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「坂口!下向くな!!前見て歩け!!!」とおじさんは言った 【5/25中日戦⚫️】

代打の村上くんに、ものすごい声援があがる。19歳の背中に、あまりに大きい期待がのせられる。村上くんの良い当たりは、センターの目の前に飛び、フライになる。とにかくことごとく、チャンスが全て得点にならない。そのもどかしさがもう太古から続いているような気すらしてくる。得点圏から得点できたことなどかつてあったのだろうか?

9回表、こんな場面でうめちゃんに投げさせることになっちゃってごめんね、と、思うと、なんだかもう情けなくて泣けてきた。うめちゃんは、それはもうめちゃくちゃ素晴らしい投球で、そそくさと三者連続三振を奪って去っていった。この世に「三者凡退」などというものが存在するなど信じていなかった私は目の前で起こったそれにシンプルに驚愕した(まじで)。

訪れたピンチにはもれなく全て失点する。迎えたチャンスではもれなく全て得点できない。「得点圏」にいるらしいランナーは何があっても絶対にホームに帰れない。そしてもちろん、相手チームの「得点圏」にいるランナーは、何があっても絶対にホームに返してあげる。お人好しだとは思っていたけれども本当に心底お人好し球団なんである。もう私はここで何試合連続の負け試合を見ているんだろうか。

軽く絶望しながら、私はつい、13年前の母のお葬式のことを思い出していた。重症である。

少しくらい話になってしまうかもしれないけれど、13年前の母のお葬式で、妹二人と笑顔で話していたら、どこかのおじさんに「お母さんが亡くなってなんでそんな笑えるんや」といったようなことを言われたことがあった。あっけにとられてしまったのだけれど、でも私は今になって心底思う。

あの時私たちには、笑うことしかできなかった。泣く余裕だってなかったのだ。

本当に本当につらい時、人は涙を流す勇気すら持てなくなる。笑うことで必死に、心をつなぎとめるのだ。そうしているうちに、いつか、少しずつ、泣くことができるようになる。

目の前の人は、心の底から楽しくて笑っているわけじゃないかもしれない。本当はもっと心に痛みを抱えているかもしれない。涙を流す勇気が出てくるまでは、それが強がりでも、笑っていることだって必要なのだ。

ヤクルトの選手たちは、アップの時間にいつもいつも笑っている。どんなにひどい負け方をした次の日だって、みんなにこにこアップしている。

みんな本当は、痛みを抱えているはずだ。でもそういう痛みを口には出さす、顔にも出さず、一人でそっと抱えこみ、そこでは笑うのだ。そうすることでしか、日々の繰り返しを乗り越えてゆくことはできないから。

ファンだってそれは同じだ。好きなチームが負け続ける。そりゃもう、つらいに決まっている。愚痴の一つも言いたくなる。目の前のエンターテインメントは、お金を払って、負ける試合を見せられるものなのだから。イライラする人だってそりゃいるだろう。

でもヤクルトファンの多くが、それでも選手たちに「明日だよ明日!!!明日頑張れ!!!」と声を張り上げる。そこには人に言えない痛みだってきっとあるはずだ。いろんな思いがあるはずだ。でも声になって出てくるのは「明日頑張れ!!!」なのだ。そうして痛みを、日々を乗り越えていこうとする、そこには健全で、そして凛とした何かがあるのを私は感じる。

うつむいて帰っていくぐっちに、ファンのおじさんが大声で叫んだ。「坂口!!!下向くな!!!前見て歩け!!!!」

なんか、その言葉は、私の心にまで刺さった。下向いてちゃいけない。ゴールはいつも、上の方にあるんだ。まっすぐ前を見て、一度空を見上げて、そしてまた歩いていかなきゃいけない。どんな時だって。それがどんなにつらい場面だとしても。

なんだよもうこのチーム!って思うことだってある。もういい加減タイムリーの1本は打てないのかと思う。私が打席に立とうか?とも思う。四球くらい選べるかもしれない(選べない)

でも仕方がない、私が好きになったのはこのお人好し球団と、お人好しファンなのだ。しょうがないじゃないか。こんなに負けるのに好きなのだから。みんながそれぞれの痛みを抱え、それでもそこで笑い続ける、そういうこの場所が好きなのだ。それならいつだってどんな時だって、そこが始まりだと信じてやっていくしかないのだ。

「どんなつらい時も俺たちが、そばにいる。だから今手を取り戦おう。今ここから」と前を向いて。



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