最近の記事

優しい「自己中心的」人生について

「自己中心的」というと、悪口レパートリーの代表格だ。中学悪口力検定があるなら、頻出単語として、単語帳の12ページ目あたりに載っているだろう。 利他的な行動は美徳とされる。うん、「誰かのため」は確かに美しい。その反面、利己的であることは「悪」とされてしまう。 ▶︎罪悪感を払拭しようと、無理をして「人助け」をしていると、無理をしているので疲れていく。 ▶︎疲れてしまうと、「人助け」をする余裕がなくなる。結果的に「利己的」になり、自責によって、自己肯定感が失われていく。 こ

    • シレトコのぼうけん

      有料
      300
      • 「つまらないコンプレックス」について

        ぼくは「つまらない」にんげんであり、 「つまらないコンプレックス」をかかえている 目的地へむかって最短距離をあるく時、会話であいてが望んでいる返答をさがそうとする時、文章を書きながら「正しい」表現をえらぼうとする時あるいは「つまらない自分」に気がつき、意識的に「おもしろい」選択にふりむく時、そんなとき、じぶんが「計算機」かなんかのように思えて心底がっかりする。 ようするに、クリエイティビティに欠けているのだ。 「おもしろい」ひとはかっこいい。 正義とか倫理とか合理性な

        • 平凡な一日を過ごしてしまった方、ご安心ください。ぼくはディズニーチケットを買おうとしてるだけで一日が終わろうとしています。まだ買えてません。

        優しい「自己中心的」人生について

        • シレトコのぼうけん

        • 「つまらないコンプレックス」について

        • 平凡な一日を過ごしてしまった方、ご安心ください。ぼくはディズニーチケットを買おうとしてるだけで一日が終わろうとしています。まだ買えてません。

          死と、意味と、豊かさと。

          「無」 死んだら「無」だ、 なんてよく聞くが。一生懸命生きて、最期にはたったの1文字でまとまってしまう人生ってなんなのだろうな。だからと言って、死後の世界を信じるほどに、生きることに絶望してばかりじゃあない。 ひとは、「死」について考えるときだけ「死」に恐怖する。へー、では「しあわせ」になりたいのであれば、「死」などは考えない方が良さそうなものだ。なんだけど、「死」に恐怖することは「豊かさ」には欠かせないものだと踏んでいる。 その通りであるとすれば、「しあわせ」と「豊

          死と、意味と、豊かさと。

          最近、ちょっぴりスマホ使用しすぎなので、投稿頻度を考えたいと思っています。「書きたい症候群」をぐっと抑え、ぽつりぽつりと、純度をあげて、投下していきたい所存。文章のためにも、リアリティの質がなによりも大切なのです。

          最近、ちょっぴりスマホ使用しすぎなので、投稿頻度を考えたいと思っています。「書きたい症候群」をぐっと抑え、ぽつりぽつりと、純度をあげて、投下していきたい所存。文章のためにも、リアリティの質がなによりも大切なのです。

          デジタル世界における唯一の希望、「スピリチュアル」について。

          前回「捨てる」という話をしたのだけど、実のところ、わざわざしなくても、世の中はデジタル化によって物が消えつつある。 たとえば、ぼくは現在デジタル一眼レフカメラを使用しているが、本音をいうと、フィルムカメラに惹かれている。 それでもフィルムにしないのは、あまりに「コスト」がかかり過ぎるからだ。 ぼくが愛用していた『NATURA CLLASSICA』というコンパクトフィルムカメラは、超絶可愛い。 が、すでに生産が終了していて、数年前には新品2万円程で買えたものが、中古で8

          デジタル世界における唯一の希望、「スピリチュアル」について。

          「捨てる」ことで「行動力」は得られるけど、「で?」

          行動力とは、いい換えれば「浮遊力」である。 ふわふわしてる状態にいる人が、考えたことを即実行に移すことができ、「行動力がある」と表現される。 では、ふわふわできない人にのしかかる「重力」の正体とは、なんだろうか。 ————————————————————— 大事なもの、捨てちゃうか ————————————————————— かつて、ぼくは「大事なもの」にあふれていた。 友だち、恋びと、家ぞくなどの「人間関係」、おうちやファッション、インテリアなどの「物」、あるい

          「捨てる」ことで「行動力」は得られるけど、「で?」

          人生の「浅さ」について

          InstagramのDMで、「浅いですね」というお便りをいただいた。 「ふーん。」と思ったぼくは、しばらく考えたあと、こう返事した。 「ふーん。」 しかし、せっかくなので、「浅い」とは、「深い」とはじっさいどーなのかを解き明かしておきたい。 ————————————————————— ポテトチップスは食べないけれど ————————————————————— この方は、恐らくポテトチップスは「コンソメ派」なんだと思う。濃い味がお好み。目玉焼きにはソースをかけちゃう

