自分についての自分との対話

文香「理知さん。私、時々思うことがあるんです」
理知「何?」
文香「私と一緒にいるとき、人はいい人になってくれます。演じている風でもなく、立派な人のように見えます」
理知「みんなってわけじゃないでしょ?」
文香「ほとんどの人が、そうです。だから、世界はそんなに悪いものじゃないのかなって思うこともあるんです。でも、私が少し距離を置いて、友達同士が話している内容を聞いていると、私の思っていることが勘違いであると分かるんです」
理知「ふぅむ」
文香「なんて言うか、類は友を呼ぶというから、私の周りにはいい人ばかり集まってくるのかなと思ってたんですけど、実は、私がいい人だから、いい人じゃない人もいい人のふりをするのかなって、そう思うようになったんです」
理知「それは、正しいかもね。ギブアンドテイクっていうし、自分に親切にしてくれる人には皆親切にするものだよ。それにふうちゃんは、容姿もいいから」
文香「きっとそれは、女性としての容姿というより、人間としての容姿なんでしょうね。下心が透けて見えることも、滅多にないので。単純な親切心をもって、接してくれる方が多いので」
理知「そういう意味での美人は、得だね」
文香「得っていうか……別に私は得したいなんて、少しも思っていないんです。私は別に人から好かれたいと思ってませんし……いや、好かれるのは嬉しいですし、仲良くできるのも、いいことです。人との関係を良好に保つのは、人生を楽しく過ごすコツでもあると思います。でも、人数が増えれば増えるほど、私のそういう親切心の影響力は下がって、喧嘩し始めるのは、見るに耐えないというか……」
理知「関係ないって思えないんだろうね、ふうちゃんは。私は、そういうのどうでもいいと思ってる」
文香「でも理知さん。自分が信頼している友達が、別の信頼している友達を罠にはめて破滅させようとしていても、同じこと、言えるんですか?」
理知「何も信頼っていうのは1か0じゃないじゃん。色んな信頼があって、それを使い分ければいいだけのこと。無条件の信頼は、自分自身と……ふうちゃんくらい優しい人に対してだけでいい」
文香「私はそんなに優しくないですよ。自分でも、びっくりするくらい残酷なことを思いついたりしますもん」
理知「私はふうちゃんになら傷つけられてもいい。私が私を傷つけるのを許しているように、ね」
文香「えー……それは……でもそれだと私は……」
理知「ふうちゃんは、自分が誰に傷つけられても、それを許すつもりでいる。そういうことなんだろうね。それくらい、傷つけられてきた。どうして? どうしてそんなことになったの? どうして、そんな目にあったの?」
文香「私はいじめられたことはないし、人並み以上にひどい目に合ったこともありませんよ。特異な経験と言えば、好きだった人が自殺したことと、それに自分があまり強い感情を抱けなかったことくらい……それをきっかけに、自分の命をかけたサイコロを振ったことくらい。別に大したことじゃないですよ、それくらい」
理知「その経験が大したことかどうか私には判断できないけれど、少なくともはっきりしているのは、あなたはとても我慢強くて、優しい性格であるということ」
文香「でも私は頭の中がぐちゃぐちゃで、本音を言うと人をうんざりさせてしまう」
理知「だから、黙ってるんでしょ?」
文香「何度か試してみたことはあるんですけど、そうしたら、皆私から離れていきました。最初の方は興味津々に色々質問してくれた子もいましたが、聞けども聞けども尽きないから、嫌になっちゃったんでしょうね。はっきりと『○○のことは好きだけど、○○の話をずっと聞いてると自分の生活がダメになる』と言われたこともあります」
理知「話し過ぎてしまうんだね。でも別に何も、全部を話す必要はないんじゃない?」
文香「えぇ。だから、相手に伝わることだけを話すようにしました。自分の話したいことのうち、言っていいとはっきりわかる部分だけ、言うようになりました。そして、相手の話している内容がどれだけ気持ち悪くても、我慢するようになりました」
理知「でもさ、そういう態度はきっと、人を息苦しくさせるよ。社交界みたいじゃん。そんなの」
文香「でも、その方が私は楽なんです。本音が一番楽で、次に社交界スタイルで、下品な話やどうでもいいことで盛り上がるのは、それよりずっと疲れるんです」
理知「あぁなるほど、やっぱりそうなのか。あ、じゃあもしかして人の悪口に同調できないのって……」
文香「それが嫌いなのもありますが、それ以上に疲れるからですよ。しんどいんですよ。自分とは違う思考形式、価値観で生きている人に合わせて同じ時間を過ごすのは、苦しくて、悲しくて、やりきれない思いに囚われます」
