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「スキ」について⭐︎2

「スキ」という機能について、改めて考えるべきことがある。その「数字」が意味することについてだ。

前回では、「スキ」は誰かにとっての「星」になっているという内容だった。


他の人のアカウントを見ていて気づいたけど、「誰かの救いになりたい」という動機で文章を投稿している人がちらほら。ぼくの言葉でいうと、大勢の人の「星」になろうとしている。

ステキな動機だと思った。
だけどそこには「数字」が目的になってしまうという罠がある。その人にとっては「スキ」の数がその記事の価値になってしまうからだ。

現に似たようなフレーズが散見されるのは、「スキ」が集まる記事にあった言葉や、印象に残った言葉を模倣してしまっているからだと思う。


ただ「模倣」については特に言及しない。
だって人はだいたいの事は模倣によって習得していくし、それもある種「スキル」だしね。
いい言葉は円環させた方がハッピーだ。

ぼくが危惧するのは、いつの間にか「数字増やしゲーム」になることで、ついにはnoteが楽しくなくなることだ。noteは「創作」をする場であって、その手助けとして「スキ」があると思われる。

あくまでも「スキ」は読む人のもので、書く人がそれを誘導するような形ではおかしいのだ。

誰かの救いになりたいと思うのは立派だけど、たとえ自分の文章に「スキ」がなかったとしても、少なくとも「自分の救い」にさえなれば、自分で押した「スキ」ひとつでその文章は報われているのだと思う。自分だってその「誰か」で良しとしたっていいのではないだろうか。


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では、その「数」に意味をつけるとしたら、たとえばこんなのはどうだろうか。


「スキ」された数だけ「スキ」できる



受ける「スキ」には上限がないから、「救いたい欲求」はいつまでも満たされることはない。しかし「スキ」できる数は決まっているようだ。そこを紐付けてしまえば、「スキ」してもらうことを純粋に喜びつつ、一定数以上には関与しないことができる。


「スキ」するためには、「スキ」してもらう必要がある。書くモチベーションとしても機能すると思うのだけど、どうだろうか。


いずれにせよ、この「スキ」というのは魅力ある響きなだけに、取り憑かれれば創作に支障をきたす恐れもありそうなので、気をつけたいなぁ。

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