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風邪は、「今がいちばんつらい」から 【4/23 巨人戦⚫️】

吉本ばななの「ムーンライト・シャドウ」に、こんな一節がある。

「風邪はね。」「今がいちばんつらいんだよ。死ぬよりつらいかもね。でも、これ以上のつらさは多分ないんだよ。その人の限界は変わらないからよ。またくりかえして風邪ひいて、今と同じことがおそってくることはあるかもしんないけど、本人さえしっかりしてれば生涯ね、ない。そういうしくみだから。」

風邪をひくたび、身体が弱るたび、そして心が弱るたび、私はいつもこの一節を思い出して生きてきた。

だけど母が病気で亡くなった時、「うそやん、それ」と、私は思った。今がいちばんつらいと思って毎日耐えていたのに、もっとひどいことがおこったじゃないか、と。つらいことには、限りがなくて、もっとつらいことなんて山ほどあるんじゃないか。23歳の私は、確かそんな風に考えていた。

だけどあれから12年が経って、干支は一回りして、やっぱりこの一節は真実だよな、と、思っている。

あの時、つらいことはいつまでも続いていくのだ、つらいことのもっと上の辛さはあるものだ、と、私は思ったけれど、12年経った今、また新しい家族ができて、子どもたちと一緒に、毎日みたいにヤクルトの試合に一喜一憂している。あの時は、12年後にこんな毎日が待っているなんて思ってもみなかったけれど、想像もしたことがなかったような日々が、目の前にはある。

だから、私はやっぱり、改めて思う。「風邪はね。」「今がいちばんつらいんだよ。死ぬよりつらいかもね。でも、これ以上のつらさは多分ないんだよ。」と。

96敗したチームがあって、性懲りも無くそのチームを応援し続け、翌年2位になったと思った途端CSであっさりノーノーされ、その翌年開幕してから首位になったと思った瞬間、あっという間に首位を奪われそのチームにぼろ負けしたりする。毎回毎回、私は深くため息をつく。そして思うのだ。まあでも、たぶん、これ以上のつらさはないんだよな、と。

うまくいきそうだと思った瞬間、空回りし始める。できると思っていたことができなくなると、焦りが出てくる。思わぬ失敗に、ミスが重なる。目の前の試合に心が傷むのは、結局自分にもそれがわかるからだ。自分だって、そういう、どうしようもないところがあるからだ。いつだってこの痛みは、自分の痛みなのだ。

常勝軍団を好きになったわけじゃない。いつだって勝てるチームを好きになったわけじゃない。ひどい試合の後には、素晴らしい試合が絶対にある、そういうドラマみたいなストーリーがあるわけじゃない。今日何が起こるか分からなければ、明日何が起こるかもわからない。その試合は、ぼろ負けの試合になるかもしれない。でももしかすると、後から振り返って一番の思い出になる試合かもしれない。

私が好きになったのは、そういうチームで、そして、きっとおそらく私もまた、そういう人間なのだろう。まあ間違いなく、ヤクルトというチームの数十倍の欠陥がある人間であるとは思う。

だから、いつだってやっぱり、できることは同じだ。まあそういうこともある、そういうものだと受け入れて、また明日やってくる別の試合を待つだけだ。それは、どれほどつらいことがあったとしても明日がやってくる日々の繰り返しと同じことだ。

昨日できたことが、今日できなくなることがある。前回勝ち投手になれた選手が、今回は負け投手になることがある。前回あれだけ打てたのに、今回は全く打てなくなることがある。もちろん、先週は首位だったのに今週はあっという間にそこから落ちることだってある。

だけど、昨日できなかったことが、今日できることだってもちろんある。去年できなかったことが、今年できることもある。負け投手が、次の登板で勝ち投手になることがある。そうやって、野球も、日々も、続いていくのだ。

ふがいない気持ちは、本当は誰だって抱えている。きっとスガノだって抱えている。・・・いやスガノはわからんけども。でもみんなそれとなんとか折り合いをつけながら、必死で乗り越えながら、日々を過ごしてゆく。

ヤクルトたちが今日もそれと必死に戦いながら、明日なのか、明後日なのか、またその次なのか、それはわからないけれどもいつかまた、とんでもない良き試合を見せてくれることを、私はそっとここで待ちたいと思います。今年もまた、物語は始まったばかりで、日々はまた、続いてゆくのだから。


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