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書評 教養の書 戸田山和久  たとえ話しにオーウエルの「一九八四年」やブラッドベリの「華氏451度」の話しが出てきておもしろい。

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教養って何だろう?
本書のモチーフはそれだと思う。

たとえ話しがおもしろすぎて、笑えた。
著者は、言葉を増やすことは思考領域の拡大とみている
その話しの解説の時に、オーウェルの「一九八四年」が出た。
この話しがおもしろい。

 主人公は言葉を単純化する作業をしている。
暑い 寒い なら 暑い 暑くない みたいな感じ。これで寒いという概念が消える。言葉をどんどん削るのが仕事だ。
 これは 思考の縮小 何も考えない愚民を育てる環境を作ろうとしているのだと著者は指摘する。
ブラッドベリの「華氏451度」は世界中の本を見つけて焼いていく話し
これも教養の否定。つまり、物事を個人が考えるという思考領域を拡大させないのが目的という著者の解説。

元々馬鹿な人間が少しでもましにするのが教養を積むことなのだが
この文学作品たちは、その教養を否定しモノ考えぬ人間を大量生産しようとする恐ろしさをモチーフにしているのである。この話しがおもしろかった。

人間はあほである。


と著者はよく言っている。
だから、教養が必要なのである。

そんなあほな人間が、今のそこそこの人間になれたのは
言葉の発見が大きいるこれにより文化が伝承されることになった。
書き言葉は色んなものを生み出した。

できるだけ良い概念、よい理念、よいアイデアを生み出し、改良し、次の世代に伝えることは、「よいDNA」を残すこと以上に、文化遺伝子に依存して生き延びていくヒトという種にとって重要だ

これが教養なのである。

物知りであることは人生をより楽しくする、あるいは楽しい人生そのものである

1つの映画を見ても、感じ方は人それぞれ。教養があれば、その深みまで味わうことができる。

教養を得る方法として読書にも触れている。

読書は過去の人々との対話である。

本はわれわれを誘惑する。幼い自我が壊れたあとに、われわれは新しい人に産まれ変われるかもしれない


本の危険性と魅力・・・今ここにいない人(虚構存在や死者)とつながってしまうこと。・・・自分は他の人とは違うと考えるようになる

ここが大切です。客観的に見るとか、相対性とか・・・。

教養がない・・・社会のなかにおける自分のポジションが見えていない人について使うんです。たとえば運転マナーの悪い人。タバコのポイ捨てなんてしてしまう人、自分の行為が社会に及ぼす影響を想像できない人々です。彼らは他人が見えていない。近代的自我がない・・・

この議論もおもしろかった。
著者の教養のざっくりした捉え方が見えてくる。

じゃ、教養獲得を妨げているものとは・・・
権力の陰謀とかではなく、君自身なんだという

友達地獄・・・

仲間から浮かないように空気を読むことにきゅうきゅうとし、友達関係の意地にエネルギーを消耗している現代人の病理・・・

授業を一緒にさぼるとか・・・

親の愛も・・・

 君にとって何が良いか、私が代わって考えてあげよう。そのかわり、黙って私の言うとおりにしなさい。そうしていれば、君は幸せになれる。こういう態度を「パターナリズム」という。

フランシス・ベーコンの「イドラ」。
つまり、偏見が認知を歪めるという、認知バイアスにも触れている。

真理を見出すという仕事に関して、人間の知性は・・・欠陥品である

と著者は言う。
それは認知心理学が実証済みらしい。

ステレオタイプと呼ばれる、個人的というよりも社会が共有している反応や「偏見」によって歪められるのである。これは、こうである・・・という考え方。

そういう歪みがあることを知っているか、いないかでは大違いである。

単体ではアホなわれわれは、知性改善のための人工物をフル整備してはじめて、まともにものが考えられるのである。
こうした洞窟=先入観に深く嵌まり込んでいる人は、はたから見るとアホである


わかったつもり・・・これ最悪。
このアホの洞窟から抜け出すには・・・

きみのモノでない視点から「君が世界を眺めていたそのやり方」そのものを見直すしかないだろう。こうして初めて「私は本当はわかっていなかった」と思うことができるからだ。

どこから見るかを変えることが大切。
相対化、他者と出会う事。

重要なのはまず、自分の考え方、物事のすすめ方が唯一の可能なやり方ではないという事を理解すること。

議論はここから白熱していく。
 

「排除型社会」という言葉がある。新自由主義は自己責任と自助努力が原動力。そうすると、そこからこぼれ落ちる人がでてくる。これらを社会の生産を下げる「敵」として排除することで社会を統治しよう・・・
現代社会では、新自由主義が早めに影響力を失った結果、スケープゴートを生み出し排除することによる統治ではなく、分断により人と人とのつながりが失われた社会が生まれた。

これは富める者と貧しい者の接点のない世界である。
分断により対話すらも不可能になりつつあり、まるで宇宙人と宇宙人の会話のようになる
それは若者と老人。という世代間とか、富者と貧者の貧富の格差として出現し
取り残された人たちは、孤独死をしたりするとのことだった。

こうなると、互いを理解し共感しあうのが大切と僕なんかは考えるのだが、著者の意見は違う。

共感はしばしば道徳的行動をじゃまする

理由として・・・

共感は特定の個人に焦点をしぼる
共感は先入観が反映されやすい
共感は自分と似て者に向けられやすい
共感は視野が狭い

つまり、共感にはバイアスがかかるそうなのである。
この部分は僕と考えが明確に違う。人間は完璧じゃないし、的外れな寄付とか確かに無駄だけど気持ちだけ大切にしたいと僕は思うのです。著者の言いたいことはわかるけど・・・。

分断をからめた言葉についての著者の考え方はおもしろい


「愛国」と「反日」
こうした言葉は、人々を二種類に分類し、対話を不可能にする。


これらの言葉は、僕たちの思考を邪魔するものになりつつある。
それはフランシス・ベーコンの言う 市場のイドラ へと誘うものである。
つまり偏見という言語武装、理論武装なのです。

人は・・・

バイアスや偏見にとらわれやすい。信じたい事を信じたがる。
個人のアホさを乗り越える・・・方法は、時間をかけることだ・・・。そうこうするうち、一人の脳みそではなしどけられないことも成し遂げられる。

集団思考の危険性についての議論もおもしろかった。

ケネディ政権・・・がベトナム戦争を泥沼化させたり、キューバ危機によって核戦争の一歩手前の事態を招いたのはなぜか。「最良の最も聡明な人々」を集めたはずなのに、なぜかくも愚かな決定をしてしまうのか。

集団思考・・・

自分たちのやることが、どういう結果をもたらすのか気にしなくなる。敵対する相手を軽蔑すべき邪悪な愚か者とみなす「ステレオタイプ化」集団の合意に自分の意見を合わせようとする・・・・

人は・・・

いったんこうと認めたことには、これを支持してこれと合致するように、他の一切のことを引き寄せる傾向・・・

言葉の大切さも指摘している。

語彙は思考と結びついている。語彙が貧弱だと思考も貧弱になる。複雑なことをうまく考えられなくなる。

大いに賛同するのだが、この後が理解できん。

間違っても「ハリーポッター」を「ハリポタ」などとは言わない。


ええやん、それくらい。

まとめると、教養はとても大切だということだった。
そして、人はアホだから、色んなバイアスに支配される
だから、相対的というか、自分を客観的に違う見方をして
自分がアホであると自覚するのが良いとのことだった。
自分すら疑ってかかる。
哲学者らしい考えだと思いました。

本書はとても楽しくて、読んでてわくわくしました。
とても良い本だと思います。


2021年 3/6






  



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