          人生の「浅さ」について

          「無知」について

          ミリマリスト風の生活を送っているが、先日、ぶ厚い国語辞典を買った。電子辞書を愛用しているのだけど、言葉の意味がピンポイントにわかってしまうために、そもそも「調べたい」と思わない言葉には出会えないのが気になっていた。 そして、辞書は改めて教えてくれた。 ぼくは「知らない」ということを。 ————————————————————— そんなことも知らないの? ————————————————————— 思えば、昔からあまりの「知らなさ」によく驚かれた。みんなの関心であるテ

          「無知」について

          11月、はじまり

          毎年のことだが実感することもなく、渋谷の様子をニュースでみるだけのハロウィーンが終わり、とうとう11月にはいってしまった。 せっかくなので、今月の決意表明てきなことをしようか。 年末に差しかかる手前ということもあって、重要なひと月である。12月になってからアワアワとしないために、より丁寧な日々を心がけよう。 ○写真 個人的な事情としては、近いうちに札幌を発とうかとかという頃である。そういうわけもあって、今月は「写真」に注力したいと思っている。この街の「美」と自らの「情

          11月、はじまり

          「時」について

          天井から視線をすべらせるようにして「時計」に移すと、数字が4つ並んでいる。どうやら、この数字が2400になるまでが、「今日」らしい。もうすでに1000を超えている。ということは、もうすぐ半分ではないか。そんなのってあんまりだ。 さて、「今日」をどう過ごそうか。 「今日」を何度も繰り返してきた。少し前に「10000日記念日」とか言って祝していたな。 ぼくたちは、「未来」を指して「明日」などと呼ぶが、どこまでいってもプレイできるのは「今日」だけだ。次の「今日」の為に環境を整

          「時」について

          なんもない日常にみる美しさがもたらす否定の否定。

          “お寿司ただで食べれる券"で食欲を満たしたあとは、文字の香りに誘われて図書館で読欲を満たし、河辺で歩欲を満たした。イチョウの黄色が絶頂期をむかえ、道行く人の視線を集める一方で、若さを喪失したアイドルは、人知れず絶望の顔をしていた。 ————————————————————— 欲を満たし、おうちに帰る。 一般的には、なんもない日常である。「日常」とはなんてつまらなそうな響きだろう。言葉のイリュージョンにかかりそうだが、実のところ、おもしろい。日常は非日常だよ。「ひ」が隠れ

          なんもない日常にみる美しさがもたらす否定の否定。

          「スキ」について⭐︎2

          「スキ」という機能について、改めて考えるべきことがある。その「数字」が意味することについてだ。 前回では、「スキ」は誰かにとっての「星」になっているという内容だった。 他の人のアカウントを見ていて気づいたけど、「誰かの救いになりたい」という動機で文章を投稿している人がちらほら。ぼくの言葉でいうと、大勢の人の「星」になろうとしている。 ステキな動機だと思った。 だけどそこには「数字」が目的になってしまうという罠がある。その人にとっては「スキ」の数がその記事の価値になってし

          「スキ」について⭐︎2

          【知ってましたか?】実は、正式に「無能」を名乗るには資格がいるんです。「ひま」「強い好奇心」「行動力」3つのカードを所持していること。かつ、20年以上なんの才能も発見できない必要があります。「無能」を安易に考えないでください。結構、資格取るの、たいへんだったんです。

          【知ってましたか?】実は、正式に「無能」を名乗るには資格がいるんです。「ひま」「強い好奇心」「行動力」3つのカードを所持していること。かつ、20年以上なんの才能も発見できない必要があります。「無能」を安易に考えないでください。結構、資格取るの、たいへんだったんです。

          空について

          あなたには、忘れられない空があるだろうか。 いつかの記憶を呼び起こそうとすると、その日の空合いがまず浮かび上がってくる。あてもなく多摩川に沿って散歩していたある日、「もしもこのまま足をとめなければ一体どんな場所にいけるのだろう」なんて子供みたいな好奇心が湧いて出てきて、試してみたことがある。3日間の歩行の末、ついには果ての奥多摩湖までたどり着いた時の印象も、おおよそ空に関することだ。歩いて、歩いて、歩いて、やがて冷たい夜が訪れ、寂しい暗闇を歩いて、歩いて、そうして朝日が昇り

          空について