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影が濃い人、というのがいる。 その人が教室に入ってくるだけで、一瞬だけしんと静まり、…
実のところ人間の欲望ってけっこうずれてることがあってさ、自分の体と心が本当に必要として…
自分自身のことについてたくさん書いていたときはかなり精神的に不安定になっていたが、しば…
文香「理知さん。私、時々思うことがあるんです」 理知「何?」 文香「私と一緒にいるとき、人…
ある人が「○○って頭も使うけど、体もちゃんと動かすよね。いちいち試すというか、ちゃんと…
楽しい楽しい自己省察の時間! 散々悪く言った後に「別にいいんだけどね」とすました顔で…
飢えによく似ていると思う。食べたいものがあるわけじゃないけど、腹が減るから何でもいいから食べたいと思うように、書きたいものがなくても書いていたいと思うときがあるのだ。 面倒なのは、これは欲求と結びついているから、基本は発散させるだけのものだと思うのだが……それでたまたま生まれたものは……一応そこに存在してしまっているから、面倒を見なくちゃいけない。 ただ書き捨てるのは簡単なのだけれど。 自分の体に合ったものを選んで書いた方がいいんだろうなぁ、とは思う。でも自分の
私が苦しむ理由は私のやったことの結果が惨めだからなのではないか? たとえば、絶えず結果が…
私は今まで生きてきて、強い精神の抵抗を感じながらも我慢しながら続けたことがいくつかある…
ここまでたくさんの記事を書いてきた。 約五カ月で、約四百。内容が被ってるものはほとん…
私の経験則ではあるが、おそらくほとんどの人が同意してくれることであると思う。 もっと…
文香「しょせん私なんて何もできないんですよ。ユーモアのセンスもない」 理知「急に何を言い…
noteをはじめて早二カ月。もっとすぐにやめることになるような気がしていたし、実際に「二度…
人に褒められて嬉しいのは当たり前だけど、人に褒められてやっと「私はそこそこのものが書けている」と認識するのは、明らかに自分に自信を持ち切れていない証拠だ。 誰だったか「自分をちゃんと愛せていない人間は、隣人という証人を呼んできて彼に褒めてもらわないと、自分を褒めることすらできない」といっていた人がいた。 まさにその通りである。私は確かに自分の書いた小説のうちのいくつかを「素晴らしいもの」として取り扱っているし、読み終わった後はそう感じるが、「そう思うのは私だけなのではない