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平和を祈る島で、ヤクルトを思う【7/28広島戦●】

そのイニングを見ている時には、なんで四球だらけ。。と、思って大きなため息をつくのに、マウンドを降りるその表情が映し出された瞬間、気持ちはそのピッチャーもっていかれる。

それはこのチームを、そしてこのチームで投げることになった人たちを、好きになってしまったからなんだよな、と、民謡居酒屋の「和おん」に向かう車の中で私は思う。

もっと言えば、そのチームを好きになった人たちのこともまた、好きになってしまったからなのだ。なっしーを思う、誰かを思う。そうすると急に、胸が痛む。窓からは、沈んでゆく夕日が見える。

負ける痛み、そして負けを背負う誰かを思う人の、痛み。いろんな痛みが交錯する。

失点が重なるたび、痛みは積み重なる。紫外線を浴び続けた皮膚のように。

でも絶望のような気持ちの中、エイオキは打つ。そこで、しっかりと。どんな試合でも、どんな展開でも。バットも手も足も止まりそうな、その試合の中で。

あきらめていないのだ、と、37歳が示す。その背中が、とてもとても大きい。

それがきっと、いつもの9回裏の攻撃につながっていく。もちろん、10点あった点差がなくなるわけじゃない。それは今日の、一勝につながるわけじゃない。打っても打たなくても、それはもう明らかな負け試合かもしれない。でも、だからといってその3点はきっと、意味のないものじゃない。

エイオキの1本が9回裏の攻撃につながり、その攻撃は、明日の、明後日の、もしかしたら来年の、5年後の、何かにつながっていく。それが強がりだとしても、そうしてあらゆるものがほんの少しずつ、前進していくのだと、そう信じていたい。

「和おん」のお父さんが、「島唄」を歌う。令和の世の中も、平和でありますように、と言葉を添えて。

島の人たちは、「平和」が当たり前でないことを知るからこそ、「平和を祈ること」が、とても自然だ。「平和でありますように」と、当たり前のように口にする。それは政治的な背景だけでなく、この島にずっと、根付いているものなのだ。

平和でありますように、と、私も思う。いつもこの旅を共にする広島ファンの友人も、私の家族も、これからも旅をしながら、平和に野球を見られますように、と。そこでヤクルトがどれだけコテンパンにされようが、痛みが積み重なっていこうが、それでも、ただ大好きな野球が見られる幸せを、いつまでも感じていられますように、と。

そこでしっかりホームランを打つエイオキのように、誰かを励ます1本を、私もいつか打てるような仕事をしていけますように。そういう希望を、いつまでも紡いでいけますように。どんな絶望の中でも、明日は少し、良い日になるのだと、そう信じていけますように。平和を祈る、この島で、私は思う。



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