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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(22)三島由紀夫と歴史教育ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(8)三島由紀夫と歴史教育

 今から約50年前の1969年に三島由紀夫と東大全共闘が東大教養学部教室で行った討論記録がある(三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大闘争』角川文庫)

 大した議論ではない。そもそも東大の学生は何を言いたいのかさっぱりわからない。しかし、その中に「天皇」についての三島の重要な発言がある。
戦後にデモ隊がプラカードに書いた天皇陛下を揶揄する「朕はたらふく食っているぞ。御名御璽」という言葉に対して三島は「非常に下劣な文章である」と批判し、重要な指摘をしている。

 ところが、天皇というものはそれほど堂々たるブルジョアではないんだ。もし天皇がたらふく喰っているような堂々たるブルジョアであったら、革命というものはもっと容易であった。それでないからこそ、革命はむずかしいんじゃないか。(65ページ)

 日本では左翼革命は起きなかったのは周知のとおりである。中国や北朝鮮のように日本を共産主義化できなかった理由は天皇の存在が大きかったと言えるだろう。ほぼ理想ともいえる天皇というリーダーの存在とその天皇と国民・民衆の間の驚くほどの平等な関係が共産主義思想をなんとか水際で食い止めていたのではないだろうか。やはり、天皇と国民・民衆の関係を抜きにして日本の歴史を教えることはできない。

 ここで日本語の特徴の一つである敬語の存在に着目してみよう。どうやら他国の言語に比べてわが国の敬語の種類の多さや使用法の複雑さは群を抜いているようだ。しかし、なぜ日本では敬語が発達したか?日本は上下の身分差が大きかったからでは?と考えがちだが、じつはまるで逆なのである。

 日本という国は社会的身分の上位者と下位者の応答関係が活発で、それが古代より現代まで続いているからこそ敬語というコミュニケーションツールが発達したのだという。逆に欧州や中国では上位者と下位者では通じる言葉がなくて互いに相手のしゃべっている言葉はちんぷんかんぷん。そもそもコミュニケーションをとること事態ありえない事だったというのである。詳しくは浅田秀子著『敬語で解く日本の平等・不平等』(講談社現代新書)をお読みいただきたい。浅田氏はこの本の中でいくつもの例を引いている。

  取り上げられているのは、日本武尊と火焚きの老人、仁徳天皇の国見、雄略天皇と大工さん、問民苦使(もみくし)を派遣した孝謙天皇、傀儡女・乙前に今様を習う後白河院など天皇と民衆の関係が多い(浅田氏の著書では、高槻にキリスト教のパラダイスを実現した高山右近、『日暮硯』にある理想的な武士と百姓との交渉の姿などそれ以外の例も紹介されている)。

 歴史教育の役割の一つは「国柄」を教えることだ。「国柄」とは、私たちの国はどんな特徴を持ち、何を大切にしてきたのか?ということである。天皇と民衆という社会的身分を超えた協力関係を構築して国づくりを進めてきた日本の素晴らしさを教えるべきではないだろうか。

 話を三島にもどす。さらに三島は、日本という国の本質を鋭く言い当てている。天皇の存在そのものが日本人の「底辺」にあり、私たち日本人のメンタリティはこの「底辺」の長期的な時間的持続の中から生まれている、というのが三島の主張なのである。(66ページ)

 日本という国はたいへん長い時間の継続を持っている、ということ自体が歴史教育の大事な指導事項である。そして、なぜこれほどまでに長い時間、一貫した日本という国柄を継続できているのかと言えばそれは天皇の存在による。ということは、天皇の存在そのものが日本文化そのものであり日本人のメンタリティであるということも重要な歴史教育の内容になる。

 三島の発言を読むと、わが国の歴史教育の最重要指導事項は「天皇」であることがわかる。小学校学習指導要領・社会の六学年「内容の取扱い」(1)にも以下のように記されている。

 アの(ア)の「天皇の地位」については、日本国憲法に定める天皇の国事に関する行為など児童に理解しやすい事項を取り上げ、歴史に関する学習との関連も図りながら、天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること。

 「天皇についての理解と敬愛の念を深める」ことは日本という国と日本人を理解することである。そしてそれは「歴史に関する学習との関連も図りながら」進めなければならないのである。

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