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わたしにとっての言葉。



文章をつくるとき
こんなに時間をかけなかったことはなかったし
こんなに湧いてくる感情のままに書き連ねたことはなかった。

今回は、わたしの気づきと
天変地異と言えるほど大きな、解放の話。

とても気持ちの良い内容とは言えない。
心に任せて書き終えたのはいいものの
これを投稿していいものかは、やっぱり悩んだ。

それでも、今のわたしの"本当"だから
残しておきたいと思った。


今までの"過程"が全て
今在るものを持てる理由になったのなら
今在る全てに出会うためだったのなら
今のわたしになる、還るためだったのなら
苦しみの底も、孤独も、葛藤も、迷いも、絶望も
後悔なんて何一つ無い。未練も無い。

後悔どころか
誇りにさえ感じられるよ。
今は、心から。



わたしのために。
わたしのような、誰かのために。

そしてこれを書くことで、前に進むために。




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言葉を綴りはじめたのは8歳頃から。
わたしの言葉が誰かに届き始めたのは
ごく最近のことのように思う。

髪をピンクにしてから8年が経ったらしい。
最近は髪をピンクに染めていることを忘れてる。
それくらいにピンクの髪は
わたしにとっての自然体で、ベーシック。

そんなこと、伝わらなくてもいいんだけど
伝わってくれる人がたくさんいるんだから
伝えてきてよかったなと思う。

生まれ持った外側の色が内側と違うなら
いっそ塗り替えてしまえばいい。

自分に沿う色を、選べばいい。

生まれ持った色か、生きていく中で見つけた色か
どちらがナチュラルで自然体かなんて
自分以外の誰かの尺度では
到底測れるものではないから。


それぞれの色。


着飾るためじゃなく、自分に還るための色。
鎧としてじゃなく、自分自身を思い出すための色。




言葉を綴り始めたのは8歳頃から。
当時は、ただひたすらに苦しかった。

いや、たぶんそのもっとずっと前から
苦しかったんだと思う。

あなたの言葉は才能だよって
言ってくれる人たちと出会えたのはいつだっけ。

あなたの言葉は才能だよって
言ってもらえても苦しかったのは
いつまでだったっけ。


思い出す。
昨日のことのような、随分と昔のことのような記憶。
きっと一生、思い出す。


わたしの、わたしだけの孤独と希望。



言葉を綴り始めた最初の頃は
ただ心に従って書いていた。

赤い文字で、"正しい文"が入るまでは。

でもその度わかってしまう。
求められている正解が、わかってしまう。

絵も、言葉も、立ち振る舞いも
誰かの正解に沿うようにすることは
あまり難しいことではなかった。

でもわたしがかきたいのは
わたしの声なの。
わたしの色なの。

それでも、誰かの正解をかきあげる。
かきあげられてしまう。

誰にも見せないノートに
ひとり書いていた言葉は
叫びだった
苦しみだった
不安だった
孤独だった

かなしみだった。


"誰にも見せない方がいい"


子供がひとりきりで抱えられるようなものじゃなかった。
本当はひとりきりで抱えるべきじゃなかったことも
今はわかるけど
当時はそうしなくちゃいけないとも思っていたし
そうするしかなかったから。


爆発したように
かなしみを怒りと憎しみで塗りつぶした10代。

怒りと憎しみを、光で塗り替えたかった20代。

塗り替えたかったし
塗り替えられるよう努力もした。

でも

子供の頃から
優しい人がたくさんいたけど
優しくない人が、あまりにも多かった。

わかってくれる人だっていたけど
そうじゃない人があまりにも多かった。

人の世に期待したい、信じたいのに
出来なくなる理由が、あまりにも多かった。

それにベールをかけて
尺度、解像度、色彩を変えて発信したのが
SNSだった。

なんてことはない。
わたしは、変わったようで変わってはいないし
変わっていないようで
自分でも驚くほどに変化している。

でもその変化は
外側からはずっと離れた内側の奥の話で
もちろん、繋がっている外側にも
影響や変化はあるけれど
外側が変わるよりも遥かに重要で
とてつもなく大きな変革のように思う。



わたしは今まで
わたしの土台となる過去の部分を
はっきり語ったことがなかった。
何故かって
わたしもはっきり理解していなかったし
したくもなかった。
はっきり気づいてしまったら
なんとなく、全て壊してしまう気がして
こわかったから。

そこでも、わたしがひとりで抱えていれば
平和でいられると思っていた。

そんなことは、きっとないのに。




機能不全。
父も母も、精神的に不安定な家庭だった。
両親と暮らした時期、母親と暮らした時期
他人の家で暮らした時期、養護施設で暮らした時期
父親と暮らした時期、母方の祖父母と暮らした時期
今思えば、10代で上京するまでの期間だけでも
全部がめちゃくちゃだった。