理知「だから、小人数が好きなんだね。人数が少なければ、相手は文香ちゃんのことを見てくれる。見て、判断して、合わせようとしてくれる。だから、楽しく会話ができる。でもその場合、ふたりが努力して何とかその場を作り出しているわけだから、両方とも消耗する」
文香「その通りです。私は、人に合わせるのにとんでもなく大きなエネルギーを消耗します。それくらい、立っている場所が違うんです。高いとか低いとかじゃなくて、ただ、私は、違う空気を吸って生きているんです」
理知「それは、皆否定できないと思うよ。ふうちゃんくらい、不思議な世界で生きている人は中々いない。不思議な世界で生きているのに、そうじゃない世界で生きている人の気持ちを忘れない人は、きっと生きていくのが辛いんだろうね。もう、忘れちゃったら? 他の人のことなんて……」
文香「でも私の家族は、その、普通の世界で生きている人なんです。毎日働いていて、テレビを見て笑ったり怒ったりして……最近見た面白いネットニュースの話を私に教えようとしてくるんです」
理知「哲学科の大学にでも入ったら?」
文香「見に行ってみたことはあるんです。無理だと思いました。人の気持ちに鈍感な人ばかりでした。気遣いの仕方が歪んでいる人ばかりでした。理由は分からないんですが……いや、きっと本人たちが、自分のことで精一杯なんだと思います。私もそうですが……」
理知「まぁ、違うタイプの苦しみ方をしていると思ったんだね?」
文香「はい」
理知「結局『私たち』は、もうひとり自分がいるだけで、その孤独や苦しみは解消される。同類が、ひとりいるだけでいいのに、それが見つからない」
文香「そうなのかもしれませんが……もしかしたら、そうじゃないのかも」
理知「少なくとも私たちは満たされている。空想上の、この友人関係で、私たちは、満たされたことになっている」
文香「現実とフィクションは、やっぱり違うと私には思えるんです。理知さん。私は理知さんが大好きです。理知さんも、私が大好きです。でもそれは……フィクションだから、なのでは?」
理知「あるいは、自己愛? 結局私たちは、同じ肉体の中の人格に過ぎないから……」
文香「私は人を愛したい。でも愛せる人と出会ったことがない」
理知「私たちは、それほど優れていないはずなんだけどね」
文香「私たちには、他の人たちがみんな愚かに見える」
理知「それが、単に人の悪いところばかり見ようとしているからではないか疑っている」
文香「それが、自分の認知の歪みに原因があるのではないかと疑っている」
理知「私たちは、周りの人間を馬鹿だと決めつけることができないから。いつも『あいつは馬鹿だ』ではなく『私にはあの人が馬鹿に見える』という言い方をする」
文香「でもそういう誠実さに気づいてくれる人は、それほど多くない。その事実が、私の頭をさらに悩ませる」
理知「『あいつらはやっぱり本当に馬鹿なのではないか?』と考える」
文香「でもそれに『あなたの言う通り。世の中は馬鹿ばっかりなのです』と自信満々に答える人を見ていると、私はその人と自分を同類だと思いたくないと感じるし、その人の話を注意深く聞いていると、その人もまた、別の種類の愚かな人に見えてしまう」
理知「もちろん私たちは、自分より頭のいい人たちを知っている」
文香「でも本当にそう言えるのかな? いやもちろん、私たちはあまり数学や科学の勉強をしていないから、数学や科学について私たちより深い理解をしている人たちに敬意を払っている」
理知「外国語も全然知らないから、多言語話者も尊敬してる」
文香「でも自分がそうなりたいとは思っていない。もしそうなりたいと思えば、時間はかかるけど、それなりに話せるようになるだろうと考えている」
理知「私たちの頭脳は、上の中くらい。学習能力は高いから、時間をかければ大体のことは習得できる。でもそれは、ほとんどの人に言えること」
文香「私たちは天才ではない。秀才という言葉が似合う程度の脳みそ。でもそれはまだ私たちが若いからそう思われることが多いだけで、もう少し時間が経てばきっと『ただの人』になる」
理知「それなら、できるだけ優れた『ただの人』でありたいね」
文香「本当にそう思う。本当にそう思うのだけれど……」
理知「どう考えても、私たちは『ただの人』にはなれなそう」
文香「あはは……私たちがおかしいのは、私たちの学問的な能力に原因があるわけじゃないんだ。私たちが優れているから、私たちがおかしくなっているんじゃない。きっとそれは……」
理知「それは?」
文香「別の人に答えてもらうしかないんだろうね。私たちには分からない」
理知「そうだね。自分のことは、どうやったって分からないよね」
文香「うん」

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