「自分」を自覚して表現することの難しさ。
40を目前に、今までよく言っていたセリフがある。
「自分って、ここまで来たらなかなか変えられない。」
上司に期待される役割とか、伴侶に指摘されるクセとか、素直に聞けるものもそうでないものも、すでにある自分を言い訳に聞き入れない。自己啓発書に感化され、よし、変わろうと思っても変わった試しがない。
自分って一体なんなんだろう。
感情表現に乏しい。表情が変わらない。よくいえばクール。
人に興味が無い。筆不精、電話不精、LINE不精。友達が少ない。少なくても良いと思ってる。人を信用できないので、上手く頼れない。
合理的。何かしてなくては時間を無駄にした気がして焦る。だから自分の思い通りにできない時間にストレスを感じる。
疲れやすい。忘れっぽい。飽きっぽい。
やばい。思いつく自分が、最低である。
自分で書いていて、落ち込んできた。
この、どうしようもない自分を活かすには、どうしたらいいのか…。
森絵都の『無限大ガール』を読んで、そんなことを考えた。
主人公の女の子は、『自分が無い』ことを思い悩む。大好きな人に、それを指摘されて振られたのだ。しかし、自分の中に広がる虚無に、他の人格を演じて埋めることで女の子は今までにない充足感で満たされる。無限の虚無が、演劇により「役をそのものとして演じられる、圧倒的才能」として開花するのだ。
「自分が無い」ことが、「無限大の可能性」に変わる。
圧倒的短所が、圧倒的な強みに変わる。
その様子が、痛快である。
いくらどうしようもない短所だろうと、活かす方法がある。
ポジティブ変換すれば、強みになる。
そして、最強の自分のキャッチフレーズが出来上がる。
そうなったら、人は強い。
自分探しというのは、自分の短所も長所も、どこでどうすれば最大限活かすことができるのかを探ることなんではないか、と思った。
自分は、一日一日の積み重ねで、出来上がってきたものだ。
自分を変えるには、今日からまた一日一日を積み重ねていくことでしか、変わらない。
10年後に振り返れば、自分は変わっているかもしれないけど、
その10年後はまた 自分を変えたいと思っているかもしれない。
ならば、今の自分をきちんと受け止めて、自分をポジティブに活かせる場所を探したほうが手っ取り早い。
短編小説ながら、自分について考え、どうしようもない自分でも可能性に満ちていると前を向かせてくれる。
そんな爽やかな、良作に出会えてよかった。
森絵都『無限大ガール』 読了。
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