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感想 浮遊 遠野 遥 少し期待外れだった。生きている実感がない若者の雰囲気はわかるが、面白くはない。


遠野さんは、僕の好きな作家さんの一人で過去出したすべての著作を読んでいる。

彼の魅力は核弾頭みたいな激しさ、暴力描写、性描写が売りで、そこから繰り出してくる若者のジレンマみたいなものが描かれていて好きだったが、この話しは中学生の女子が主人公で、半分はゲームの世界だし、設定も父親と別居し父と同年代の社長と同棲しているって、現実ぽくない。
生きているという実感のないまま、まるでゲームに出てくるゾンビみたく生きている、それが浮遊感覚なのかなとも思うのだが、わかりずらい。


正直、あんまし面白くなかった。

この少女の世界は、彼女のやっているゲームと大して変わりはない。
生きている実感が希薄なんだ。

「肉の欠片をティッシュに包み、ゴミ箱に捨てた。ゴミ箱に捨てたということはつまり、さっきまでは私のからだの一部だったものが、この短時間のうちにゴミに変わったということだ。どうしてそんなことが起こるのだろう。どこか腑に落ちなかった。」


「人間のからだのうち、本体から離れてしまったものはゴミになるのだろうか。役割を果たせなくなってしまったからゴミになったということだろうか。」



必死に、自分を現実の感覚に引き戻そうとしている。
僕には、そんな風に感じた。

どうも彼女は、現実とゲームの間の認識が曖昧のように感じる



ゲーム、バーチャルリアリティ仮想現実と現実世界のボーダーラインが曖昧な人たちが先進国の若者たちの間にいると聞く

この中学生の少女もそれに近い。


もしかすると、この現実という設定で描写されている文も空想か何かなのかもと思ってしまうほどリアリティがない。

だって、中学生なのに親と別居し、父と同年代の男と同居しているのだ

それも中一だよ。
ありえませんよ、僕の常識では。


この同居男性の彼女に対する態度も変だ。

何でもしてくれる優しい人だが、彼女を隠すように暮らしている
そこから見えてくる関係性は、家出少女とパパ活男

男には、彼女はゲームの中のゾンビみたいにどうでもいい存在

本当は、彼女のことなんか興味がない
この現実感のなさの根源はそこにある。

彼女はそこに存在しているが、そこにはいないのだ。
まるで透明人間みたいじゃないか。





2023 10 29



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