもしれないという(結構当たり前な)事実に気付き始めたnote継続期間。 というのも私はいま学期休みに入っていて6月の末から今週末までの3週間ほどの冬休みだ(ニュージーランドはただいま冬真っ只中なので) 3月末にロックダウンになってから大学がオンライン授業に移行するために1ヶ月ほど休みになってそこから2週間遅れて終わった大学二年生の前期。まさか大学に通っている間にこんなに世界が変わるとは思

          今日のこと

          私の手から離れていく私の生活

          自分の過去に起こった出来事や普段の生活に宿るエピソード等を物語、エッセイや文章として語ることに長らく抵抗があった。人は物事を理解し伝えるために長い間「物語」という形を取ってきた。ただ同時にそれらは語られることで現実とはまた違う道のりを歩き出す。誰かがストーリーを語った時点でそれはもう「私の」人生ではなくなりその物語を受け取る側のものとなる。それは個人的な出来事だけではなくて「普通」に見える生活も含めて私の生きている世界について描写しそれらについてなんらかの形で伝承できる姿形に

          私の手から離れていく私の生活

          心が体に引っ張られていく

          心が体に反応するとき。 私の体はもう私のものではなくなり勝手に私の心の反応に押されて一人で非常事態を宣告している。もうこのプロセスに入ってしまうと抜け出すのはなかなか難しくてそれらが過ぎ去っていくのを待つしかない。深呼吸をして目とつむる。頭がガンガン痛む。どうにかしたくてもどうしようもない時もある。そんな時もある。少しだけ自分の心とうまく付き合えるようになってきた。 昔からあがり症で人前で発言したり発表する機会になると手足が冷たくなってうまく動かなくなって息ができなくなって

          心が体に引っ張られていく

          続けること

          毎日noteを始めてから(土曜日だけ寝てしまった。でもそこからそのままずるずる引きずらないで立て直せたのエライ)6日が立とうとしている。という事実をわざわざこうして書き連ねているのは時間の流れが想像以上にはやくて怖いっていうのと少しずつ物事を続けるコツが掴めてきていることへの喜びを書き留めておきたかったから。継続を自分の生活の中に組み込めた時ってこう生きる術を身につけたっていうか、時間がもっと豊かになるような不思議な感覚に陥る。一方では毎日同じことをしていて段々と刺激がなくな

          続けること

          情報のユートピア

          インターネットへのアクセスが容易になって(実際世界にはインターネットにアクセスすること自体が困難な人が実はかなりの数いる: 世界人口の59.6%)情報の取り込み方がだいぶ変化してきたこの世の中で自然災害、パンデミック、社会構造によってどのような人たちがどのような情報へアクセスできるかという情報格差というものが存在するようになった。そして終わりのない情報の海にアクセスできることのできる人々たちは「どの」情報にアクセスするのか。それらをどのように自分の中で処理していくのかというと

          情報のユートピア

          ひとりで生きていくこと?

          ひとりの世界を抱えて生きるのは人間として生きることだと思う。 コロナであらゆる世界のつながりが一時停止されてそして新たな形へと変換されていっている。私たちは時代の境目という大きな瞬間に生きている。 サービス業が次々になくなり大学のキャンパスには人がいなくなり頭上を飛んでいく飛行機が減った。公共交通機関に乗るのが怖くなって世界各地はロックダウンされる。私の住んでいるオークランドも例外ではなくて3月末から5月中旬までスーパーへの買い物と日常の運動のための散歩以外で外に出ることが

          ひとりで生きていくこと?

          長くて大きな愛

          何かを追い求め続けることのできる長くて大きな愛が欲しい。 或いはそんな愛を持ちたい。 それはきっと無理に作り出そうとするものではなくて自然と気づいたらそうなっていたっていうもので。それはきっと眠れなくて辛い夜の原因でもありそれを乗り越える理由にもなるもので。それは気づいたらいつも側にあったもので。同時にずっと遠くに見えていて追い続けているもので。 朝起きる理由からもう眠りから覚めない理由でもあるそれは私の人生を違う次元に引き上げたと思ったら私を奈落の底に突き落とす。右と左

          長くて大きな愛

          息を潜めるように読む

          小説を読むときは息を潜めるように読む。 そこにいる主人公と動き回る登場人物たちに自分の命を分け与えているみたいな感じ。私の存在はその物語には不要であり、一人の傍観者として文字の外に立ちながら、同時にその世界の一部でもあるという存在の狭間に立っているような。 こんなことを考え始める午後は大抵一人でいる時間がだいぶ長くなって誰とも会話せずに一日過ごして沈黙の中で本を読んでいるとき。昔から音楽をききながら勉強したり読書をしたりするのが苦手で(音楽を流すとしたら大抵作業中は歌詞のな

          息を潜めるように読む

          外に出ない日々

          行った場所とか読んだ本についてとか食べた物とか外で起こったことについて書くことは割と簡単でまあそれは普通に日記を書くような感覚で起こった出来事→感じたこと・感想みたいな流れでいけば結構書けるのかもしれない。ただ問題は私はほとんどと言っていいほど外に出なくなったのだ。 ただ世界中を食い尽くしているコロナウイルスというものが社会のあり方をあっという間に変貌させてしまった中、私に残された生きる術みたいなものは割と全部家の中で完結してしまうものになった。海外旅行に行くこともなければ

          外に出ない日々

          最近読んでいる本たち

          学期休みに入って並行読みしている本たちです。 首にカメラをかけたままこの記事を書いている。 久しぶりにカメラを触り始めたらやっぱり右上のボタンをグイッと押す感覚が好きでちゃんとカメラをまた使おうと思った。 『Figuring』Maria Popova 大学時代に始めたメールマガジンがあっという間にみんなの心を掴んでBrain Pickingsという素敵な叡智を集結させたウェブサイトになってそれが今度は一冊の本になった。哲学から科学、文学、歴史、芸術。世界のすべてはつながって

          最近読んでいる本たち

          これは全員の問題なんだってば。

          歴史に刻み込まれた「違い」の代償を払い続ける世界に生きる私たちはどうしたらお互いを人間として認め合える世界を築くことができるのだろう、とずっと考え続けている。争わなければいけない、叫ばなければ届かない、存在すらを認めてもらえない世界に囚われた人たちの怒りと悲しみと絶望は時間を超えて私たちの肩にのしかかっている。暴力や怒りや叫びではないちがった方法で問題が解決できればいいのにって思うのと同時に歴史とその思想によって築かれた社会のシステムに沈黙され、飲み込まれ、いなくなっていった

          これは全員の問題なんだってば。