父親はいつも怒っている。
母親はいつも不幸せそうで、気を張り詰めて
無理をしている。

環境、性格、HSPとしての気質
全て相まって
それは手にとるように、目に見えるように
父親の機嫌の悪さも、母親の陰や苦しみも
痛いほどに感じとっていた。

お金もなかった。
家がないときもあった。
でも、小さな幸せはたくさんあった。
愛されてもいた。
だから余計に、自分が不幸の根源だと思い込んだ。

自分以外は誰も責められない。
責める理由を知らない。

わたしがいるから
大切な人はみんな苦しんでるんだって
本気で思っていた。

苦しめて、怒らせて、傷つけて
守れなくて、役に立たなくて、ごめんなさい。

それは自分にかけた呪いのように
大人になってからも随分と苦しんで
幼少期からつい最近まで
無力感と罪悪感、自己嫌悪に苛まれ続けた。

いわゆるAC(アダルトチルドレン)ってやつで。


そこまではなんとなく、ずっとわかってた。
なんとなく理解もしてた。
でも最近になって突然、なんの前触れもなく
自分がずっと虐待を受けていたことに気づいた。
大人になってから気づくことは
心理的虐待ではわりとよくあることらしい。

最初は少しの違和感から
徐々に確信に変わっていったような感じ。

全ての辻褄が合っていく感覚。


なんだ、わたしずっと、がんばってたんだ。
家族が家族でいられるように、がんばってたんだ。


子供のわたしは
自分を悪者にすることで
家族を守りたかったんだ。


ずっとずっとずっと
本当は叫び出したいくらい、苦しかったのに。

気づいてしまった?やっと気づけた?

気づかないでいられたらよかった。
気づけてよかった。

両方本心。

その両極端な本心の乖離に
折り合いがついてきたのもつい最近の話。


わたしは不幸じゃなかった。
お金がないから我慢してるんじゃない。
ママが、パパが、苦しんでるから、我慢してたんだ。

笑ってほしかった。
みんなが持ってるシルバニアファミリーのおうち
りかちゃん人形、流行りのゲーム機
持ってないわたしは、一緒に遊べなかった。
でもいらなかった。
本当にいらなかったんだよ。
だから泣かないで。謝らないで。
もう自分を責めないで。

お金がなくたって幸せだった。
笑っててくれれば、それだけで
それだけでよかったんだ。
ただ抱きしめてほしかった。
大丈夫だよって。大丈夫なんだよって。
笑ってほしかった。




書いていて、心臓がぎゅっとなって苦しい。
涙が止まらない。
でも、涙と一緒に溢れ出したのは
やっぱり言葉だった。

誰にぶつけるわけでもない。
ぶつけたいわけでもない。
でももうわたしは、自分の声を聞いてあげたい。

誰かの声や、正解じゃなくて
誰かの機嫌や、幸福じゃなくて
誰かの、誰かの、なにかじゃなくて

わたしの声を。



溢れ出る言葉のままに書いた。
だから、わかりやすくはないかもしれない。
伝わるのかもわからない。
支離滅裂に感じるかもしれない。
そもそもわたしにしかわからないかもしれない。
でも、それでもいい。

それでもいいから、書こうと思ったの。

わたしの言葉で。




才能だって言ってくれたわたしの言葉は
わたしがいつか誰かに
言ってもらいたかった言葉かもしれない。
誰かの心の声に気づけるのは、才能なんかじゃない。

才能なんて、そんな良いものじゃない。

そんな、綺麗なものじゃないよ。

そしてその言ってもらいたかった言葉たちを
誰かがわたしに言う日はこないだろうことも
ずっと知っていた。

だって、誰にも見せないノートにしか
書いてこなかったから。


わたしにしか見られない
わたしにしか書けない
わたしにしかわからない。
わたしにしか使えない。
わたしにしか伝えられない。



あれ、これってもしかして





わたしの言葉って、才能なのかもね。






p.s
今まで関わった、交わった全ての人に
今いてくれる、知ってくれている全ての人に
感謝してるよ。心から。

そしてこれを書く勇気をくれた、
かけがえのない人たちへ。
信じさせてくれて、ありがとう。

わたしよ
気づいてくれて、信じてくれて、ありがとう。

ごめんねと、やっぱりありがとうを。


怒りも憎しみもかなしみも、数えきれない。
人に救われた数より
人を嫌った数の方が多いかもしれない。
でも
全てのかなしみがここに繋がっていたから
わたしも、あなたも、間違いじゃなかったんだよ。


それぞれの色を持って、ただここにいる。
それだけ。
それだけでいい。

わたしたちは、素晴らしい。

暗号のような文章。


こんなに深く呼吸が入ってきたことは
なかったかもしれない。

風が気持ちいい。
空が綺麗。

生かされている。生きている。



ああ、なんだ
やっぱり世界は、美しい。



あなたの目にもきっと、見えますように。





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